第16話 アルバイトとサークル活動
読書愛好会の会長の隣に阿部康子さんが座ったところで、糸原さんが私を見てきた。
「改めて紹介するよ。こちらの女性が副会長の阿部康子さん」
再びお互いに「よろしく」と挨拶したあとで、私はふと浮かんだ質問を口にした。
「部室なのに会長ですか」
サークルの正式名称が読書愛好会なのだから、トップが会長と呼ばれていても不思議はない。しかしそうなると、この部屋は読書愛好会室になるのではないか。どうでもいいことかもしれないけど、気になったのでおもいきって聞いてみた。
「ん? 特別な理由なんてないよ。言うなら、ノリみたいなものかな。昔から部室って呼ばれてるしね」
考えてみれば当たり前だった。いくら愛好会という名称がついているとはいえ、昨日今日できたばかりのはずがなかった。設立時からそう呼ばれてるのであれば、尋ねられても現在の会長は困るだけだ。己の浅はかさに気づいた私は、素直に「すみませんでした」と謝罪した。すると副会長の阿部さんがクスクスと笑った。
「謝る必要なんてないわ。わからないところを知りたがるのも、メンバーの大事な要因よ」
「そう言ってもらえれば助かります。ところで、具体的な活動内容というのは……」
フォローしてもらったお礼を言いつつ、私は同性の先輩へ読書愛好会について尋ねる。向こうが先輩ではあるものの、同じ女性というのもあって質問しやすかった。当の副会長も嫌な顔ひとつせずに教えてくれる。
「月に1回、部室に集まって読んだ本のレビューを発表しあうの。基本的にはそれだけよ」
阿部康子さんが説明した直後に、会長の小笠原さんが補足をする。
「メンバーなら部室を自由に使って構わないから、ここで読書しても大丈夫だよ。ちなみに主だった会員は、俺たち3人だけだから」
疑問に思った私へ、今度は糸原さんが理由を教えてくれた。どうやらこの読書愛好会には、籍だけ置いている学生が多数いるらしかった。最初のうちは真面目に活動する新入生もいるけど、大抵は新しい生活へのめりこんでいくうちに顔を出さなくなるのだという。確かに他に楽しいことがあれば、そちらへ夢中になるのもわからない話ではなかった。
「だから東雲さんも、堅苦しく考えなくていいからね。進むも戻るも自由。お気楽にやってればいいんだよ」
そう言うと小笠原会長は、糸原さんをからかってる時みたいに大笑いする。最上級生の会長に対して、糸原さんは3年生ということだった。ちなみに阿部康子さんは4年生らしい。だからこそ、会長にも対等の口調で話せるのだろう。
「集まるのは毎月第4金曜日よ。参加しない場合でも、別に連絡はいらないわ」
阿部さんの説明をなるほどと聞きながら、頭の中で計算する。これならバイトをしていても邪魔になったりしないし、大学内での新しいコミュニケーションの場も獲得できる。改めて私は読書愛好会へ所属するのを決め、入会届を部室にて記入した。
*
無事に入学式を終え、サークルにも入った。次にすべきことは、アルバイト先の確保だった。一度目の整形手術だけで、私の世界はがらりと変わった。金銭的な面を考慮して、二度目を受けにはまだ行っていない。しかしいずれは、例の形成外科を再び訪ねるつもりだった。他のパーツも綺麗に整えられれば、きっとさらにバラ色の未来が待ってるに違いなかった。そのためにも、費用を稼ぐ必要がある。
ハローワークに出向いた私は早速、幾つかのバイトの面接を受けることを決めた。翌日には面接を受けて、私は地元でチェーン展開しているスーパーのレジ係に採用された。
生まれてはじめてのアルバイトはさすがに緊張を覚える。年輩の男性社員が教育係としてついてくれて、一緒にレジ業務をこなしていく。お客さんが持ってきた商品を専用の機器でバーコードから価格を読み取り、レジにて合計金額を算出した上でお会計をしてもらう。言葉にすれば簡単だけど、想像していたよりも難しかった。レジ作業中に話しかけてくるお客様もいたりで、なかなか集中できずにいた。そのたびにミスしそうになったりもするけれど、教育係の男性社員が事前にフォローしてくれた。
仕事というのもあるだろう。しかし、ここまで人に優しく接してもらうのも初めてだった。以前の容姿だったなら、ミスをするごとに舌打ちされていたはずだ。さらに言えば、アルバイトの面接にも受かっていなかった可能性が高い。
決して被害妄想と笑ってはいけない。現に今の私は過去に例がないぐらいの充実した生活を送っている。30分ほどの休憩時間も、教育係の男性と一緒に入る。専用の休憩室が売り場の裏にあるらしく、従業員通用口からそこへ案内してもらう。
中にはジュースの自動販売機があり、即座に同行中の年輩の男性社員が「何がいい?」と聞いてくれた。最初は相手が何を言ってるか理解できなかったけれど、すぐに奢ってもらえるのだと理解して、心の中で大喜びする。
「ありがとうございます」
笑顔でお礼を言ってから、オレンジジュースを買ってもらう。教育係の社員は年輩の男性らしく、缶コーヒーを購入していた。幾つか並べられている長机のひとつに向かい合って座ると、ここぞとばかりの相手男性が話しかけてくる。
「東雲さんは、あそこの大学に通っているの?」
地元で育ってきた人らしく、こちらが通っている学校をよく知っているみたいだった。ちなみに私が大学生なのは、総務の人に教えられている。大学生のアルバイトは結構多いらしく、珍しがられたりはしなかった。
「そうです。この春から入学しました」
秘密にしても仕方ないので、相手の質問へ素直に答える。そのあとで一応「いただきます」と告げてから、オレンジジュースをひと口ふた口と飲む。少しでも綺麗になったら、こんなにも周囲から大事にしてもらえる。やはり私の決断は間違ってなかったと、内心でガッツポーズをするのだった。
*
受験前にたくさん勉強をして基本的な学力を上昇させたおかげで、大学での講義にも無難についていけた。わざわざ予習、復習をする必要もなく、無理をせずにアルバイトへ費やす時間も捻出できた。大学でも、アルバイト先でもいじめられたりはしていない。高校時代とは、まさしく雲泥の差だった。話し相手も無事にできて、文字どおり幸せな日々を送れている。
しかも話し相手ができたいきさつも、これまでの私ではありえなかった。なんと、向こうから声をかけてきてくれたのだ。戸惑う私に笑顔で接してくれてすぐに仲良くなった。想像を超える展開にばかり見舞われ、これは本当に現実なのかと嬉しい悲鳴をあげそうになる。改めて、人生とはこんなに楽しかったのかと感じている最中だった。
そんなある日、私は所属するサークルの部屋へ出向いた。ノックをしたあとで「失礼します」と声をかける。反応はなかった。留守なのかなと、首を傾げながらドアを開けてみた。すると鍵はかかっておらず、目の前にある扉は実に素直な反応を見せてくれた。
「誰かと思ったら、東雲さんじゃない。もう忘れられているかと思ったよ」
入室したばかりの私を見て、ケラケラと笑うひとりの男性。読書愛好会のリーダーでもある小笠原大輔さんだ。別に私へ特別な感情を持ってるわけでなく、この人は誰に対してもこうだった。ただし、ひとりだけ例外がいる。糸原満さんというメンバーの男性だ。見るからに人の良さそうな好青年だけに、ある意味で標的になりやすいのだろう。
もっともからかう側に明確な敵意はなく、あくまでスキンシップの一種と当人も周囲も受け止めている。
「……いるなら、失礼しますと言った時に、何か反応してくれてもいいじゃないですか」
ほんの少しだけクレーム気味に、相手男性へ言葉をぶつける。アルバイトが接客業なのも影響してるのか、ずいぶんと楽に他人と会話できるようになった。徐々にではあるものの、対話の際には相手の目も見られる余裕も出てきた。ずっと蔑まれ、内向的に育ってきた性格の持ち主としては、画期的な進歩だと自画自賛できる。
「そりゃ、ごもっとも。でも、ドア越しに挨拶されるなんて経験、久しぶりだったものでね」
相手の発言を自分なりに解釈すれば、部屋へ入るのにノックはいらないということになる。
それはともかく、どうして私が部室へ来たのかといえば、今日が皆で集まる日だったからだ。ほんの1、2冊ではあるけれど、読んだ本についてのレポートもまとめてきた。しかし今現在、室内にいるのは会長の男性ただひとりだった。他の方はこないんですか――。そう尋ねようとした矢先に、背後で人の気配を感じて振り返る。
「あ、やっぱり東雲さんだったんだね」
私のあとに読書愛好会の部室へ到着したのは、メンバーの糸原満さんだった。
糸原さんの発言を聞いた小笠原会長が、新しい玩具を見つけた子供みたいに両目を爛々と輝かせる。そしてもう一方は、肉食動物に狙われた獲物のように、しまったと露骨に焦る。とはいえ、サークルメンバーとしてそれなりに付き合いの長い2人。ハラハラする私を尻目に、言葉のやりとりをスタートさせる。
「後姿だけでわかるなんて、ずいぶんと東雲さんに恋焦がれてたんだね。糸原君は」
普段は呼び捨てにしている後輩を、わざわざ君付けにするあたり、本気でからかおうという姿勢がわかる。一方的にサンドバッグになって終わるのかと思いきや、予想に反して糸原さんが反撃する。
「よく見てますね。けど、どうしてそんなに気にするんです? もしかして小笠原さん、東雲さんにひと目惚れでもしましたか」
「おや、言うね。でも俺には、図星を突かれて、困った挙句の言い訳みたいに聞こえるけどな」
「それこそ、気のせいでしょう。もっとも、ライバルが増えて困る誰かさんは、簡単に受け流せないのかもしれませんけどね」
こちらの存在を半ば無視しながら、キャッチボールというよりかは、言葉の激しいぶつけ合いを展開する。しかも、私には強すぎるくらいの刺激を伴っているからたちが悪い。どうすればいいのか対応に困っていると、登場するタイミングを待っていたかのように助け舟がやってきた。
「いい加減にしなさい。東雲さんが困ってるわよ。
それも……こんなに顔を赤くしてね」
クスリと笑った先輩女性の指摘で、私は自分自身の現状に気づく。男性メンバーの会話を聞いてるうちに、顔が熱くなるのを感じてはいた。けれど鏡等で確認したわけでないため、こうして言われるまでは赤面中という確信をもてなかった。
そんな私にすぐさま興味津々な視線を送ってきたのは、例のごとく小笠原大輔さんだった。ターゲットをこちらへ変えたらしく、唇の端を楽しそうに歪める。
「東雲さんって、意外と純真なのかな」
そう言ったあとでなおも続けようとするけれど、部室へやってきたばかりの阿部康子さんが直前で制してくれた。
「それ以上はセクハラになるかもしれないわよ。よく言うでしょう。口は災いのもとよ」
年齢は私とさほど変わらないのに、口調といい、態度といい、どこをとってもこちらとは格段の差があった。こんなふうな大人になりたい。そう思わずにはいられないほどのレディぶりだった。
「最近は色々と怖いからな。忠告に従って、ここらで止めておくよ」
室内で椅子に座ったまま、仰々しく両手を広げてみせる。ところが他の面々は、会長の芝居がかったポーズを見ても、ほとんどリアクションをとらなかった。若干かわいそうにも思えたけど、当の本人が何も傷ついてないみたいなので、私も周囲に倣って放置プレイに参加する。
それぞれが部室へ入る途中、会長と舌戦を繰り広げた糸原さんが「ごめんね。恥ずかしい思いをさせて」と謝ってくれた。
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