第14話 記憶と魔法と、澱

 宿で眠りにつく前に、日課となった『ヒズミの魔法』の練習を始めた。二人分の大きなベッドの端、腰掛けたニアの足の間に座り、背中で彼女にもたれかかった体勢から魔力を練り上げる。


「”歪む虹色グルームバブル”」

 魔法の名前を呼ぶ。ちょっとした儀式だ。

 こうすると、魔法のイメージが浮かびやすい。カチリとどこかでスイッチが入り、集中して魔力を操れる。ニアに最初に教えてもらったコツだった。


 いつも通り、手の平ほどの大きさのシャボン玉を作り出し、向こうに透ける景色を渦のようにゆがめてかき混ぜる。そのまま色も元の形も分からなくなって、一つのゆがみの塊となって完成だ。


「上手になったね、フィオ。円の輪郭もキレイだし、魔力の操作も丁寧になってる」


「ふふ、まーねー」


 ニアに褒められると嬉しい。パタパタと足でも揺らしたい気分だ。ニアは自分で魔法が得意と言うだけあって、教え方も上手で分かりやすい。それになんだか今日は、調子が良い。まだまだ力を込められそう。


 さらにシャボン玉に力を注ぐ。集中していると、スッと肩に手を乗せられた。


 同時に、幻影が重なる。冷たい、人喰いの手を想像してしまう。ビクッと肩がはねて、集中が途切れる。魔力が目一杯押し流しされて、シャボン玉が一気に膨れ上がった。


「うわ、うわ! まずい。大きくなりすぎ……!」


「わわ、フィオ落ち着いて、ゆっくり逆回し!」


 『歪む虹色グルームバブル』は本来、ヒズミの魔法で力を圧縮し、手の平サイズのゆがみの塊を練り上げる魔法だ。


 けれど今は魔力が行き過ぎて、両腕で半分も抱えきれない程大きくなってしまった。

 宿屋のものを壊す前に鎮めないとマズイ。


ゆがめ」


 魔力を巡らせる前に宣言する。

 今のシャボン玉が一つの完成形なら、元通りにするのもまた歪む力によって成し得る。一度歪んだものを、再び歪めて最初の形に直していく。戻す方が難しいが、魔法は細かなわたしの要望に正確に答えてくれる。


 作った時とは逆向きに魔力を巡らせる。今日は、調子だけは良いのだ。集中さえすれば、シャボン玉の歪む景色を元通りにすることはできる。

 落ち着いて、呼吸を整えて、逆向きに――――

 破裂しそうなほど膨らんだ”歪む虹色グルームバブル”は、みるみる内に小さくしぼんで消えていった。


「ふー! 危なかったぁ」


 ホントに危なかった。いくらビックリしたとはいえ、魔法が暴発ぼうはつしたら大事おおごとだ。


 いやでも、そうなってしまう。

 だって人喰い魔女かも知れない相手に、急に肩を触れられたら、そりゃあ。


 ……ニアが人喰いだとまだ確信したわけじゃないし、実は違うんじゃないかって、信じていたいって思っているけれど。わたし自身、ニアをどう思っているのか分からない。人喰いなのか、そうでないのか。


 自分の心はどうなんだろうと試したくなって、ニアの足の間に入ってみたのだけれど、案外平気だった。背中にニアの胸の膨らみを感じて、安心して。なんだ、やっぱり大丈夫じゃないか。なんて最初は思っていたのに。


 でもニアの方から触れられると、ダメだ。

 どうしても人喰いの幻影が重なる。その手がわたしを捕まえて、口元に招かれ食われるんじゃないか。なんて想像してしまう。


 ニアと触れ合える事が、わたしは大好きだった。これからもずっと、ニアの心地いい体温を感じていられると、そう思っていたのに。


 今は、触れられることが怖い。とても怖い。怖すぎて、肩に手が乗っただけで魔法が暴走しかけるほどに……。


「ホント、危なかった。フィオ、なんだか急に魔力が強まってる。昨日までとは比べ物にならないくらいだったよ。何かあった?」


「ん? うーん……、分かんない」

 いや、心当たりはある。でもニアを信じきれない今、これを話すのはマズイ。


 記憶だ。

 ママと、そして人喰い……。もしかすると、『人喰い魔女』ニアに、食べられかけた記憶。それを昨日夢で見て思い出したためだ。


 その時、記憶と一緒に魔力が戻ってきたのだろう。記憶が無いから、魔法の使い方も忘れているのだとニアが言っていたし。

 実際に今の練習では、魔力を滑らかに巡らせるイメージが自然と湧いた。まるで体が思い出したかのように。そして一度の魔法に込めた魔力も、後から後から湧いてきて、強力なものを作れそうな予感があった。


 今は失敗しちゃったけど、でもかなりの手応えを感じた。この感覚をモノにすればきっと、人喰いとだって戦えるほどに……。



「あぁ、魔力が強くなったのはいいけど、これ……」


「ん? んんんんんー!?」


 せっかく魔法の使い方は思い出してきたのに、これは。


「急に強い魔法を出しちゃったせいかなあ。すっごい澱」

 薄い寝間着の袖から覗く二の腕。そこに黒と紫の混ざるアザのようなものが浮かび上がっていた。魔力のカスが溜まってできた、オリだ。ほっとくと痛むし、力は入らないし、体には毒となる。

 

 昨日も酷かったけど、こんなに濃ゆいのはまた初めてだ。鈍く、強く痛む。

 オリに気が付いてしまうと途端に、気分が――――


「……はレ?」


「フィオ!?」


 体がドサッと倒れ込む感覚。二の腕だけじゃなく、どこからともなくオリの溜まった鈍い痛み。視界がぼやけて、ゆがむ。気が遠くなって、あ、まずい。

 これ、全身で、とんでもない量、オリが――――

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