2、 愛を知らない
それから一週間が過ぎた。
相も変わらず少女は僕に話し掛けようとしてきている。当然、その声は僕には届かないのだから、その日も僕は彼女のことを無視し続けていた。
だからきっと、僕がそうしたのはただの気まぐれなのだろう。意味は無いし、彼女に興味もない。暇潰しの延長線上のつもりで、僕は初日以来の通信機器を手に取った。
「やあ、キミは今日も相変わらず不毛なことをしているね」
そう言うと、彼女はなにか言葉を口にした。そして、口角を上げる。またこの表情だ。その表情がなんなのかは、僕にはやっぱりわからない。けれども、なんだか真似をしたくなるような、不思議な表情だ。まあ、真似なんてしないけれども。
「これはただの暇潰しだ。だから、聞き流してくれていい」
そう前置きをしてから、僕は話す。
「キミは、宇宙に飛び出した人類を知っているかな?」
質問口調になってしまったものの、彼女の返事はどうだっていい。どうだっていいから、彼女が首を傾げたのもお構いなしに続ける。
「いや、飛び出したわけじゃないか。僕たちが追い出したんだ。きっと、キミはあちら側にいるべき人間なんだろう」
だからこそ、彼女はこんなところに隔離されてしまっている。
「けれども、こうしてキミはここに閉じ込められてしまっている。これは、キミにとっては苦痛なんじゃないかな」
僕たちこちら側の人類なら、彼女のように衣食住があるのならば、それでいい。娯楽も、無いなら無いで、べつにいい。本のページに付いたシミの数を数えていても、十分に時間は潰せる。けれども、彼女側の人類はそれだけでは満足できないはずだ。ここに、彼女が求めるものは無いのだから。
「僕はね、ほんの少しだけ、キミのことが羨ましいんだ」
それは、本心から出た言葉だった。きっと、僕はこの檻の中に入れられても、なんの不満も抱かないのだろう。けれども、彼女はこの檻の中で満足することはない。今はまだそう態度には出ていないものの、いずれは表立ってくるはずだ。その証拠に、彼女は檻の外側にいる僕に対して、こんなにも興味を示している。
外の世界にはなにもないというのに。
けれどもきっと、彼女はなにもない外の世界でさえ感動できてしまうのだろう、と容易に想像できてしまうし、実際にそうなのだろう。なにもないこの世界で、何の感動を抱くこともない僕にとって、彼女のその感情の豊かさは、とても眩しい。
きっと、こんなふうに感じることができたのならば、世界はもっと色付いて見えるのだろう。
そう感じることができる、ということが少し、羨ましいのだ。だってそれは、僕たち人類がもう失ってしまったものだから。
客観的に美しいものを判断することはできる。
雲一つない青空は、混じり気がなくて美しい。足元を埋め尽くすほどに咲き誇るネモフィラの花も美しい。泳ぐ魚の模様が見える程の透明度の海も、しんしんと降る雪も美しい。
それはわかる。
けれども、澄み渡る空を見ても、咲き乱れる花を見ても、真っ青な海やダイヤモンドダストを見てさえも、きっと僕は感動しないのだろう。
そして、この目の前にいる少女のパーツの一つ一つの造形を美しいとは思うものの、彼女自身を美しいとは思えない。
だって、人類は愛を見失ってしまったのだから。僕も、愛を知らない。だから、この世の中のどんな人間にも魅力を感じることができないのだ。他人を思いやり、その人に惹かれる、なんてことは、今の人類には存在しない感情だ。
かつて、愛こそがすべてだ、なんて歌っていた四人組のロックバンドがいたらしいけれども、僕にはまったくもってその意味がわからなかった。
彼女ならば、その言葉の意味がわかるのだろうか。
「愛は、いいものかい?」
そう彼女に訊ねてみたけれども、その返答に興味はない。
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