第21話 一人のお出かけ

ゆがめ。"歪む虹色グルームバブル"」


 「シャープラーの街」へと続く道の途中、林の中で狼の人喰いどもに出くわした。


 魔法の名を呼んで、素早く魔力を練り上げる。手を振るって、五つのシャボン玉を開放した。


 人喰いの狼達と同じ数だ。

 シャボン玉の四つは腰の高さでわたしの周りに漂わせ、一つは手の上へ。


「ゴフッー、ゴフッー」

 人喰い狼達は、ほとんど吠えずに荒い呼吸だけを繰り返している。

 鳴き声も無くどうやってコミュニケーションを取っているのかは分からないが、五匹いる内の二匹は既にわたしの後ろへ、もう二匹はわたしの前へ。逃げ場のないよう立ち位置を計算して取り囲んでいる。それぞれが食欲に燃える赤い目をして、茶色と灰色の混ざる体毛は逆立ち、ザワザワと揺らめいている。身体が大きく、体毛の下で普通の狼より遥かに筋骨を発達させているのが分かる。上顎から伸びる牙二本は長く伸び、歯茎をむき出しにしているため、下顎からはベタベタと大量のヨダレがあふれていた。


「狼のリーダーは……」


 少し離れたところに、片耳の欠けた人喰い狼がいる。おそらくソイツがリーダーだ。他の四匹よりさらに身体が大きく、他の四匹と違って呼吸は落ち着いている。狩りを手下に任せ、じっくりとわたしの様子を伺っているようだ。


「いかにも司令塔っぽい。最初はアンタだね」


 ニアが前に人喰い狼をやっつけていた時の事を思い出しながら。同じ手順で攻撃する。


「フッ!」

 手の平に持っていたシャボン玉を狼リーダーの元へ思い切り投げつけた。狼リーダーは側の木に素早く身を隠して躱す。

 その奥の岩へぶつかったシャボン玉は、岩の一部を歪めゆがて巻き込み、黒い魔力と共に、ゴボンッと重い音を立てて爆発した。

 人喰い狼の視線がリーダーの元へと集中する。


「ここッ」

 標的は次へ。視線を逸し、わたしに対し後ろを向けた一匹へ向かってシャボン玉を投げつけた。

 気付いて身をかわそうとしていたが、もう遅い。


 "歪む虹色グルームバブル"で練り上げたシャボン玉は人喰い狼の横っ腹へ。強靭な筋肉と、奥にある内臓ごとゆがめて巻き込んだ。バヂンッと、湿ったような、空気の破裂するような音が鳴る。黒い魔力と赤い血肉がまざって花火のように飛び散った。


「ガウゥッ!」


「あ"いっ!」


 背後から、飛びかかる狼の息遣いがして、とっさに左腕を差し出した。一匹やっつけている間に、他の人喰い狼は既に行動に出ていた。

 鋭い牙が深く肉を抉り、血がビシャリと溢れ出る。他の二匹、いや、リーダーを含めた三匹が、同時に動き出す。

 マズイ。痛みを感じるより早く、他の三匹の牙が喉を裂くよりも早く。


「……"歪な自己愛グルームグリム"!」


 左腕を、黒い魔力を纏う強靭なものへとゆがめる。

 一瞬でいびつな形の、腕とも呼べないような巨大な塊へと膨張させ、噛み付いた人喰い狼の顎を上下に引き裂いた。


 突然の変貌に、人喰い狼達が怯む。スキが見えた一番近くの狼へ、三つ目シャボン玉を投げ込む。その一発は警戒されて躱された。しかし、足を止めるには十分だ。


「あ、あっぶない。やっぱニアみたいにはまだ、うまくいかないか」


 黒い魔力を纏って膨張した左腕は、元の自分のサイズへ。「歪な自己愛グルームグリム」をもう一度、今度は右腕にも黒い魔力を纏わせた。


 右腕は鋭い爪を生やして攻撃用に。左腕は普通の手だが、硬く強固な拳骨を握って防御用に。


「歪め、黒爪こくそう!」

 人喰い狼が陣形を整える前に、こちらから前へ出た。

 三匹並んだ狼の一番遠く、奥の狼リーダーへ向けて叩き落とすように右腕の爪を振るう。


 狼リーダーはビクリと身を屈めて構えるが、距離を見て届かないと判断したのか足を止める。


「届くわよ」

 爪を振って一拍後、五本の黒線が迸った。狼リーダーへ向かって真っ直ぐに伸び上がる。

 相手にとっては予想外に違いない。赤く光る瞳を大きく見開き、距離があると油断していた足はとっさの回避にも走れない。


 五本の黒爪が狼リーダーの身を横から引き裂いた。一つの黒爪は自慢の長い牙を二本まとめて切り落とし、一つは顔を縦に割り、一つは前足ごと胸を落とし、一つは腹を中身ごと引き裂き、一つは尻尾を断ち切った。


 狼達の中でも強靭に発達した個体を、ほんの一瞬でズタズタの死体に変える。イケる。群れだろうと、人喰い狼にも勝てる。初めて実戦で振るう魔法だが、強烈な手応えを感じた。

 残った二匹はリーダーの死体を見て怯え、「キャン」と高い声を一度上げて逃げの姿勢を見せる。


「あ、待てッ!」

 鋭い爪でピンと指を差す。残った二つのシャボン玉が、狼へ向けてそれぞれ飛び出した。一つは間に立っていた木に。もう一つは狼の足元だけをえぐって土を爆発させた。


 当たらない。茂みを利用して二匹は疾走していく。

 取り逃がした。


「……逃しちゃった。ニアはあっという間に全部倒しちゃったのに」


 居なくなったのを確認して、両腕を本来のわたしの腕へと戻す。ヒズミの魔法であれば、ついでに噛みつかれた怪我も元通りだ。


 ……上出来だ。けっこう、いやかなり戦える。

 目を覚まして一週間とちょっと。記憶が戻る度魔力は高まるし、ニアが練習に付き合ってくれるからコントロールもできる。魔法の成長具合に確かな手応えがある。

 人喰い狼を一匹一匹倒していった時、勝利に近づいていくあの感覚。戦闘中は必死でも、勘が魔力を素早く正確に練り上げて、安定していた。オリの量も、かなり抑えられている。まだまだ戦える。


 途中背後を取られて危ない場面はあったけど、終わってみればかなり余力がある。

 たった一人で人喰いと出くわしたのは初めてだけど、失敗できない分集中力が高まって、学べることも多かった。

 

「よし……。よっし!」

 充実感が身体を満たす。一人でも、あの程度なら返り討ちにできる。


「一人で人喰いと戦うのは初めてだしちょっと不安だったけど、これなら街まで平気だね」


 そう、今回は「シャープラーの街」へ一人お出かけだ。

 もちろんニアには内緒で。


 ニアと別れるのがいつになるかは分からないが、彼女とは一つでも多くの思い出が欲しかった。

 少しでも強く、彼女の姿を鮮明に残す何かが欲しかった。そこで思いついたのがプレゼントだ。


 前にシャープラーの街を訪れた時に、石切場の近くの出店で花柄の装飾が施された髪飾りが売られていた。わたしが「これカワイイ」って言うとニアは「フィオに似合うね」って言ってくれたけど、わたしはニアに似合うと思って言ったのだ。なんだか会話がすれ違ったのが残念で、その場では「わたしは要らない」と言って離れたのだけど。


「……ニアの方が似合うよ、絶対。花の魔法使いだし。花柄の髪飾りならピッタリだよね」


 そういう訳で、今朝はニアが起きる前にさっさと一人お出かけしたのだ。バレないように。

 机に書き置きで「暗くなる前には帰ります。絶対、絶対ついてこないでね!」と残しておいた。


 わたしが一人で頑張ってお買い物して、カワイイ髪飾りを持って帰ったらきっとニアもビックリするだろう。絶対、喜んでくれる。

 前にお姉ちゃんと呼んだ時、泣きそうなくらい喜んでくれたあの顔を思い出す。

 瞳がキラキラとして、とても綺麗で。

 またあんな顔が見たい。ニアが居なくなってしまう前に、何度でも、いくつでも新しい思い出が欲しい。


 だから、ここから先はのんびりして居られない。


 街へ向かう足が自然と早まる。林の薄暗さが心なしか明るくなりだすと、道の終わりとその先に「シャープラーの街」を囲む大きな壁が見えてきた。


 小走りに駆け出して、花園が少し離れたことで寂しさが湧く。

 まだ街に着いたところなのに、早く帰ってニアに会いたいと、一緒にいる時間を増やしたいと気が焦る。


 門番が「止まりなさい」とかけた声は、スレイが作ったナイフを見せて通過して、足は緩めない。


 街へと一人たどり着いた達成感と、新しい思い出へと近づく期待感。息が切れて、少し疲れて、でも身体は驚くほどに軽い。


 時間が限られているから。避けては通れないから。だからせめてわたしは走る。

 目的地だけはどこまでもゆがまず、寄り道もせず。ニアの。大好きな、お姉ちゃんのところまで、一直線に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る