第26話 花と刃
やがてタンポポは粉雪のように街へと降りかかり、ついたそばから地面や家屋に足を食い込ませた。
あたりは黄色の花が咲き、なのに街の中心の噴水広場はそこだけ色を塗り忘れたように寄り付かない。
「おいチビネラ、とりあえず基本の立ち位置だ。俺から離れるな。離れててめェだけ連れ去られたら即アウトだ。だが近くに居りゃあ魔女も派手な魔法は撃てねェ。向こうもてめェを巻き込んで死なせたくはねェはずだからな」
「分かった」
周囲の花はすべて転移の魔法。その膨大な力の持ち主とこれから殺すか喰われるかで向かい合う。まるで実感が湧かない。内蔵が浮いている。足の裏と地面の間に隙間があるかのようだ。
ふと、二階建ての上に根付いた黄色の花畑が、渦状の風に吹かれてざわめいた。パシャンと水に飛び込んで泡立つ時のように、魔力の粒が湧き上がる。同時にそこから、魔女が姿を現した。
「ニア」
声は届いてしまっただろうか。なぜ名前で呼んだのか自分でも分からない。
わたしは彼女を本当に殺したいのか。それともまた前のように一緒に暮らしたいのか。気持ちさえ定かじゃない。
いや、騙されるな。一緒に暮らすなんてもう無理に決まってる。元通りになりたいなんて、魅了の魔法が作った錯覚だ。これまでの彼女はもう戻って来ない。
「フィオネラ、一緒に帰ろ?」
分かっているのに、魔女の声を聞くと心が惑う。いっそ全て忘れて、またあの腕に包まれたいとさえ思う。前に踏み出す力と後ろへ下がる力が張り合って、タンポポよりも頼りなくふらついた。
「チビネラはもう返さねェよ。そんでお前はここで終わる」
魔女の表情がどこかへ消えた。白く滑らかな肌をして、その上動きを止めたので、人の形をした陶器のように思われた。
明るい青をした瞳は、中心が深海のように暗い。見ている内にその暗さをさらに漆黒に近づけて、どこまでも深くへと沈んでいくかのようだ。
「あなたには聞いていないのよ、スレイさん。だってその子はね――」
魔女が動いた。建物の上からストンと落ちて、足が地面に着く瞬間。
パシャンと姿が消えて。
「この子は」
耳元で、囁く声がした。
「私のよ」
魔女の腕が体に絡み付く。心臓が一拍だけ動くのを止めた。
「切り刻め!」
スレイの振ったナイフは後ろの魔女へ。青い魔力を纏ってわたしの頭上を掠めた。
同時に身体を後ろへ引っ張られる。魔女は身を逸らして刃を躱し、ついでにわたしをさらうつもりだ。
「……"
黒い魔力を翼の形に、肩甲骨から突き出した。魔女にはまだ見せたことのない技だ。さっきスレイを追い払う時とっさに考えた。振り払えるよう勢いよく練り上げて。
「ーッ」
息を呑むような気配だけがあった。さすがの魔女も驚いたのか、手を離す。
わたしの後ろにはいつの間にかタンポポの花畑。これで転移してきたのだ。少し向かい合っている間にこっそり作っていたようだ。
「"
ナイフが魔女の足元に向け振るわれる。青く小さな無数の斬撃が生まれ、小鳥の群れのように低空を這った。
魔女は地面を蹴って群れを躱し、同時に風の魔法で人間二人分の高さまで飛び上がる。
小さな斬撃は、そのままタンポポの花畑だけを切り荒らした。
「"
さっきのものとは違う、特大の青い斬撃が宙を走る。その軌道は宙に浮いた魔女を確実に捉えている。当たる。
「"
斬撃が切り裂いたと思った瞬間、そこに魔女の姿は無かった。代わりに枝のしだれた高い木が立った。刃の魔法が幹を切り、青い斬撃は木の全体へと伝わって、一瞬で刻み倒していく。
「消えた?」
見失って気が焦る。とりあえずスレイの背後に回って警戒する。
「街での私闘は禁止では無かったの?」
魔女の声がやや離れた場所から届く。ベンチの辺りで佇んで、その身はやはり無傷だ。
「人間同士の話だ。人喰いは処分に決まってんだろ。それより何をしやがった?」
魔女の手から魔力が巡る。
さっきの木にもあったものだ。
「風なびく亡霊。"柳"」
魔女が何かを宣言する。おそらくこれは魔女の魔法だ。花の魔法を使っている。
「柳? おいチビネラ、どういうこった?」
「多分、花の魔法の力。魔女は花にまつわる物語を魔法で再現することができるから」
「……なるほど。そういやてめェの前で自殺した時も、そんな事言ってたなァ」
前は『ヘリクリサム』だった。ある美しい女性の墓から咲いた花の話だ。墓から生えた花は摘んでも萎れず色褪せず。
「柳はここより遥か東の国にある木よ。柳に首を巻かれた彼女は、死してその木に姿を残す」
魔女が話している柳とは。姿を残すってことは、つまり。
「攻撃されたら、幻になって消えるって感じだね」
「あぁ。幻で、亡霊だな。死んでもねェくせに使えるたァわがままなこった」
亡霊ってのは怖いからわざと言わなかったのに。
「とにかく本物に当たるまでぶった切って――」
「復讐の水面。"水仙"」
次の行動を考える間にも、魔女の魔法は止まらない。
その力を予想する前に、背後から水面を強く叩きつける音がした。
噴水からだ。誰かがそこから飛び出して、剣を構え上空よりこちらを狙っている。その人物は。
「あれは、スレイ?」
「あァ!?」
スレイがもう一人。また亡霊? 本人と比べて表情が暗いような。けれど姿は本人とほとんど同じだ。全身が濡れてるので、見分けだけはつく。
「"
本物のスレイが偽物へ向け、青い斬撃を走らせる。同時に偽物が魔力を練ると、全く同じ斬撃で迎え撃った。
「なにィ!」
鋭い斬撃の擦れ合う音。キリキリと響くものが耳の中を引っ掻いた。互いの攻撃は砕かれあい、魔力の余波が顔を叩く。
偽物がストンと地面へ着地した。
「罪深き美貌の彼は、水面の自身に恋い焦がれ、やがてその命を枯らす」
魔女が物語を読み上げる。その話から発現した魔法がおそらく、目の前の偽物、水仙だ。
「水面に映る自身に恋い焦がれ、命を枯らすね。俺の姿をマネた水仙の花と戦わされるってところか。意外と陰湿だなァ人喰い魔女。派手なもんは苦手か?」
「だって、手加減が難しいのよ」
魔女がため息を一つ吐いて、眉をしかめた。スレイがその目を刃のように鋭くし、顔の上半分を赤く染めた。
ただ、水仙の方は待ってくれない。
再び高く飛び上がると、無言のまま魔力を吐き出し、空にズラリと剣を並べた。優に百を数える切っ先は、すべてスレイに向いている。
「ばッ――かやろ。"
悪態をつきながらも反応は早かった。
十本だけ、青い魔力をたぎらせた大剣がスレイを囲むように立ちあがる。
百を超す刃が雨のように降りしきった。スレイは十本だけの刃を、傘の骨組みのように広げて回転させ、激しい雨を凌いでいく。
「ぬぅぅ!」
鋼をぶつけ合う強烈な競り合いは、ものの数秒で終わった。お互いの剣が全て砕けて青く火花を散らして消えた。
最後に水仙が降ってきて、踏みつけに来た足をスレイのナイフが切り払う。
ギンと、固い物の擦れ合う音がして、水仙が距離を置いたところへはねて着地した。
「数が多けりゃいいってもんじゃねェ。自分の力に理解が足りねェな偽モン」
「――」
水仙の口は動いたが、声は聞こえなかった。
右手に新たな剣を持って軽く振る。青く小さい数多の斬撃を、スレイへ向けて解き放った。
「"
対してスレイも数多の武器を生み出した。棘のついたモーニングスターばかりを作り前方へと走らせる。その硬さに任せて斬撃の群れを切り開いていく。
「"
同時に自身も前へと飛び出し、既に水仙との距離を詰めている。相手の左胸へとねじ込むように手首を返し、貫く刃先はさらに尖る。
二人の間で火花が飛んだ。ヂィンと、細い鉄が弾き合いたわむ音がして、気付くと水仙は一歩引いていた。その手には全く同じレイピアがある。
「魔法も、得意な武器も同じか。嫌いだぜテメェ。"
魔法と同時に深く踏み込む。水仙の足に向かって、小さな突き刺す刃が無数に飛び出した。水仙は後方へと下がりながら迎え撃つ。片手に持った一本で巧みに叩き落とし、一つも攻撃を通さない――。
「さて。フィオ?」
「うわぁ!」
気付けば魔女はすぐ側にいた。しまった、スレイと水仙を眺めるのに夢中で離れてしまった。
「やべぇ。おいチビ……」
刃がスレイの頬を掠める。よそ見をする間に押されだした。あれでは、こちらに構う余裕はない。
「今の内に話できるかなって。きっと勘違いもあって、たくさん話が必要だと思うんだけど」
「勘違い?」
なんだ、やっぱり。なんて、一瞬甘い期待がわたしを支配しそうになって、踏みとどまる。
「フィオ」
いつもの優しい声。でも、惑わされるな。
「勘違いなんて無い!」
魅了の魔法の呪縛なんか、囚われ続けている場合じゃない。わたしはここでニアを、魔女を殺さなきゃいけないんだ。
「"
できるだけたくさん、できるだけ小さいシャボン玉を練り上げる。細かいそれらを右手にまとい、一歩踏み込んで。そのまま精一杯右手を振った。
魔女は瞳を見開いて、とっさに身を守ろうと腕を構える。
小さなシャボン玉がその腕ごと胴体へとぶつかっていく。全ての泡がニアの肉を巻き込み歪め、小規模な爆発を連続させた。
「あッつ」
魔女の口から漏れた声は小さいが、ハッキリと痛みが滲んでいる。
効いている。
ローブは破れその奥が覗き見れる。えぐられた腹から明るく赤い肉がむき出しにされていた。少しうごめいているのが分かって、右腕にザワリと罪の感触が走る。けれど。
「やっ、た」
「フィオ――」
魔女の表情が、悲しみに歪む。あっ、と思って。つい謝ろうとして、でもそれは踏みとどまった。
魔女は右手で怪我の具合を探りつつ後ずさりする。
すると突然、バシャンと水に落ちたように光の粒が舞い上がった。そこに魔女の姿はもう無かった。
「……また転移」
サッと広場を見て、どこにも居ない。タンポポの花畑のどこかに居るのだろう。
「ていうかスレイが時間稼ぐって言っといて、逆に時間稼がれてるじゃん……そうだスレイは?」
「"
見ると、スレイが弓なりに反った刃物を生み出していた。
少し距離をとった場所から、水仙がそれぞれ違う形の十本の刃を走らせた。軌道は一度外へと大きく膨らむ。より多くの方向からスレイへと刃先が向いた。逃げ場が減らされている。
「だよなァ。そういう癖だ、俺は」
左手前へと深くかがみ込み、同時に大剣の横腹を打ち払った。
それだけでスペースが空く。勢いを止めず、一瞬で水仙へと距離を詰める。
水仙のレイピアが下段の突きで迎えた。顔を貫く直前でスレイが飛び上がり、
全く同じタイミングで、スレイも刃を閃かせた。軽く素早いレイピアが先にスレイの左の腹を貫く。
「オオオ!」
背中側から、刺突の刃と血潮を生んでなお、それを無視してスレイは刃を振り切った。
水仙の左肩から右腰へ、鈍い光が真っ直ぐ通る。
身体が斜めに別れると、水仙はパシャリと音を立て水の塊へと還った。石畳にシミだけ残して姿を消した。
「ハァ、ハァ。倒したか? ああぁ、イッてェ。くっそ、チビネラ。傷薬くれ!」
「あ、あぁうん」
お出かけ用の小さなカバンから傷薬を取り出す。
傷が深いので塗り薬を一度にベチャリと取り出して、乱暴に塗りたくった。魔女の薬だけあってお腹を貫くほどの傷は、見ている間にすっかり塞がれてしまった。
「ハァ。ったく、薬といい花の魔法といい。どれもトンでもねェ」
「それより今魔女は――」
「身を裂く戒め"野薔薇"」
一息つく暇さえも、魔女は与えてくれなかった。
「ッんだァ!?」
茂みが生まれてスレイを飲み込んでいく。枝には棘が生えており、近くにいたわたしの腕も薄く切りつけた。
「いたっ」
思わず身を引く。そうして離れると茂みはさらに密度を増して、中に巻き込まれたスレイを高く持ち上げた。
「がァァ!」
小さな棘がスレイの肌を刻んでいく。暗い赤も明るい赤も混ざって、枝葉がその血を吸い取った。
「スレイ!」
毛穴すべてを塞げそうな数の棘が、肌をじっくりと切りつけていく。無意識に自分の腕をさする。
気付くとそびえ立つ茂みの前に、魔女が居た。
予想よりずっと近くに居て、足が止まる。魔法を使うことさえ忘れた。
「誘惑に捕らわれる聖人は、花の咲くまでその血を捧ぐ」
野薔薇の魔法を、魔女が物語る。
花の咲くまで。そう聞いて産毛が逆立った。野薔薇には白い蕾がたくさんあり、血を吸って、淡いピンクになった花が二輪だけ開いている。今でさえ大量の血が吸われているのに、まさかこれが全て咲くまで……?
「て、めェ」
「本当に、私は悪いようにする気は無かったんですよ。スレイさん」
瞳の中心にある深海を、どこまでも黒く染めながら魔女は平坦な声で語りかけた。
「だけど、あなたのせいで……フィオが、フィオが。私を本気で突き放して……こんなことになるなんて」
歪の魔法で攻撃した辺りを、魔女の右手がなぞる。腹部の怪我はまた『ヘリクリサム』で治したのだろう。傷などもう無いのに、痛みを堪えるように
「フィオ、あぁだめ。まだ離れるのだけは、ダメなのに……」
声が普段とは違う低い音へと変わっていく。何か大きなものが迫る気配があり、太ももが震えて動けない。ニアを見つめることしか出来ない。
スレイが死にかけているのに。助けに動けない。
これほど恐ろしいのに、目を離せない。
どこまでも、どこまでも瞳の暗さは深くなる。その深海はとてつもなく冷たそうで、なのにずっとついて行きたくなる。囚われてしまっている。
そうして行き着く海の底には、きっと一千万の命が輝いている。そんなの、覗いてみたくもなる。
魅了の魔法とは違う、魔性がわたしの瞳を惹きつけて離さない。
そして魔女は、ついに底へとたどり着き。
「スレイさんは、やりすぎです。大人しくさせてあげます」
「――"
スレイが脱出のための刃を生み出した。
数多の斬撃が茨を刻む。切り開かれた隙間から、魔女に向かって一つ大きな斬撃が飛ぶ。
「風なびく亡霊。"柳"」
斬撃を正面から受けて、魔女は再び"柳"へと還った。
スレイもいくらか自分の刃に切られつつ、縛り上げる棘から解放される。ドスンと背中から落ちて、しかしすぐに立ち上がった。
「"
スレイじゃない。魔女の声だ。
スレイの後ろに魔女はいた。彼が身構える前に、背後から短剣が刺そうと迫る。
「おぉッ」
スレイが身体をひねって腕を振りかぶる。魔法名も言わずに呼び出した剣はすでに両手に握られている。
魔女のダガーは半身をそらしたスレイの右横腹へ。刃が半分沈んでまた浮上した。
「らぁッ!」
それでもスレイは止まらない。ひねった身体の勢いのままに、背後へと剣の一閃を走らせる。ヒラリと飛ぶように魔女が下がって、一歩でかなりの距離を空けた。
「"
魔女から、刃の暴風が解き放たれる。それぞれが鋭く研がれたそれは、もはや壁のようで。
「"
スレイが聞いたことのない魔法を呼ぶ。
赤に染まった全身から、右手に向かって血が集う。浮いて玉になった血は渦を巻き、濃度の高い魔力が剣を形作る。離れたわたしまで切り裂かれそうな程鋭さを増していく。
そして魔女の繰り出した刃の壁が、そのままスレイへと迫って。
「フッ!」
血で練り上げられた剣を振るう。刃先から赤い
「おいおいおい。猿マネで本物に勝てると思ってんじゃねェぞ?」
特に傷の深い右横腹に血の刃を添え、深くかがみ込むとスレイは魔女の懐へと一息で踏み込んで。
「風なびく亡霊。やな――」
「おせェ!」
魔女の足元から右肩へ向かって、ヒュルリと血の刃を切り上げた。刃先の軌跡に沿って飛沫が舞う。一拍遅れて魔女の血が咲く。赤が混ざってどちらのものか分からなくなる。
今の一撃は完全に決まった。身体が分かれそうな程傷は深い。
魔女の身体は後ろへとそのまま倒れ込んでいく。
「――"
地面に倒れたと思った瞬間、トプンと影が水柱を立て、魔女の姿を沈めて隠した。
「ハッ、ハッ。今度は影の魔法かよ。だが確実に効いたな。逃げた先はどこだ?」
「そ、それよりスレイお腹。傷薬は?」
スレイの血は、右腕あたりの傷口から流れて剣を作っている。代わりに他の傷の出血がかなり収まっているが、このままではかなり危険なはず。
「いらねェ。血は武器にする。てめェはそれより歪の魔法を――」
「"《翻弄する影》シャドウプレイ"」
再び魔女の声。足元の影がスレイに従うのをやめた。水たまりのように薄く円形に広がったかと思えば、次は剣状の影が高く伸び上がる。八本の影が先を尖らせ、元の主人へと襲いかかった。
「やっべェ――」
それまで扱いなれた風に剣を操っていたスレイが、今度は乱暴に身体を回して刃を走らせる。
八本伸びた影の内、六つが血の刃に刻まれて、切り漏らした二つの影が右太ももと左脇腹を掠めた。
「ごほッ」
ついに口からも血が
「がァッ!」
もはや余裕もなく、スレイは必死に影の円から転がり出た。
「やばい。スレイまだ!」
「ハッ、ハッ。マジかよ――」
転がりでた先へ音も無く影が迫る。スレイの足元には細く長く影が伸び、水たまり状の影へと繋がっている。
「影がまだ繋がってる。まさかどこまでも追ってくるの? こんなの逃げる手段が無い」
どこまでも、どこまでも影は追ってくる。影から尖った先端が襲いかかり、スレイは血の剣で凌ぎつつ後ろへ、後ろへと下がっていく。
その時。影とスレイの攻防を見ていたわたしの視界に、魔女の姿が写った。
その周囲には降り注ぐ『ヘリクリサム』。あれほど盛大に切り裂かれた傷は、既に癒えているようだった。
そしてこちらを見てもいない。広場のベンチへ腰掛けて、魔法で糸を生み出している。その糸は針も無いのにスルスルと布を通っていく。
魔女は切られたローブや、内に着た服を繋ぎ直しているところだった。
「ゼェッ。こい、ツ! 大嫌いだぜてめェ」
「そう言われても……これでも一生懸命なのよ。暴れん坊な子はどういさめたら良いのかしら。スレイさんのお母様はさぞ苦労したでしょうね」
スレイの額からブチブチと音が立った。多分皮膚の内側では別の出血が始まっている。
「切り刻めェ!"
これまでに無い、長大な斬撃が繰り出された。血の赤と魔力の青を混ぜたそれは、影を一瞬でズタズタに刻んで細かいチリへと変える。
血の斬撃はそのまま真っ直ぐ魔女へ。後へ続くようにスレイが駆ける。それらは鳥より早く迫り、余裕を見せた魔女に避ける暇は無い。
確信する。少なくとももう一度魔女は斬られる。
対して魔女の動きは緩やかだった。ベンチに座ったまま指先を伸ばし、そこへ魔力を集わせると。
「お日様の赤ん坊。"鬼灯"」
一瞬だった。赤く眩い直線が伸びる。血の斬撃を焼き払い、スレイの横を掠め、建物を貫き、灼熱の閃光は角度を変えず上空へと吸い込まれていく。
ピィンと細い音が鳴った。
遅れて熱の波が巻き散らかされた。刃の魔法使いが左半身にそれを浴びる。肌は焼かれ、その下の赤い組織がむき出しにされていく。わたしに届いた熱の温度は、じっとりと汗を吹き出すほど高い。
日に貫かれた建物はドロドロと溶解の輪を広げ、中は高温によって景色を揺らめかせていた。
直撃すれば、スレイも今頃あれと同じように溶かされているに違いなかった。なのに魔女は、わざと外した。
「赤い実のなる茂みから、
魔女の口が物語を紡ぐ。そこから発現する魔法は、太陽の赤ん坊を、昇らせる事……その威力を理解するのには、今の出来事を見れば十分だった。
「ぐ、ぉ」
「大丈夫? 強くやりすぎたわ。ごめんなさいね」
魔女の魔法。最後のたった一発で勝負は終わった。
背の高い、銀髪の刃が折れる。右の腹を押さえながら、膝をついて俯く。
血の刃は元の液体となって垂れ落ちた。全身の傷から再び血が溢れ出す。猛烈に焼かれた肌よりも、その内側に決定的な亀裂が入ったようだ。
結局、ダメージは無い。
魔女の魔力は、膨大すぎた。
おそらくスレイはもう、立ち上がれない。
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