005 私のお店は……

 そして現在、私は古びたお店の前で立ち尽くしていた。

「……はぁ、どうこう言っても仕方ないか。もう来ちゃったんだから、何とかしないと!」

 あの時の決意を思い出せ、私!

 師匠に恩を……おや? このお店を選んだの、師匠だよね?

 ――いやいや、師匠もこんな状況とは知らなかったんだし。

 でも、就職じゃなくて、お店を買うことを決めたのも……。

 ――いやいやいや、師匠のことだもの。きっと私を思ってのことだよ! うん、きっとそうに違いない。そうでないと心が折れそう……。

「と、とりあえず、状況の確認からだよね!」

 気を取り直した私は、改めてお店の外観を眺める。

 確かに看板は傾いて今にも落ちそうだけど……よく見ると、家自体はそんなに傷んでないかも?

 荒れた庭に朽ちた木の柵、汚れで中の見えない窓ガラスのせいで見窄みすぼらしくは見えるけど、屋根はしっかりしているし、壁の漆喰にひびこそ入っていても実際に崩れている部分はない。

 扉や窓もしっかりしているし、これは看板を直してお掃除さえすれば、結構悪くない物件かもしれない。

「うん! よし! ちょっとやる気出てきた! まずは中に入ってみるかな」

 ポケットから鍵を取り出し、草を踏み分けて扉に向かおうとしたところで足を止める。

「これって……薬草じゃない?」

 扉に続く路地にも大量に繁茂する草。

 それをよく観察してみると、錬金術の素材となる薬草がポツポツと生えている。

 そういえば、薬草畑が付いているんだよね、この家。

 そこから種が飛んできたのかもしれない。

 ほとんどはただの雑草だけど、薬草を踏まないように歩くのも難しい、なんとも微妙な割合。

 路地以外にも生えているのだから、無視して踏み分けて行っても良いんだけど、私から見れば小銭が転がっているようなもの。

 貧乏性な私が、小銭を踏みつけて歩くことができようか!?

「……回収、回収」

 家に入るのは少し保留にして、ひとまず路地の薬草回収を始める私。

 人一人が歩ける範囲の草を抜いていく。

雑草ゴミ薬草お金雑草ゴミ薬草お金雑草ゴミ雑草ゴミ薬草お金……」

 ブツブツとつぶやきながら、引き抜いた草を分類して積む。

 薬草一本一本は大した額じゃないけど、このまま扉の所まで回収していけば、下手すると庶民の一日分の収入ぐらいにはなるかもしれない。

 もっとも、すぐに処理しないと価値が落ちるから、錬金術師だからこそ価値があるんだけどね。

 ひたすら草抜きをすること暫し。

「あら、お嬢ちゃん。何しているんだい?」

 扉まで後半分ほどという所まで来た時、不意に後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、ちょっと恰幅のいい四〇代後半ぐらいの女性が立っていた。

「えっと……」

 客観的に私の状況を見ると……空き家の前で、見たことの無い小娘が、ブツブツ言いながらひたすら草抜き。

 うん、ちょっと怪しいね!

 こういう小さな村って、すこし閉鎖的なところがあると聞いたことがあるし、もしかして私、かなり不審に思われてる!?

「そのお店に用事……ともちょっと違うようだけど、そのお店はずっと前に閉店してるよ?」

「いえ! 違うんです! ここ、私の家! です。この家を買って引っ越してきたんです!」

 いぶかしげに言うおばさんに私は慌てて否定した。

 閉鎖的なコミュニティに入るには、第一印象がとっても大事!

 学校なら孤立していても問題なかったけど、ここで生活していく以上、ご近所さん達とは仲良くしないと!

 おばさんネットワークはバカにできないから、私は慣れない笑顔を必死に浮かべて挨拶をした。

「よ、よろしくお願いします!」

「買った? と言うことは、お嬢ちゃんは錬金術師様!?」

「は、はい! まだ新米ですけど、錬金術師です! サラサと言います」

「まぁまぁ。あたしはここの隣に住んでるエルズってもんだよ。ってもちょっと離れてるけど、何かあったらいつでも来ておくれ」

 おばさん――エルズさんは店の左手の方を指さしながら、ニッコリと笑って応えてくれた。

 よかった、ファーストコンタクトは取りあえず及第点、だよね?

 もちろん、怪しい草抜き場面を見られたことは、頭の隅に放り投げておく。

「しかし、またウチの村にも錬金術のお店ができるんだね。ちょっと不便だったから助かるよ! 頑張っとくれ!」

「はい、ありがとうございます。……ところで、このお店、何で閉店したかご存じですか?」

 経営不振とかだと、色々考えないといけない。

 師匠への素材の卸しだけでも最低限の生活はできそうだけど、錬金術師としてそれだけじゃ、ね。

「あぁ、この店は高齢の爺さんがやってたんだけど、腰をやっちまってね。心配した息子が連れに来たんだよ。だから客の心配はそんなに要らないと思うよ?」

「そうなんですか?」

 小さい村だから、あんまり需要が無さそうなんだけど。

 そんな私の気持ちが伝わったのか、エルズさんは苦笑しながら言う。

「そりゃウチは小さい村だけど、錬成薬ポーションは必要不可欠だからねぇ。それに、この村は樹海に入る採集者たちが結構滞在してるから、そいつら向けの薬を置けば店は安泰さ。買い取りもすりゃ良い稼ぎになるんじゃないかい?」

 “採集者”とは、大樹海などの各種錬金関連素材が採取できる場所におもむき、それらを集めて売ることを生業にしている人たちのことだ。

 そういった場所は一般的に危険性が高く、必然的に怪我なども多くなる。

 そのため、採集者は錬金術師にとって素材の供給源であると共に顧客でもあるのだ。

「採集者がいるのはありがたいですが、買い取りについては状況を見て追々でしょうか。買い取っても販売先やここからの輸送も考えないといけないですし……」

「そうなのかい? おばさん、そういった錬金術の商売のことは解らないからねぇ」

 ここのように産地の近くで安く素材が入手できるのはある意味当然としても、それを安易に買い取っていては早晩破綻する。

 まず買い取った物を、そのまま保存できることはあまりない。

 放置しておけば、腐ってしまったりして使い物にならなくなるので、長期保存できるように下処理が必要となる。

 それをするのは当然私なので、処理できる量以上に買い取ってしまっては廃棄が発生してしまう。

 更に販売先まで輸送コスト、売れ残りや輸送時の破損による損失なども考慮した上で値段を付けて購入しないといけない。

 ――と、師匠のくれた冊子に書いてあった。

 各種素材の王都での販売価格や仕入れ価格の表まで付いていたのだけど、その価格を単純に参考にするだけだとすぐに赤字になるぞ、と注意書きが。

「買い取りはともかく、店の方はいつ開店する予定なんだい?」

「えっと、お掃除して、準備してだから……一週間ぐらいでしょうか」

 まだ中を見てないのではっきりとは言えないけど、まだ商品を作っていないのでそのくらいはかかると思う。

「そうかい、そうかい。何か手伝えることがあったら言っとくれ」

「ありがとうございます」

 にこやかにそう言うエルズさんに、私は再び頭を下げた。

 

    ◇    ◇    ◇

 

 エルズさんを見送った後、草抜きを再開した私は、慣れてきたこともあり、程なく扉まで辿り着いた。

 ポケットから取り出した鍵を鍵穴に差し込んで回すと、軽い音と共に鍵が開き、扉が開いた。

 予想外にガタつきもなく、スムーズに開いた扉から中を覗く。

「……思ったよりも、汚れてない、ね?」

 かなり埃っぽいことを想像していたのに、案外綺麗な床。

 扉を入ったところは店舗スペースらしく棚が並んでいるが、そこにも多少埃が積もっている程度で、中に入った途端、埃が舞い上がるような様子はない。

「そういえば、錬金術師のお店だし、『清掃』の刻印があるのかな?」

 通常、錬成具アーティファクトを作製する場合は、対象物を錬金釜に入れて錬成を行う。

 では、錬金釜に入らないような錬成具アーティファクトは作製できないのかと言えば、そうではない。

 そのための方法が“刻印”である。

 ただし、錬金釜を使う場合に比べると手順が複雑になる。

 簡単な物であれば特殊な塗料で文様を書くだけで作れるが、複雑な物になると複数の錬成具アーティファクトを特定の場所に埋め込んだり、対象物の形を刻印に合わせて変えたりしなければいけない。

 例えば家であれば、部屋や廊下の位置、部屋の使用用途、窓や煙突の有無なども刻印に含めてしまうのだ。

 これにより、理論上は都市を丸ごと錬成具アーティファクトにすることも可能なのだが、錬金釜を使った場合と比べると手順の複雑さ以外にもデメリットは大きい。

 まず第一に、効率が悪い。

 同じ効果を得ようとするならば、必要とされるコスト、錬金術師の腕共に何倍にもなる。

 また、錬金術師による定期的なメンテナンスや魔力の補給なども必要で、現状ではあまり一般的に使われるような技術ではない。

 逆に言えば、錬金術師の店なら十分に使う価値があるんだけどね。

「師匠のお店だと、工房の壁にコアがあったんだけど……」

 コアとは刻印の基点となる物で、最も重要な部分のことだ。

 とはいえ、一度作ってしまえば、後は魔力を注ぐ時ぐらいしか使わないので、適度に邪魔にならない、それでいて魔力注入がやりやすい場所に設置するのが普通。

 取りあえず、各部屋の窓を開けて空気を入れ換えながら、コアを探すことにする。

 店舗スペースの右奥、カウンターの中にある扉を開けると真っ直ぐに廊下が延びていた。

 右側は外に面していて窓があり、左側に扉が四つと二階へと上がる階段、突き当たりにも扉が一つある。

「一つは……ただの部屋。もう一つが、倉庫? 棚があるし。トイレと……残りが工房で、突き当たりが台所か。……あ、ここにコアがある」

 階段の下、壁の中に埋め込まれた魔晶石。

 一見すると普通の石みたいで何か印があるわけではないが、そこから家全体に魔力が流れているため、錬金術師ならすぐに判る。

「でも、ほとんど切れてるね」

 魔晶石から流れ出る魔力は極々微量で、刻印の維持だけで精一杯というレベル。

 もう一年もすれば刻印自体が機能停止していたんじゃないかな?

「……取りあえず、めいっぱい注いでおこうっと」

 自慢じゃないけど、私、魔力量だけには自信があるんだよね。

 たぶん、師匠が採用してくれた理由の一つはこれ。

 初級の錬金術だけでは使い切れないので、時々師匠のお店でもコアに魔力供給していたぐらい。

 コアに触れて、そっと魔力を流していくと、魔晶石の周りに刻印の文様が浮かび上がってくる。

「うん、やっぱり『清掃』が……あれ? それに『防犯』も含まれてる?」

 学校の授業で実習をしただけで、家みたいな大型の刻印を作ったことはないが、習うだけは習っているので読み取ることはできる。

 腕の良い錬金術師が作ったのか、かなり複雑な刻印になっているが、メインとして『清掃』、サブとして『防犯』が含まれていることは見て取れた。

 若干よく解らない部分もあるが、家主に不利益な物は含まれていないはずなので、どんどん魔力を注ぐ。

「……う~ん、結構、容量があるね」

 私の全魔力、そのおおよそ半分程度を注いだところで、いったん手を離す。

 これで一杯にならないとか、魔力量に自信を持っていた私としては、なかなかにショックなんだけど……。

 錬金術師としては新米だけど、師匠にちょっと呆れられるぐらい魔力はあるんだよ?

「……まぁ、いいか。動作に問題は無いし、ぼちぼち追加していけば」

 刻印の機能さえ回復するなら無理して満タンにする必要も無いし、魔力を使い切ると、働く気力も無くなってしまう。

 最低限、今日寝る部屋と台所だけはお掃除しておかないとね。

 せっかく新しい家に着いたんだから!


    ◇    ◇    ◇


 二階の部屋は大小合わせて八部屋もあったが、すべての部屋は空っぽ。

 一切合切いっさいがっさい、な~んにもない。

 備え付けの棚みたいに、動かせない物だけが残っている。

 普通、引っ越すにしても、ある程度の家具は置いていくんだけどなぁ……?

 近所ならともかく、他の街ともなると大きい家具は運ぶ方が大変だから、知り合いにあげたり、古い家に置いたままにする。

 寮の私の部屋に置いていた小さいチェストも、そうやってもらってきた一品。

 師匠の知り合いからもらっただけにちょっとした高級品で、お気に入りだったんだけど、さすがに持ち運べないので置いてきたのだ。

 処分されると哀しいので、誰か新入生が使ってくれたら良いんだけどね。

 ……あ、もしかすると、この村にたまたま新婚さんでもいたのかな?

 結婚して新居を建てた場合なんかには、こんな風に全部もらっていって、足りない物だけを注文する事があるみたい。

 新婚だからと、一気に全部、新品で揃えるなんて、金銭的に大変だからね。

「ちょっと覗いた台所も空っぽだったし……」

 テーブルも椅子も一切無かった。

 唯一の例外は、錬金工房。

 あそこだけは手が付けられていない様子で、むしろ引っ越しの際、何一つ持っていかなかったようにも見える。

 ちょっと掃除すれば、明日からでも仕事ができそうなほど。

「まぁ、おかげで掃除が楽、かなぁ……」

 先ほど魔力を注いだ『清掃』の刻印。

 家の掃除が格段に楽になるこの刻印だけど、残念ながら弱点もある。

 一つはエクステリア――家の外壁や窓、屋根などには効果が出づらいこと。

 ちょっとずつしか綺麗にならないから、常に雨風に当たる部分に関しては、追っつかないんだよね。

 そしてもう一つは、にしか効果が無いこと。

 家具を置いていると、そこに積もった埃や汚れは綺麗ならない。

 つまり、現時点で家具がほとんど無いこの家は、数日中にはほぼ綺麗になっている可能性が高かったりする。

「でも、寝る場所も、食事する場所もないんだけどね……」

 ベッドやテーブルは買うしか無いけど、この規模の村だと在庫はないよね。

 しばらくは毛布だけで寝るしかないかぁ……屋根と壁があるから野宿よりはよっぽどマシだけど。

 あと、食事は外食するか、床に座って食べるか。

 採集者がいる村だから、食堂の心配が無さそうなのは安心。

 ひとまず南側の一番日当たりの良い部屋を自室ということにして、荷物を置き、再度一階へ降りる。

 一番気になるのは工房だけど……今入っちゃうと絶対時間を忘れちゃいそうなので、涙をのんで我慢。台所を調べる。

「汚れてないけど……コンロも無い……」

 熱源として、庶民の家庭で一般的なのは、薪や炭を使う竈。

 それが設置されていない代わりに、この家は錬金術師の家らしく、魔力で動くコンロが設置してあった……みたい。

 残っているのは、取り外された痕跡のある土台のみ。

「私にも作れるかな? 確か師匠は『そんなに難しくないぞ』と言ってたよね? 三巻に載っていれば良いんだけど……」

 錬成具アーティファクトのコンロは師匠のお店でも売っていたので、見たことがある。

 買うにはちょっと高いから自作を考えたいところだけど……とりあえずは保留。

 いざとなれば裏庭で煮炊きかな?

 もしくは、携帯タイプのコンロを買うか……。

「あの扉は裏庭に続くとして、もう一つは……あっ! お風呂! やった、さすが錬金術師!」

 錬成具アーティファクト錬成薬ポーションを作る時に、身ぎれいにしていないとダメな物もあるので、錬金術師の工房にはお風呂が付いていることが多いのだ。

 もちろん、師匠のお店にもあったので、私も何度も使わせてもらっている。

 学校にもあったんだけど、時々しか入れなかったんだよね。

 まぁ、貴族でもそうそう入れる物じゃないから、仕方ないんだろうけど、私は一度使って以降、すっごく気に入ってるからこれはすごく嬉しい。

 水と薪を大量に使うので、普通ならコスト的に大変なのだが、師匠のところではこれを錬成具アーティファクトで解決していた。

 当然私もそれを目指す。

 じゃないととても毎日は入れないからね。

「うわ~、何かすっごくやる気が出てきたよ! 最後は裏庭だね!」

 私は気合いを入れ直すと、裏庭へと続く扉を開いた。


 ――扉の向こうは原生林となっていた。……とまで言うと大げさか。

 一応、ここは薬草畑のはずなのに、見た印象としてはただの藪。

 家の後ろまで森が迫っているし、申し訳程度に家の周りを囲んでいる柵もかなりの部分が腐って破損している関係上、もうちょっとしたら森と一体化しそう。

 唯一安心できるのは、井戸が扉から出てすぐの場所にあり、石を敷いてある部分は草が生えていないことぐらい?

「井戸は大丈夫だよね?」

 ゴミが入ったりしないようきっちりとフタがしてあるが、釣瓶などはないため、水は汲めない。

 う~ん、このフタは、錬成具アーティファクトの一種かな? 全然傷んでいないし。

 錬成具アーティファクトもピンキリなので、これみたいに単に元の素材を丈夫にするだけという物もある。

 まぁ、普通は錬金術師に頼むより作り直す方が安いので、一般的には使われないのだが、錬金術師自身は結構便利に使っていたりする。

 師匠もお気に入りの食器を錬成具アーティファクトにして、落としても壊れず、汚れも付きにくいように加工していた。

「中は……ちゃんと水もある。釣瓶は買ってこないとね」

 よし、大体把握できたかな?

 ひとまず必要な家具はベッドとテーブル、椅子。

 台所用品は食器と調理器具、場合によっては携帯コンロ。

 その他の雑貨として、布団と釣瓶。

 今思いつくのはこんな所。

 どこで買うべきかは……よし、早速エルズさんに頼ろう。

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