第44話 流れ星


 魔女が花びらを吹くと、それは白い魔力となって儚く散る。

 そして呼び出されたのは、一つの災厄。


「火柱」

 最初に呑天どんてんを襲ったのは、大きな炎の渦だった。

 

「ブオオ、オオオオ!」

 灼熱に炙られ雄叫びが上がる。

 呑天は天に届きそうなくらい巨大だけれど、巻き上がった火柱は更に背が高い。


 赤い旋風が悪意を持って絡みついて、呑天はそれから身をよじって逃げ回る。

 互いにグネグネと蠢いて、まるで巨大な蛇が二匹もつれ合っているみたいだった。


「オオ――」

 炎の相手を嫌がって、呑天が地面の下へと引っ込んだ。

 同時にグラグラと大地の揺れる感覚。


「わ、うわ、来る……!」

 多分、こちらへ向かってミミズのように掘り進んでいる。さっき街の外でしたように、地面ごとひっくり返すつもりだ。

 あれをここでされたら、きっと広場は丸ごと無くなる。ニアならともかく、わたしが巻き込まれたらただじゃ済まない。


「逃げなきゃ、"歪なグルーム――」

「"ひとひらの災厄をブルームリトル" 噴泉」

 わたしが魔法を使う前に、水色の花びらが災厄を呼んだ。


 ドォンと、巨人の足踏みみたいな音がして、地面がひときわ大きく揺れる。

 広場より手前で噴き出したのは、熱い水の柱だ。


「――ブオオ、オオオオ!」

 呑天が無理やり押しだされ、地上に姿を現した。熱水と巨体の噴火に巻き込まれ建物は砕かれる。ただの瓦礫となったそれらが、真上に向かって舞い上がる。


「少し暴れすぎね」

 声が遠い。見るとニアはいつの間にか広場から消えて、呑天と同じ高さまで跳躍している。

 

「"ひとひらの災厄をブルームリトル" ダイヤモンドダスト」

 ニアの手元から青い花びらが散った。

 呼び出されたのは、小さな氷の結晶。キラキラと輝く神秘的な吐息が、呑天を包み込んでいく。

 トゲの生えた表皮が白く染められて、見る間にじわりと凍結を始めた。

 これは、氷の魔法で動きを止めるつもりだ。


「ブオオオ、オオオオオ!」

 完全に凍りつく前に反撃が来た。

 人喰いが喉を蠢かせ、ゴボンと土塊を吐き出した。巨大な口と同じサイズの塊がニアへと迫る。


「近すぎる! ニア危な――」


「"ひとひらの災厄をブルームリトル" 鉄砲水」

 対してニアが呼び出したのは、それさえ飲み込む程の水流だった。

 指先から真っ直ぐ中空へと放たれて、あっという間に巨大な土塊を街の外へと押し流す。

 その間にも、輝くダイヤモンドダストは舞い続け、凍結は進んでいく。巨大な人喰いの動きがさらに鈍っていく。


「これってもしかして、街を壊さないようにしてる?」

 土塊をわざわざ街の外まで追い出し、氷の魔法で相手を徐々に大人しくさせる。

 ニアは、街への被害を減らそうと気を回している。明らかに余裕を見せている。


 跳躍によってしばらく空中に浮いていた彼女は、やがて落下し、一つの建物の上へ着地して。


「"ひとひらの災厄をブルームリトル" カマイタチ」

 風が鋭い刃になって、たくさんの斬撃が飛び出した。

 一つ一つが大きい。わたしが使う黒爪とは訳が違う。

 ヒュウっと音を立てながら、巨大な人喰いの全身が切り刻まれる。血飛沫はにわか雨のように降り、けれどその血も凍ってすぐ止まる。


 そして魔女がまた――


「"ひとひらの災厄をブルームリトル" 竜巻」

 一つ花びらを吹く。

 街の残骸が風によって巻き上げられて、大きな石が何度も呑天を叩く。風にあおられされるがままに目を回している。


「"ひとひらの災厄をブルームリトル" 雹」

 一つ花びらを吹く。

 かぼちゃ程もある大きな雹が、強い勢いで降り注いだ。

 固い礫は砕けること無く、全てが人喰いの肉へと食い込んでいく。


「"ひとひらの災厄をブルームリトル" 豪雷」

 一つ花びらを吹く。

 雷鳴が連続し、たくさんの稲妻が落とされた。

 青い電流が中まで貫き、表面の皮を黒く焼いて、細長い化け物をビクリとうねらせ、その度に青白い光が巨体を照らす。


 一つ吹くたびに強大な魔法が発現する。

 目の前で実際に見ているのに想像がつかない。

 ニアの周囲を舞うたくさんの花びらは、その全てに災厄を呼び起こすほどの魔力が込められているのだ。



「ブオオッ! オオ……」

 雄叫びが小さい。あれほど暴れまわっていた呑天が、今はかなり弱ってきている。

 傷口が冷気によって凍りつき、どす黒く変色していく。グズグズと肉が崩れ、気味の悪い腐り方をしていってる。


「アイツもうほとんど動けてない。もうちょっとで倒せる!」

 勝てる。

 まるで災害そのものだった人喰いを、ニアはさらに圧倒する。

 もう少しでニアが戻ってきてくれる。一つも怪我せず、無事なままで。それが何より嬉しい。


「オオオオ――」


 と、そこで呑天が不吉な動きを見せた。

 雲さえ呑みそうな程大きな口を、さらに目一杯広げて何かを始めようとしている。

 その口内に見えるのは、白く光る塊。


「あれって魔法!? なんで!」


 人喰いが今作り上げているのは、明らかに魔法だ。

 ニアみたいな魔法使いでもないくせにどうして?


「……もしかして、コイツも魔法使いを食べたことがある?」


 考えてみれば、人喰いだからこそかもしれない。

 ニアが魔法使いを食べて、その力を自分の物としたように。

 呑天も魔法使いを食べて、魔法の力を手に入れてしまっている?


 さっきの戦闘じゃスレイでさえ歯が立たなかった。つまりコイツは、並の魔法使いよりずっと強いってことだ。


 それに呑天は、ミミズのように地面に潜り込むことが出来る。

 なら相手が強いかどうかさえ関係ない。

 仮にどんな強い魔法使いが居たって、不意打ちで地面から丸呑みにされたりすればそれでおしまいだ。魔法を使う暇も無く一瞬で喰われる。


 きっとコイツは百年間、そうやって人を襲ってきたんだ。

 人喰い魔女に見つからないようこっそり力を蓄えて、再び自分の天下を取り戻そうとした。

 最強の人喰い魔女に対抗するため、魔法使いを喰ってきた。


「ブオオオオ!」

 膨大な魔力が宿敵を倒すため練り上げられる。

 白く光る大きな魔法が、徐々に小さく凝縮され始めた。

 空気がキリキリと音を立て、肌が切れそうなほど張り詰めていく。


 大きく開かれた口が、ニアへと真っ直ぐ向けられて。


「来る。ニアァ!」


「"ひとひらの災厄をブルームリトル" 光芒」


 呑天の口から細く貫く閃光が吐き出されたのと、ニアの指先から太陽の柱が放たれたのは同時だった。


 極限まで魔力を込めたはずの閃光は、ニアの魔法によってあっさりかき消された。

 そのまま呑天の頭を焼き貫いて、太陽の柱は天へと消える。


 その一撃で頭も口も失くした化け物は、ビクリと身を震わせて、しかし倒れ込む事さえ無かった。街をそれ以上壊す事は無かった。

 そのままダイヤモンドダストが全身を凍りつかせ、立ち上がった姿勢で動きを止めたからだ。

 

「……止まっちゃった。もう、死んだ?」


 氷像のようになってしまった人喰いを見上げる。その周囲にはまだ宝石のように輝く粒が舞っている。

 静寂があたりを包み、しばらくじっと耳をすませてみた。

 また動き出すんじゃないかと警戒してみたけれど、やっぱりもう暴れだすことはない。

 一度は死ぬかとさえ思ったのに、これで本当に――


「終わったよ、フィオ」

「あっ」

 いつの間にか、ニアはわたしのすぐ側に戻ってきていた。

 どこも怪我してない。無傷だ。


 そして、わたしもまだ生きてる。

 もう駄目だと思ってたのに、今本当に生きてる。またニアが助けてくれた。


「よかっ、た――」 

 安心して、涙が出そうになる。

 さっきまでずっと絶望の底にいたのに。ママに縛られて逃げれずにいたのに。彼女は死んでさえいたのに。


 なのに最後には絶対彼女は来てくれて、あっという間に助けてくれる。

 これまでと変わらず、わたしの元へと来てくれる。


 そして今、また心でも読んだみたいに、わたしが欲しがる言葉をくれる――



「ただいま、フィオ」

「うん……うん。おかえりニア、おかえり」

 こちらからキュッと抱きついた。身長には差があって、わたしはニアの胸に顔をうずめるような格好になってしまう。

 するとニアは少し身を屈めて、お互いの肩にアゴを乗せる形で抱きしめてくれる。


 あんなにすごい魔法を操って戦っていたのに、わたしに触れる時はすごく優しい手つきになる。

 傷付けないよう力を抜いて、大事に扱うように背中をさすってくれて。

 それがまた、心地良くて。

 こんなのもう離れられそうにない。


 でも、彼女は辛くないのだろうか。人喰い魔女としてまた蘇ってしまって、生きるのが苦しくないんだろうか。

 今はただ抱き合っていたいのに、どうしても不安が胸をよぎる。


 ニアは、生き返ってしまって後悔してないだろうか。


 怖いけれど、聞かなくちゃいけない。だって独りよがりのままじゃいられないから。

 彼女は何でもわたしに与えてくれるのに、甘やかしてもらうだけじゃ不公平すぎる。ニアが本当に望む事を、ちゃんと知っておかなきゃいけない。


 スッと身体を離して、正面から青い瞳を見つめた。

 ニアは不思議そうに小首をかしげ、でもわたしの事をちゃんと待ってくれる。


 いつだってこうだ。いつも優しい。覚悟が揺らぎそうになるけれど、迷ってしまう前に言葉を紡ぐ。


「ねぇ、ニアはまだ――」

 けれど、その言葉が最後まで続くことはなかった。

 街の外から再びあの轟音が鳴り響いたからだ。


「ブオオオ、オオオ、オオオ!」

「え?」


 倒したはずのあの咆哮。

 まさかまだ生きていた? 声の主を探し、街の外を見やる。


 そして予想はさらに裏切られ、ザワリと背筋が粟立った。


「嘘、あれって、何匹いるの」


 街の外に、呑天はいた。

 最初の一匹どころじゃない。冷静になって数えていく。

 全部で十匹の呑天が、西の山々から生えている。

 稜線にかかる夕日が巨体に隠されて、あたりをさらに暗くした。


「はぁ。百年か……数を増やしててもおかしくないのか。私を倒す為に相当準備をしたのね。前にやられたのがよっぽど悔しかったのかしら」

 なんか呑気な声色で言ってる。

 わたしは本気でびっくりしてたのに、いくらなんでも温度差が大きすぎる。


「ちょっと、冷静に言ってる場合じゃないよ! もう今度こそ逃げよ! ニアを倒すためにってことは、またこっちに来るってことじゃん。あんなの同時に相手するのはさすがに無理だよ」

 逃げるべきだ。

 そう必死に訴えるけれど、それでもニアの表情は変わらない。


「大丈夫だよ」

「んぐ」

 まるで、あんなのはどうでもいいという風に無視をして、片手でわたしを抱き寄せる。

 一瞬ほだされそうになるけれど、やっぱりそれどころじゃなくて落ち着かない。

 少しばかり抵抗して。でも、ニアにしては珍しくギュッと掴んで離さない。


「それに私ね、ちょっと怒っちゃった。せっかくフィオと会えたのに邪魔ばっかりなんだもの。ゆっくりカワイイ顔を見てたいし、いっぱいおしゃべりもしたいし、帰って一緒に夕食だって食べたい。ベッドでまた添い寝して、いっぱい抱きしめたいのに。せっかく生き返ったんだから、フィオとやりたいことたくさんあるのにな」


「ふぇ?」


 なんだかそれは、わたしが望む事とほとんど一緒だ。

 それに今、「せっかく生き返った」とも言った?

 わたしが生き返らせてしまったばっかりに、また辛い思いをさせているんじゃないかと心配したのに。


 さっき聞こうとした質問の答えが、予想外にも返ってきた。

 しかも、わたしにとってはただ嬉しいだけの言葉となって。


 なんだか、頭が溶けそうなほど安心してしまった。この気持をどうぶつけたらいいのか分からなくなって、とにかくギュウっと抱きついた。

 ニアと触れ合うところがウズウズと波立つ。頬の下が虫歯みたいに切なく痛んで、涙袋のあたりが刺激される。


 生き返って、また一緒に居れることを彼女が望んでくれている。

 わたしの独りよがりじゃなくて、向こうも同じ事を思っていくれている。


 こんな状況なのに幸せなことばっかりで、気持ちいいことばっかりで。結局彼女にほだされてしまう。


「……フィオに良いもの見せてあげる。ついでにアイツらやっつけちゃうから」

「――うん」

 あんなに遠くに敵は居て、わたしを抱きしめながらどうやって、なんて分からない。

 でもニアが言うならその通りになるんだろう。彼女は嘘をついたことはあっても、こういう約束を破ったことは無い。


 死んでなお、わたしを助けに来てくれるようなとんでもない魔法使いなのだから。

 世界最強で、甘やかしのお姉ちゃんだから。


「花よ」


 魔力を巡らせ風が吹く。一つだけ白い花びらが舞い上がる。

 ほのかに光る魔力の塊が、彼女の顔を照らし出す。


 それを手に受け取って、口付けをするように引き寄せて。

 そうして魔女は、花びらを吹く程度の気軽さで。


「"ひとひらの災厄をブルームリトル" 流れ星」


 今度は奇跡を、降らせてみせた。


「ーーわぁ」


 日はほとんど暮れ落ちて、空は紫。

 そんな薄暗い街並みが、青く透明な光に包まれた。

 一瞬何が光ったのか分からず、けれど見上げればそれはあった。


 大きく、強く輝く青白い星。

 わたし達の真上を通り過ぎ、西の方へと落ちていく。

 発光は瞬きするように強弱を変え、あたり一面を照らし出す。

 影は流星の動きに合わせ、形や向きを変えていく。


 明るい軌跡を尻尾みたいに引き連れて、火花が滝のように滑り落ちる。けれどそれらは、見る間に儚く消えてしまう。

 残滓が消えてしまうからこそ、流れ星は美しさを増していく。



 一直線に落ちる宇宙の石は、最後まで燃え尽きる事は無く。

 西に現れた巨大な人喰い、呑天の一匹を貫いた。


「――」

 断末魔は聞こえず、代わりに地面の炸裂する音がした。

 大気が破られ、衝撃の波が輪っか状に広がった。

 呑天の腹をあっさり引き裂き、巨大な化け物の命を終わらせる。

 地面はへこみ、形をわずかに変えたのが遠くからでも分かる。


 そして、呑天は全部で残り九匹。

 奇跡は一つで終わらない。


「わぁ、うわぁ――」


 オレンジや、黄色や、紫に光る星々。

 それぞれの流星は色とりどりで、真上を通り過ぎるたびにわたし達を鮮やかに照らし出す。


 景色が次々塗り替えられて、一瞬の祭典に夢中になった。


 それらにただ見惚れていると、ふとニアがこちらを向く。

 彼女には今、流星の白い光が当てられている。

 世界は全て透明な光に彩られ、その中でも一番綺麗なものをわたしだけが見つけた。

 


 記憶を失くしていなかったら。人喰い魔女に襲われていなかったら。

 わたしは今も一人、あの村のあの小さな部屋で丸まってたに違いない。


 何も与えられる事無く消えていくはずだったわたしに、誰にも愛されず死んでいくはずだったわたしに。

 ニアはたくさんの特別を手渡してくれる。


 絶対に、他の人には成し得ない特別。

 それをわたしにだけはこっそりと見せてくれる。


 人喰い達が次々と倒れていく様子も、星が地面を貫く音も今や遠い。

 そんなのより大事なものが今ここにある。


 あぁどうか、時間が止まってくれたなら。

 でも、止まってくれる訳なんて無いから、せめて精一杯目に焼き付けないと。

 この一瞬を切り取って、他の誰にも見せてあげない。二人だけの宝物を手に入れていく。


 そうだ。また一つ思いついた。

 わたしはワガママな子供だから、さらに欲張る事にしよう。


「ニア」


「ん?」


「大好きだよ」


 ワガママだから、この思い出にほんの少し色を添えて。


「私も、愛してる」


 彼女はもっと大きく色を添えてくれる。


 きっと誰にも理解されない、こんな人喰いと人喰いの物語は。

 だけどわたしにとって、それはどんな絵本より素敵なお話として描かれていく。


 流れ星の短い命はいつしか果てて、けれどニアの青い瞳は未だわたしを魅了する。

 その瞳を見ていると、わたし達の物語はまだ輝きを増しながら続いていくんだと、そう信じられる。


 例えこのまま人喰いとして生きるとしても。例えまた、ニアが人喰い魔女に戻るかも知れなくても。

 例えこの再会が、『復活』という禁忌を犯した結果だとしても。

 もう罪の取り返しがつかないとしても。


 このまま離れなければそれでいい。

 何一つ許されず、何一つ正しくない。そんな関係のまま生きていく事にしよう。


「フィオ」

 名前だって、彼女が与えてくれた特別。そうしてわたしを呼びながら抱きしめる腕に力を込めるから、こっちだっておんなじくらい強く抱き返してやる。


 こんなの歪んでるって分かっていながら、甘い猛毒の中へと浸っていく。

 そうしてお互いにしがみついて振り返ることはなく、わたし達はどこまでも、どこまでも深く、歪んだ物語の中へと沈んでいくのだった。

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