Memory of cross

不適合作家エコー

プロローグ/ヘレン

プロローグ/ヘレン

 十字架を背負うという言葉回しがあります。

 端的に言えば責任を持つという事でしょうか。これまで多くの人間を殺めた私ですが、そこに後悔はありません。


 なぜなら、私は大多数の他人に価値を見出すことが出来ていないからです。

 少々傾倒した文献言葉を引用するならば人間などこの世界でもっとも希少価値のない生き物であり他生物の多くにとって害獣でしかない。などという一文がありますがまして、自身の知り得ない人物になどそれこそ価値は見出せないというのが私の本心なのです。


 とはいえ、それは他人に限るお話。

 そんな私にも一つだけ背負う十字架、妹を見殺しにした十字架だけは重く重く今も私の胸に背負わされているのです。


 これは私がまだJの名さえ持たない名無しの頃のお話です。

「ちぃ!!あの小僧どこへ行った!?」

「あん?聞こえないんだ。この辺にゃいねーだろ!!」

「クソが!!絶対許さねえぞ!!」


 石壁の家々と舗装された単調な道を駆け抜け、中年の男二人が血眼になって探す少年。それがかつての私でした。


 物心ついた時からの孤児、差別階級にあり親の顔も知らず育った私にはその過程さえ些末に思えるほどのハンディが備わっていました。


 自分の意思とは無関係に他者に自分の思考を伝えてしまう異能、伝心。


 これを持つ私は何よりも弱い存在でした。

 まして、少年期であった私に働き口などありません。


 当然食料の確保は専ら窃盗の類に限られていましたが、盗む事も逃げ道も己の伝心で相手に全てを明かしてしまう私の窃盗は成功率の極めて低いものであり、食料にありつけない時にはゴミをあさり糧とする事も少なくなく、捕まった際には殴り蹴られる事は当たり前でした。


 そんな私が彼女と出会ったのは成長期に入り、身体能力がある程度高くなる事でこの窃盗の成功率が僅かばかり上がったある年の出来事です。


 彼女と私には血のつながりはありません。

 ただ、彼女は私を兄の様に慕い、当時の私は彼女にだけ心を開いていました。そうなるに至ったのは彼女の病に関係があったのだと思います。


・・・・・・

「ヘレン!私が帰るまでにやっておけと言ったはずよっ!?」

「……!!」


 当時の私にとって石壁の家々、その一つでしかない一軒家、そこでヘレンは姉に竹箒で背を打たれながら涙を流す。そんな日常を送っていた様です。


 どうやら掃除の約束を守らなかった為の体罰らしいが、それも彼女の日常。


「……!?……!!」


 彼女が反抗する事はない。いや、正確には出来ない。

 

 なぜならば彼女は生れつき耳が聞こえなかったからです。

 ヘレンの家族は彼女が飾り物の耳をぶら下げて生れてしまった事を酷く落胆し、煙たがりました。


 ヘレンは姉妹の妹だったが姉の対応もまた酷いもので、先の様な事は日常茶飯事、姉にとって彼女は意思の疎通がとれない気味の悪い存在でしかなく、そう思っている存在が自分と血を別けている事が許せない。


 なぜならばそれを認めることは医師や家族、誰が否定しても彼女の中にヘレンと同じことが自分にも起こり得るという恐怖、他者とは違うかもしれない自分を強く印象づけてしまうから。


 今朝も彼女はヘレンに洗濯物を投げつけると聞こえないと知りながら言う。


「私が帰るまでに洗濯して。出来なかったら今日も叩くわ」

 ヘレンの不遇はそれだけにとどまりません。

 聞こえない事は言葉が話せない事です。話せない事は家族に理解されるチャンスさえも無いということなのだから、そんな彼女の町での生活など分かり切ったもの。


 町の人間は彼女と目を合わせません。

 同種であると認めない。だから彼女は常に一人。一人で、誰とも話さず生きていたそうです。


 だから、彼女には常識がなかった。

 裸足で外出してはいけない事を知らないし、暗い路地裏に入っては危ない事も教えられず、だから、私と彼女はそんな危険な路地裏で出会ってしまったのです。

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