マッスルなヤンキーの英雄、土田慎也

「フッ、フッ、フッ!」


 春の訪れを感じさせるほのかに暖かい4月の昼下がり。漫画研究会の一員である土田つちだ慎也しんやは、日課のトレーニングメニューを行うため、川原公園に来ていた。

 川原公園は、子供向けの遊戯施設からジム、難易度別のランニングコースに加えて、陸上競技場まで揃う老若男女が集まる大きな公園だ。

 土田がここをトレーニングの場に選んだのは、バイクで10分程度という気楽に行ける範囲にあること、シャワーが利用可能な点など。それに加えて、豊富な自然と、帰り道にお気に入りのラーメン屋があることが決め手となり、もう1年以上は世話になっていた。

 

 そんな彼がここでほとんど毎日欠かさず行っているトレーニング。彼はそれほど特殊なトレーニングをしているわけではないが、その密度が段違いだった。


 まず彼が川原公園についてからやることは、入念な準備運動だ。そうして全身をほぐした後、ランニングコースの最大難易度を、コースの平均タイムを大幅に上回るタイムで回る。これも彼にとっては、準備運動に過ぎない。

 その次は、ジムだ。基本的な腕立て伏せや上体起こしで軽い負荷を与えると、高負荷と緩い負荷を繰り返すメニューを行う。これがかなりの回数行われると、ようやく彼の筋肉は、その力を維持するのに適切な量のダメージを受ける。ここまでが、いつものトレーニングだ。

 通常なら一人でやっている一連のトレーニングだが、今日はいつもと少し違うことがあった。高負荷を掛けるトレーニングの最中に、話しかけてくる男が一人。


「はぁはぁ……俺が着いていけないとは」


 そう、今日はいつもとは違い、土田の大学の友人、加藤が彼と一緒に筋肉をしばいていた。加藤は息を切らして、かなり疲れた様子を見せている。

 加藤が参加することになったのは、以前加藤が土田の引き締まった肉体を目撃した際に、「土田が普段どんなトレーニングしてるか興味あるわ」と興味を示したため、それならぜひ体験させてやろうという善意の下に行われた今回の体験。

 土田は、まさかこのモヤシ野郎がここまで着いて来れるとは夢にも思っていなかった。

 しかし彼は知る由もない。実は加藤はランニングの段階で実はかなり疲れていたのが、途中から貴重な魔力を使って肉体をブーストしていたことに。異世界帰りの時期を早めることになった彼は、無理やり体を動かした反動で、翌日に強烈な筋肉痛になるのである。

 そんなことは分かりようがない土田は、ここまで着いて来れた加藤に素直な称賛を送る。


「加藤、お前もなんだかんだ言って鍛えてるのか。普段はゲームしかしてないんじゃないかと思ってたぜ。やるじゃねぇか」


「ふぅ、こりゃ常人には無理だな。もう懲り懲りだぜ。体が動かねぇよ。ちょい休憩な」


「おいおい、もう少しでフィニッシュだからよ。少し休んだら強制参加させっぞ」


 土田がそう言うと加藤は心底嫌そうな顔をした。最後まで絶対にトレーニングをやらせたかったのだ。途中で逃げることは許さんと。


 加藤を一旦放置して一人トレーニングを再開すると、土田は心が研ぎ澄まされていくのを感じる。彼がヤンキーを卒業できたのもこの筋肉との出会いが切っ掛けだった。愛でれば愛でるほどに結果として答えてくれるそれは、生涯のパートナーかもしれねぇ、そう土田は確信していた。


(そういう意味じゃ、あの異世界での経験で唯一良かったことかもしんねぇな)


 そう、彼は高梨や加藤と同様に、異世界への転移を経験していた。当時高校生だった彼は、筋肉が全てに物を言う、大分特殊な世界に飛ばされたのだ。それから、ストイックに己を鍛えるようになったという経緯がある。

 昔は喧嘩無敗を誇っていた彼は、その時健康や他人への気遣いを覚えたのであった。もっとも、当時と変わったのは主に考え方であって、ヤンキー時代の金髪オールバックはそのまま、彼のトレードマークだ。目立つ。


「……よいしょっと」


 よいしょっと、だと? と、土田が一旦マシンを止めて加藤の方を見ると、いない。まさかと思い入口の方を見ると、なんと荷物を持って小走りで颯爽と動く加藤の姿が。


「待て! 逃げんなオイ!」


 土田がそう言うと加藤は振り向いて、「シャワー浴びて来るわ!」と言って、さっさとこの場を去ってしまった。そのことに思わず大声を上げてしまった土田が周囲を気にすると、どうも周りでトレーニングをしている人にクスクスと笑われていることに気付いた。土田は、恥ずかしそうに顔を下に向けた。


(ちっ、逃げやがったか。だらしねぇヤツだ……てか恥ずかしいから見るんじゃねぇよ)


 恥ずかしい思いをして顔が赤くなる元ヤンキー。しかし、先ほどの光景に違和感があったようで……


(いや、ちょっと待ておい)


「何がもう動けねぇだ、普通に走ってるじゃねぇか!」


 加藤は走って逃げた。辛い思いをしたくないがために、さらに己を追い込んだことになる。魔力を使ったのだ。

 その後、地獄のトレーニングから逃げるためだけに魔力を使った加藤は、翌日に妖精ちゃんに何があったかを聞かれ、ユースケ、本物の馬鹿じゃんとバカにされるも、何も言い返せなかったようだ。


――


 結局、土田から見事逃げおおせた加藤からは、しばらく待っていても連絡すらなかったため、残りのトレーニングを1人で済ませた土田。

 その後土田は公園を後にし家に戻ると、加藤への罰を考えることにした。


(あの野郎、今度部室で会ったら泣かす。あいつ格ゲーは下手だから、ハメ技でボコボコにしてやる)


 そんな物騒なことを自室で考えていると、何やら外から奇声が聞こえてくる。これはまさか……


 窓を開けて外の様子を覗う。


 するとそこには上半身裸で、

「ふぇごふ、こゆせりふぇ、あこげふぃつふぃ!」

と叫んでいる、上半身裸で、しかもやたらと発達した筋肉を持ち合わせたおっさんが立っていた。普通ならヤバい人にしか見えないその筋肉ダルマは、土田にとっては違う。


「また……ゲートを通ってやって来たのか。クソが」


 土田が異世界から日本に戻って来てからというもの、時折、この謎の言語を発する上半身裸のおっさんがこちらの世界に転移してくるのだ。放っておいたら何をしでかすかわからないその存在に土田はいつも対処していた。そのために、帰還してからも今日みたいに肉体を鍛えていた。趣味でもあるが。


 彼は早速家を出ておっさんの所に向かう。敵ならば、倒さなければならない。奇襲を掛けようとする。


 しかし土田がおっさんの所に辿り着き遠目に様子を覗っていると、なぜか、混乱しているように見えた。もしかしたらいつもと違うのかもしれないと考えた彼は、奇襲を取りやめ、近づいていく。


「おい、そこの! ……ふぇおでふの?」


「!? ふぉたほ、ふぁびのーそふ!?」


「おお、ごがふぁぬめすこ、ってことか。なら、戦う意思はないみてぇだな」


「ふぉてふぉ」


 今おっさんが言った“ふぉてふぉ”とは、「そうだ、私はどうすればよい」というような意味だ。土田は、恐らく地球上では彼にしかわからない気持ちの悪い言語に、見事に対応して見せる。異世界での経験が活きている。


 どうやらこのおっさんは、いつもの連中とは違って、土田を倒すためにこちらにやって来たわけではないようだ。土田は、彼には特に戦意も感じられないし、偶然にもゲートに触れてことでこちらにやって来てしまった漂流者なのだろうと当たりをつけていた。珍しいこともあるもんだと土田は思う。

 そして彼が筋肉ダルマのおっさんに異世界への帰還方法を教えてやろうとすると、突如、何者かが背後から近づいてくる気配を感じた。これは――


「!! にんてくふぁそ!!」


「ちっ、もう一人いたのか。うぜぇな」


 目の前のおっさんは俺の後ろに忍び寄る敵に先に気付いたらしく、彼に注意を促した。


 だがこの程度の奇襲なら、彼は簡単に対処できる。


 土田は襲い掛かって来た新たなおっさんの腕を掴み、背負い投げの要領で思いっきりコンクリートに叩きつけると、即座に飛び乗ってマウントポジションを取る。

 そのまま、鍛え上げられた筋肉に呼応して発せられる不思議なパワー(本人談)で、顔面へと追撃を与える。右ストレートを一閃。


「おらぁ!」


 連打、連打で追い詰める。


「ぐッ……のげかじょふ……」


 この必殺のパウンドはかなり効いたようで、おっさんは途端に悶絶し、抵抗力を失った。すると、帰還が始まり、段々とその姿が薄くなっていき、気付くとそこにいた筋肉ダルマはいなくなっていた。土田の勝利だ。


 土田に襲い掛かった第二の筋肉ダルマは、大きなダメージを受けると向こうに戻る仕組みで、強烈な攻撃を与えて筋肉ダルマが倒れると、今のようになる。

 

 土田は、もうかれこれ十人近くこれを繰り返していた。


 実はあのおっさんは、土田が行った異世界では敵軍だった連中の残党である。異世界からこちらへ、王様の敵を取るため、彼を倒しにやって来るのだ。土田は、どう足掻いても勝てねぇんだかからもう諦めろよと正直思っていた。

 圧勝を収めた土田。やはり、向こうでこの襲撃者たちの王を倒し究極のパワーを手に入れた彼は、いかなる相手が来ようとも負ける自身がなかった。残ったおっさんの方を向くと、驚いたように土田の方を向いている。どうたらその戦闘能力に驚いた様子だ。


 そして土田は、先ほど見せたこのおっさんの反応からして、先ほどの新たなおっさんの協力者でもなさそうだと判断した。


「おっさん、着いてこい。帰してやる。わかるな?」


 正直、日本語じゃないコミュニケーションが、土田にはクソだるかったようだ。これで伝わってくれ、頼むから。と言葉に出さない懇願をする。


「……ふぉじゅる」


 どうやら土田の意図を理解したようだ。それなら話が早いと、彼は早速、アパートに併設されている駐車場までおっさんを連れていき、停めてある大型バイクのエンジンを掛ける。


 エンジンの始動音が鳴り響くと、マフラーから重い低音を響かせる土田の愛車は、昔からの付き合いだ。大して高級でも、決して華美ではない機械的な見た目の日本産のそれは、見事な機能美を誇っていた。


(そういや、異世界にいた頃はこいつが恋しかったっけな)


 早速シートにまたがり、おっさんに後ろへ乗るように促す。


「乗れよおっさん、すぐ着くぜ」


 突然うねりをあげたバイクを見てオドオドしているおっさんにそう告げると、戸惑いを見せながらも指示通りにする。しかし土田は気付く。


 いや、このままじゃダメか。そういやこいつ裸だった。


「ちょっと待ってろ」


 部屋に戻り、出来るだけ大きいサイズの服を探す。ライダースジャケットを見つけると、それを持って階段を下りていく。

 すぐにバイクまで戻ると、おっさんは大人しく待っていた。それは、一種異様な光景だ。バイクの後ろにまたがる裸のマッチョは、人が通っていれば、凄まじい奇異の目に晒されたことだろう。


「おい、これ着ろ。そのままじゃ寒いぞ」


「うぇちふぁこふ」


 少し小さかったようだが、とりあえず着ることに成功したおっさん。ピチピチのライダースジャケットを羽織るおっさんは、中身が裸だから結局ただの変態にしか見えなかった。それに気づかない土田は、若干天然が入っていた。


(これでよし。さぁ行くか)


 ハンドルを握りギアを入れ、出発する。あっという間に学生が多いこの住宅街を抜けると、少し大きい通りに入る。視界に飛び込む視界がビュンビュンと過ぎ去っていくこの感覚が、当時喧嘩三昧だった土田に、一抹の清涼感を与えてくれていたのだ。そして今でも、気持ちがいいので好きらしい。


 ただ、後ろに乗ってるおっさんが邪魔だった。鬱陶しいあの独特な言語を発しながら脅えたように彼の腰に抱き着いているおっさんは、少し寒そうだ。一応、ライダースジャケットは着せていたが、落ちたらケガをするから大人しくしてれと土田は思っていたが、面倒なので何も言わなかった。辛そうなおっさんを尻目に、運転を続けた。


 それからものの数分で、人気がない倉庫に辿り着いた。ここは、向こうへ帰還することが可能なゲートがある場所だ。初めて土田が日本で不思議パワーを使って戦闘を行った場所でもある。中に入ると、あまり使われていなさそうなこの倉庫には、前回の訪問時と同様に、人影はない。そして、見つける。


「着いたぜ、おっさん。あれだ」


 その、空間に黒く佇む倉庫内のゲートを見た瞬間、土田はおっさんが興奮するのが目に見えてわかった。故郷に帰れるというのは、おっさんは嬉しくて堪らなかったようだ。


「……!? でふぉがせん! せんふぉー。せんふぉー!」


「いいから早く入りな。次は気を付けるように」


 せんふぉーという最大級の感謝の言葉を言い残し、あっさりとゲートに飲み込まれたおっさんは、姿を消していた。

 さて、ここでちょっと確かめなきゃならんことがあると、土田はゲートに触れる。


 バチッ!


「クソ、やっぱり無理か」


 そのゲートは、彼が触れると、その手を拒絶するかのような電撃を与えると、閉じてしまった。

 これが最近の土田が持つ、一番の苦悩だ。このゲートを閉じる方法が分からない。力で閉じようにも閉じれないから、全く対処法の見当がついていない。これを閉じないことには、襲撃者が止まないのだ。


「ちっ、しかたねぇか。まぁ、今日は一旦引き上げてやるよ。首洗って待ってろ」


 ……そうだ、明日になったら加藤をノしてやらなきゃいけないんだった。東にも協力して貰うか。


――


 そして翌日、土田はいつものように部室に来ていた。メンバーは土田、加藤、東の三人だ。


「よし、加藤。今日はこのソフトで勝負だ」


「おいおい、いきなりどうした。俺格ゲーはあんまやんないの知ってるだろ……って、そのパッケージは!?」


「そう、これはお前の好きなアニメの女キャラが参戦してるタイトルだ。どうだ、やる気になったか?」


「おうよ。ミーコちゃんが使えるなら話は別だぜ。それじゃさっさと始めようか」


(ふん、ちょろいヤツだ。今に見てろ、そのキャラクターはな)


 土田の顔が加藤に見えないように歪められる。金髪オールバックの彼がそれをすると、知らない人が見たらビビること間違いなしの迫力だ。


(今作で唯一ハメ技から抜け出すことが出来ない不遇キャラなんだよ)


「土田君、いつにも増して顔が怖いんだけど……もしかして何か秘策でもあるの?」


「くくく、まぁ、見てな」


 ――そして対戦が始まった。


 何度やっても土田にボコボコにされる加藤は、流石に仕組みに気付いたようで、声を荒げる。


「くそ、土田てめぇ、知っててやってやがったな!? 道理でなんにもできないわけだ、 ミーコちゃん弱キャラかよ!」


「今頃気付きやがったか、マヌケ。昨日のお返しだボケ」


「大人げないなぁ、土田君は」


「ちくしょう、やられたな」


(今日はまだ来てねぇけど、高梨が来たら同じ手段で嵌めてやるか)


 彼は案外イタズラ好きだった。高梨有里沙は、度々こうしてボコボコにされるのである。


「んじゃ、もっかいやるか。次は負けねぇぞ。あと、ハメ技はなしだ」


「望むところだ。返り討ちにしてやるぜ」


 そして、加藤と土田は再びコントローラーを握ると、戦いを再開した。

 結局、もう一度ハメ技でボコボコにすると、加藤に呆れたような視線を向けられる。


(あー、楽し。ゲートのことは、また今度考えりゃいいや)


 彼もまた高梨と同様に、問題を先送りにするタイプで、目の前のことが楽しければ良いのだ。

 トレーニング以外のことは、限りなくダメ人間に近いのが、この土田という男なのであった。

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