011 氷牙コウモリ (3)

「ほぉー、ここがその洞窟か。結構大きいな」

 アンドレさんたちの案内によって、私たちは迷う事も無く、北の洞窟に辿り着いていた。

 幅二〇メートルほど、高さ一〇メートルほどの洞窟の入口を見上げて、アイリスさんが感心したような声を上げている。

「結構近いのね。これなら、気軽に来られるけど……問題は、きちんと狩れるか、よね」

「強くはないですから、大丈夫ですよ。一斉に襲ってこられると判りませんが、普通は襲ってきませんから。……普通は」

「普通は?」

「多少狩る程度なら逃げる方を優先するんですが、例えば洞窟の入口を塞いで殲滅しよう、とかすると、向こうも死に物狂いで襲いかかって来るようですね。過去にはそれで、全身が凍り付いて死んだ人もいるみたいです」

 果樹園にとっては害獣だから、当然殲滅しようとした事例もある。

 十分な実力者がいれば問題ないのだが、中途半端な人員で対処しようとすると、そういう事故も発生しうるのだ。

 なので一応注意を促したところ、アンドレさんたちは鼻白んだ様に神妙な顔になって、頷いた。

「お、おう……油断はできねぇって事だな」

「採取作業中は常に油断はできない。当然だな」

「大丈夫ですよ、今回は。いきなり広範囲魔法でも放り込まない限り。使える人は……いないですよね」

「店長殿、そんな魔法が使えれば、先の襲撃の時に使っている」

「なら大丈夫です。では、行きましょうか。まずは、『風壁エア・ウォール』」

 全員をカバーするように超重要魔法を使い、洞窟の中に足を踏み入れる。

「むっ、く、臭いなっ!」

「え、えぇ、これはなかなか……」

 すぐに声を上げたのはアイリスさんとケイトさん。

 まぁ、臭うよね。床面、全部アレだもの。

「アンドレさんたちは……まぁ、採集者だからアレとして」

「おい、アレって何だよ!?」

 ケイトさんはアンドレさんの抗議をサラリと流し、私の顔を心配そうに覗き込んでくる。

「店長さんは大丈夫なの?」

「臭いのは間違いないですが、錬金術の素材には、かなり臭いのきつい物もありますからね。それこそ何らかの対処しなければ、意識を失うような物も。ちなみに今は、臭いを軽減するお薬を使ってます」

「ズ、ズルい! 店長殿、私にもそれを!」

「ちょっと良いお値段しますけど、良いですか?」

「うぐっ!」

「しゃ、借金が……」

「冗談です。今回だけは、使って良いですよ。はい、これを嗅いでください」

 私は取りだした小瓶の蓋を開け、アイリスさんたちの前に差し出す。

 その小瓶に鼻を近づけ、息を吸い込んだ二人は、すぐにその効果を感じたのか、目を見開いた。

「臭くない! ……事はないが、凄くマシになった!」

「えぇ。全然違います」

「一定以上の臭いはカットしてくれる錬成薬ポーションです。完全に嗅覚をダメにしてしまうと、危険ですから」

 錬金術を行う場合でも、臭いは重要だからね。

 臭いによって加熱時間を変えたりする時や、焦げる臭いで危険性に気付いたりとか、嗅覚ってバカにならないのだ。

 この『程よくカットする』という部分が錬成薬ポーションたる部分。

 だからこそ高いんだけど。

「さすがは錬成薬ポーション、凄いな」

「さすがに毎回無料で提供はできませんから、どうするかはお任せします。借金を増やすか、我慢するか」

「むむ……悩むな」

「我慢できない事も無い、ってあたりがね」

「アンドレさんたちも使いますか?」

「いや、俺たちはいい」

「ま、耐えられるレベルだからな。採集者の中には、『いつから身体洗ってねぇんだよ!』って奴もいるからな」

「さすがにここまでひでぇのはいねぇだろ!? ……少なくとも、この村の採集者には」

 え、この村以外にはいるの……?

 そんな採集者、店に来て欲しくないかも。

 ――本気でこのレベルの人がいるなら、出入禁止にすることも辞さないよ、私は。

 店番をしているロレアちゃんが可哀想すぎる。

「ちなみに、この床を削り取って持ち帰れば、良い肥料になるみたいですよ」

「お、そうなのか? サラサちゃんの所で買い取ってくれたり――」

「は、しません。錬金術の素材では無く、すでに肥料ですからね。売るなら農家相手でしょうが、この村の農家が買うかどうか……」

 今はちょっとお金を持ってるかもしれないけど、普段はそうじゃない。

 お金を出して肥料を買う事は、なかなか難しいだろう。

 それに、肥料という物は、使ってすぐに効果が出るわけじゃ無い事も問題。

 アンドレさんたちぐらい、長期にこの村に滞在していて、ある程度信用されている採集者ならともかく、素性の判らない採集者から、大事な畑に撒く肥料を買うかどうか。

 悪影響が出るリスクを考えれば、たぶん買わないんじゃないかな?

「そうか。なら、知り合いにタダでやるぐらいか……」

「量が多すぎると逆効果ですから、気を付けてくださいね。――それより、本命です。上を見てください」

「上……うわっ!」

 私が指さしたのに釣られて、素直に見上げたアイリスさんが、声を上げる。

 アンドレさんたちも、驚いたようにぽかんと口を開けている。

「こいつは……多いな……」

 天井に張り付いていたのは、氷牙コウモリ。

 それも、実際の天井が見えないほどにびっしりと。

 何匹いるのか数える事なんて、とてもできそうに無い。

「こ、この中から、五歳以上の個体を探すの? 店長さん、無理じゃない?」

「あぁ、無差別に斃してみるぐらいしか、方法はなさそうだが」

「いえいえ。少し難しいですが、この状態でも年齢を判別する事は、不可能ではないんですよ。例えば……あれですね」

 そう言いながら私は、魔法を使って一匹の氷牙コウモリを攻撃。

 ぽてんと地面に落下した氷牙コウモリを拾い上げ、アンドレさんたちに示すが、彼らはただ首を捻るのみ。

「……いや、なにを基準に攻撃したんだ、サラサちゃん」

「あぁ、俺たちにはさっぱり判らないんだが」

「相手の魔力量ですね。一定以上の魔力を持つ氷牙コウモリを狙います」

「いや、無理だから! 俺たち、そんなの感知できねぇから!」

 平然と答えた私に、ギルさんが激しく反論し、他の人たちもまたウンウンと何度も頷く。

「はい、解ってます。この方法で判別しろとは言いません。まずは体長ですね。他の物より大きいのですが、判りますか?」

 私は氷牙コウモリの足を持ってぶら下げ、その体長を示す。

 アンドレさんたちは、その氷牙コウモリと、天井に張り付いた氷牙コウモリを何度も見比べる。

 けど……イマイチ判ってない?

「……言われれば、ちょっと小さいように見えるけど」

「いや、ほとんど差が無くないか? 私には判らないぞ?」

「この距離じゃ判らねぇよ……」

 私の狩った氷牙コウモリは、足先から頭の先までおおよそ二〇センチあまり。

 天井に張り付いているのは、小さい物で一〇センチほどから。これよりも大きい個体はあまり多くない。

 何となくでも判るのは、ケイトさんと、辛うじてギルさん?

 ケイトさんは弓を主体にしてるから、観察力が鋭いのかな?

「まぁ、外見については措いておきましょう。次は牙で判別する方法です」

 氷牙コウモリの口を引き開け、その牙を示す。

 二センチぐらいの牙が二本。

 “氷牙”と名前に付くだけあり、身体の大きさから考えると、結構大きい。

「まずは色。青が深いほど年齢が高いです」

「ほー、なんだか綺麗な色だな……」

「これまだ薄いですが、一〇歳を超えると、紺青こんじょう色になりますから、もっと綺麗ですよ」

 感心したような声を上げ、牙を触ろうとするアイリスさんから、それを遠ざけ、言葉を続ける。

「次に冷却能力。素手で触って、すぐに触れていられないほど冷たくなれば、十分価値があります」

「ほうほう」

 素直に手袋を外し、牙を触ろうとしたアイリスさんから、再び氷牙コウモリを遠ざける。

 そんな私に、アイリスさんが不満そうな顔を向けるが、私はダメダメと首を振る。

「牙に何か刺しても判ります。そうですね、五歳以上なら、人の指が数秒で凍り付くぐらいですね。アイリスさん、試してみますか?」

「い、いや、いい!」

 ブルブルと首を振り、慌てたように手袋を履き直すアイリスさん。

 うん。説明中に手を出すのは危ないんですよ?

 錬金術の授業でも、実験中は絶対に近寄らない。

 許可が出るまでは、触ったりしないってのが鉄則だったからね。

「最後は、ここ、牙の根元を見る方法ですね。筋のような物があるのが判りますか?」

 私が示した場所をアンドレさんたちが興味深そうに、アイリスさんは恐る恐る覗き込む。

「……ちょっと、暗くて見えねぇな」

「あ、そうですね。『ライト』」

 あまり明るくしすぎて氷牙コウモリが騒ぎ出しても困るので、ほんのりとした明かりを灯す。

 それで見やすくなったのか、アンドレさんたちは『ふむふむ』と頷く。

「確かに、筋があるな。これの数が年齢か?」

「そうです。これだと五本あるので、六歳ですね」

「なるほど。これなら私にも判別できるな。だが、斃さないと判らないのでは……ケイト、何とかなるか?」

「私も、このぐらいの僅かな差だと、確実に判別できるかは……」

 アイリスさんに訊かれ、ケイトさんは渋い表情で首を捻る。

「ギル、お前はどうだ?」

「俺も自信はねぇよ。そもそも、俺たちはどうやって斃すんだ? ケイトちゃんなら弓があるけどよ」

「だよな。サラサちゃん、何か方法はねぇかな?」

「いえ、普通に網でも使えば良くないですか? 虫取り網的な。羽虫を捕まえる時、使いますよね?」

「……おぉ、そうだな。ちょっと長めの柄を付けて、網を少し頑丈にすれば、それで良いのか」

 氷牙コウモリなんて、牙以外の攻撃力なんて、ほぼ皆無なのだ。

 網で絡め取ってしまえば、何もできなくなる。

 ハッキリ言って、対処方法さえ間違わなければ、とてもボロい獲物なんだよねぇ。

 それこそ、私が自分で大量に回収して帰りたいぐらい――いや、回収して帰る予定ですけどね。

「後は、この二本の牙を折り取って持ち帰れば完了です。指に刺さったりしないように慎重に持って、内側に倒すと、案外簡単に折れますよ」

 私はそう言いながら、バキ、バキと牙を折り取り、持ってきた革袋に放り込み、身体の方は足を掴んで洞窟の外へポイ。

 シュポーンと飛んで行った氷牙コウモリの死体は、木々の間へと消えていく。

「残った身体の方は、ほぼ使い道が無いので、捨てます。が、できれば洞窟の外に捨てる方が良いでしょうね。ここで腐ってしまうと、次に来る時に困りますから」

「お、おぅ……」

「あと、もう一つ。こういう洞窟の場合、奥にいる氷牙コウモリの方が、年齢層が高いです」

「……ん? なら、一番奥で狩れば、年齢を気にする必要はねぇのか?」

「入口の所にこの年齢の氷牙コウモリがいましたし、今ならそうでしょうね」

「今なら……あぁ、そういう事か。奥のを狩っていけば、若いのが順次奥に入ってくるって事だな?」

 少し考えて、納得した様に頷いたアンドレさんに、私もまた頷く。

「そうです。なので、判別できるようになるのは、無駄じゃないですよ」

「そうなのか。つっても、俺には無理そうなんだがなぁ……」

「そこは頑張ってください、としか」

「だな。おう、ギル、頑張れよ?」

「俺かよっ!? まぁ、努力はするが……奥に五歳未満の個体が住み着くようになったら、引き上げるのが賢くねぇか、これ」

「そのあたりはお任せします。正直なところ、私の予想以上の生息数なので、全部狩ってこられても、買い取れないですから」

 狩る人がいなかったからだろう。

 入口でのこの数。

 この洞窟に生息している氷牙コウモリの総数は、想像もできない。

 これを狩り尽くすような事をしたら、この国の氷牙コウモリの牙の相場自体が下がるんじゃない?

「ま、とりあえず奥に進んでみましょう。ここで話していても仕方ないですから。アンドレさん、この洞窟の深さ、ご存じですか?」

「ん、すまねぇ。俺たちも実際に入るのは初めてなんだよ。俺たちの先輩のドレイクさんなら知ってたと思うんだが、もう引退しちまったからなぁ」

「ですか。まぁ、行ってみれば判りますね。慎重に進みましょう」


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