第3話 お膳立て

 ――牧田友行と書いて、まきたともゆきと読む。


 それが、親友の和美が教えてくれた、私がひと目惚れした男性の名前だった。娘に似て心優しい父親なのか、先方の住所まで教えてくれた。個人情報なので、どうかとも思ったが正直ありがたかった。


 学校で行動するのは目立ちすぎる。後々、どのような展開になるかは、想像する必要もなかった。その点、相手宅の前とかであれば、人知れず告白できる。結果が悪くとも、ダメージは最小限で済むのだ。やはり持つべきものは親友と、お礼を言おうとしたところで、和美が新たに口を開いた。


「それでね。何か用事があるのなら、お父さんから相手の――あ、牧田友行君のことね」


 途中で説明してもらわなくとも、その程度なら決して頭が良くない私でも理解できる。しかし、せっかく気を遣ってくれてるのに、余計な口を挟むのは失礼だ。無言で頷きながら、私は親友の次の言葉を待った。


「その牧田友行君のお父さんに、伝えておいてあげようかって言ってたよ」


 これまた人によっては怒られるかもしれないが、私にとっては嬉しすぎるサプライズだった。情けない話だけれど、自分から話しかけられるような度胸はない。将来結婚する可能性があるとしても、超お世話好きなおばさん主導でのお見合いでなければ不可能だろうと、自分自身で思っていたぐらいだった。


 それだけ内向的な性格の持ち主であるだけに、自発的な行動は無理と公言しても差し支えないほどだった。

 どうすると尋ねてくる親友に、私は半ば反射的に「お願い!」と口にしていた。相手の右手を両手で包むように握り、冗談ではなく真剣なのをアピールする。


「うん、わかった。それなら今日の夜、お父さんにお願いしておくね」


 仕事中の和美のお父さんに、今すぐ電話をして迷惑をかけるわけにはいかない。加えて、こちらは頼む立場なのだ。待てと言われれば、そうするのが当然だった。

 初めての告白は、かなりの部分が人任せになりそうだけど、初心者マーク付きだから仕方ないと割り切って受け入れる。


「ごめんね。和美のお父さんにまで、迷惑をかけちゃって……」


 申し訳なく思って私が謝ると、すぐに親友は勢いよく首を左右に振ってくれた。


「気にしないで。私と杏里ちゃんの仲じゃない。それに、ウチのお父さんは娘に甘いから大丈夫だよ」


 逆に相手が気を遣って、私を笑わせてくれる。本当に友人というのは、ありがたいものだな。心の底から親友と、その家族に感謝する。


「それじゃあ、学校へ行こっか」


 和美の言葉に頷いたあと、私と親友は仲良く並んで登校するのだった。


   *


 いつもと変わらない授業の光景なはずなのに、今日に限っては何故かキラキラ輝いて見えた。何事も心の持ちようだとよく言われるが、この歳になって意味を実感できた。


 容姿の悪い自分が恋をしても無駄だと思っていた。ゆえに諦め半分でこれまでの人生を過ごしてきたが、無意識に芽生えた恋心が、こんなにも普段と違う世界を見せてくれる。

 黒には何を混ぜても黒にしかならないと思っていたら、突然に劇的な変化を起こして綺麗な白色になった。現在の私の気分はそんな感じだった。


 文字どおり、あっという間に授業が終了する。昼休みになって、昨日と同じように机を移動させる。他の人間の目に触れないよう、大きな身体には似合わない教室の隅でひっそりと、親友の轟和美と一緒に食事をとる。


 お互いの机を合体させて、ひとつの大きな食卓代わりにする。傍から見れば虐められてるように思えるかもしれないが、これこそが高校生活を1年、2年と送っているうちに身につけた処世術みたいなものだった。

 こうして目立たないようにしていれば、クラスの中心的存在の生徒たちもわざわざ近寄ってきたりはしない。このように私や和美は、自分たちの身を守りながら、平穏と呼んでもいい日々を送ってきた。


 本当はこのまま何のイベントも発生させずに、すんなりと一生に一度となるであろう高校生活を終わらせるつもりだった。

 ところが、そうはさせじと意地悪な出来事がズドンと私の目の前に落下してきた。虚を突かれた形になったためか、それとも必然の展開だったのか。私は思いもよらない流れで、恋愛をすることになった。


 あまり大きな声で会話をすると、他の同級生の耳にも入る。それが原因で、不必要な悪口を招く恐れがある。なので昼休みにおける私と和美のおしゃべりは、必然的に内緒話みたいになっていた。

 当初は不便さを覚えたりもしたが、慣れてしまえばどうということもない。今では普段の会話と変わらずに、相手の言葉を聞き取れる。ずいぶん成長したものだと、変なところで自分自身に感心する。


 準備が整ったところで、他の女子よりは明らかにワンサイズ大きな弁当箱を開く。中には大好きなから揚げだけではなく、栄養に気を遣った色とりどりの野菜も入っている。

 昨日の今日とはいえ、昼休みが終わったのもわからないほど、ボーっとしているわけにもいかない。さすがにそのような状態は通り過ぎており、いつもと変わらない勢いでお弁当を頬張る。


 やはり昨日が特別だったんだ。そう思っている私の目の前で、和美が「あ!」という顔をした。何かと思っていると、今度は意味ありげに笑う。


「杏里ちゃん。白馬には乗ってないけど、王子様が来たよ」


 親友の和美を、意外に人が悪いと思ったのは初めてだった。わずかに上へ視線を向ければ、意中の男子生徒の姿が見える。一瞬にして顔がカーっと熱くなり、鏡で確認するまでもなく、赤面してるのがわかる。


 昨日と同様に、昼休みに私が所属する教室へやってきた。会いに来たのではないと知っているのに、どうしても心がときめく。自分はこんなに惚れやすい性格だったのかと首を捻りたくなるぐらい、該当の男性へ夢中だった。


 牧田友行――。


 和美から教えてもらった名前を、心の中で何度も繰り返す。囁きかけるように、静かにゆっくりと。それだけで、なんだかほわっとした温かい気持ちに包まれる。


 男性の目的は、やはりクラスで一番の美少女こと北川希だった。昨日貸したCDらしき物でも返してもらいに来たのか、似たようなのを片手に会話を弾ませる。

 冷静に見ればそこにつけいる隙はなさそうなのだが、そんなことにも気づけないほど、私は舞い上がっていた。恋は盲目とよく言うが、まさにそのとおりだった。

 ふと我に返れば、お弁当を食べる箸の動きがピタリと止まっていた。目線を上げれば、相変わらずのニヤニヤぶりを披露中の親友が私を見ている。


「杏里ちゃん。すっかり、恋する乙女だね」


 これで「バカね」なんて笑えれば大人の女性なのだが、生憎と恋愛経験の少なさなら群を抜いている私にそんな余裕はない。和美の愛のあるからかいに、顔面を火照らせるぐらいの反応が精一杯である。


「や、やめてよ」


 ようやく、それだけをなんとか絞りだせた。


「それにしても、何を話してるんだろうね」


 話題になってる現場をなるべく見ないようにしながら、和美が疑問系の口調で言ってきた。私も知りたいけれど、現場で会話に加わったりでもしていなければ不可能だ。


 要するに、私や和美に牧田友行と北川希の会話内容を知るすべはないのだ。意識しだすときりがないので、なるべく気にしないようにしながら、お弁当を平らげることに集中する。

 そうしなければ、食べ終わる前に昼休みのリミットがきてしまう。他人は他人、私は私。自分自身に言い聞かせる。


「杏里ちゃんは気にならないの」

「そりゃあ、気になるけど……」


 でも、しょうがないでしょのひと言で、会話を終わらせる。あれこれ好き勝手な妄想をしてるうちに、自然と声が高くなって他のクラスメートに聞かれでもしたら、それこそ大変な事態になる。

 それでなくとも、近い将来に訪れるであろう告白の日のことで、脳みそは大変な状況になっているのだ。正直なところ、これ以上、問題が増えるのだけは勘弁願いたかった。


   *


 その日の夜。

 自室でゆっくりしている私の携帯電話に、珍しく着信があった。ディスプレイの表示を見ると、轟和美の名前が表示されている。

 すぐに受話ボタンを押して電話に出る。


「あ、杏里ちゃん」


 いつもの調子で、親友が電話越しに話しかけてくる。用件は大体わかっていた。例の男性――牧田友行についてだろう。

 私が「どうしたの」と応じると、何かを企んでそうな含み笑いが聞こえてきた。


「お父さんが連絡してくれたよ」


 明るさに満ち溢れた声を聞けば、どのような結果になったのかは容易に想像できた。案の定、次の瞬間には成功を意味する台詞が私に送られた。

 娘の友人が用事があるという理由で、先方の息子さんに会ってもらえないか話したのだと言う。会社の仲間である牧田友行の父親は、すぐに了承してくれた。


 ビックリするぐらい、とんとん拍子に話が進み、私が告白するための舞台が着々と整いつつある。引き返せなくなってきてる事態に不安を覚えるが、文字どおり一世一代の勝負をする時が来たのだと、今から気合を入れる。


「で、明日の午後五時に、牧田君の家の近くにある公園で会う約束になったらしいんだけど大丈夫?」


 別に明日は休みでないし、学校帰りに何かあるとすれば、それこそ親友の和美とケーキバイキングに行ったりするぐらいだ。

 なので私の返事は「うん、大丈夫だよ」に決まっていた。


「わかった。それじゃあ、お父さんにそう伝えておくね」


 それから少しだけおしゃべりをして、私は和美との電話を切った。何を話したのかあまり覚えてないくらい、緊張度はすでにマックスまで到達している。頭の中はどうしようのひと言で占められており、軽いパニックへ陥る。


「だ、大丈夫よ。大丈夫……」


 声に出すことで、自分自身を安心させようと試みる。手のひらに人と書いて飲むよりは効果があるだろうと思っていたのに、緊張が和らぐどころか、逆に悪化してるような感じを覚える。


 告白の日取りも決まった今になって、気持ちがズシンと重くなる。若干の後悔を抱きつつ、自身の状態を冷静に確認してみる。

 これがかの有名なマリッジブルーというものかしら。


「……そんなわけないわね」


 心の中の呟きに、自分自身でツッコみを入れる。他人が見てたら、何をひとり遊びしてるんだと呆れられるのは間違いなかった。けれど、おかげでひとつだけ確信できた。私の思考回路は、まだまだ正常に戻っていない。


「あー、もう。本当にどうしよう」


 半ば叫ぶように口にしたあとで、私は自室の床へ突っ伏した。

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