Ep.77.5 トゥルーエンドへの布石

 時は少々遡り、セレンがガイアからの手紙を受け取る2時間程前の事。


(いくら鍛えていても、こう両手足を拘束されていては上手く衝撃を受け流せないものだな)


 屈強な男2人がかりで壁に叩きつけられた痛みに耐えながらも、ガイアスの頭は存外冷静であった。苔の生えた床に自分の血が飛ぶのを見ても平然として眉ひとつ動かさないガイアスに、公爵家の暗部である男達が再び拳を振り上げる。それを制したナターリエが、額から血を流し床に倒れたガイアスの正面にしゃがみこんだ。


「貴方も強情ね?ここまで来ると拷問に口を割らないよう貴方を鍛えさせたお父様が怨めしいわ。……いい加減、楽になったらどうかしら」


 うんざりとした声音と共に頬に伸びてきたその手を身をよじって避ける。ピクリと、見下ろしてくる女の眉根が寄った。


 ここは王都の端の端。特殊な結界で肉眼には目視することの出来ない、大罪人を収容するための特別な塔牢だ。普通に探しても見つからないし警備も厳重であるここに、この女はさも当然のように現れた。

 引き連れられた暗部の男達の裾の赤黒い染みを見れば、『どうやって入ってきたのか』なんて野暮な質問をする気にもならない。


 と、そこまで考えた辺りで腹に衝撃を喰らった。遅れてやってきた鈍痛に、蹴られた事を理解する。


「このわたくしが目の前に居るのに考え事だなんて偉くなったものね。躾が足りなかったかしら?いい加減、あのモブ女の居場所とアレの在りかを教えなさい!」


 閉じた扇で頬を叩かれ、口の中に鉄の味が滲む。少し赤く色づいた唾を吐き、思わず鼻を鳴らした。


「必死だな。まあ当然か?もう俺から魔力は絞り取れず、公爵の地位はアレが無ければすぐにでも悪事を告発され失墜しかねない。そうなれば、力を無くした貴方はただの小娘だ」


 それがそんなに恐いのか。そう煽ってやれば激昂したナターリエが再び男達にガイアスへの拷問の再開を命じる。

 手枷に繋がる鎖を引かれ壁に吊るされ、殴られ蹴られ。特に容赦が無い右の男の顔には見覚えがあった。昨晩ガイアスに一撃でのされた刺客だ、憂さ晴らしも兼ねているのだろう。容赦ない膝蹴りが下腹部にはまり、咳き込んだ口から血の塊が飛び出した。

 苔の生えた床に散る鮮血を穢らわしいとばかりに一瞥したナターリエが、血の気の無いガイアスの目の前で彼の手枷の鍵を揺らす。


「ほら、いい加減限界なのではなくて?ただあのモブ女の居場所を教えるだけで、すぐに助けてあげるわよ?」


  馬の鼻面に人参を吊る下げるかのように差し出された鍵を、僅かに使える魔力でナターリエの手から弾き飛ばした。馬鹿にするなと。


「馬鹿にするな。己の命惜しさに惚れた女を売るほど愚かじゃない」


 彼女さえ無事で居てくれるなら、こんな傷痛みの内にも入らない。そんな意思の強いガイアスの眼差しに気圧されたのか、ナターリエが一歩後ずさった。そして。


「そう……、ならもう用は無いわ!」


 わなわなと肩を振るわせながら髪飾りを模した短刀を振りかぶった。その切っ先が左胸に突き刺さる直前、ガイアスが勝ち気に笑う。


「本当にいいのか?ここで俺を殺してしまって」


 あまりに余裕なその表情にピタリと短刀を振り下ろす手が止まる。


「どういう意味かしら?負け惜しみはみっともなくてよ」


「負け惜しみなんかじゃない。あんな危険な物を、俺が何の盗難対策もせずに普通の場所にしまっていたと本気でお思いか?」


 勘づいたらしいナターリエが『まさか

』と声を漏らす。


「そのまさかだ。アレは今、俺が何処かに作ったの中に隠している」


「……っ、小賢しい真似を……!」


 。それは魔力で切り裂いた扉から時空の狭間に小部屋を作りそこに物を保管する魔術の一種である。そこに保管された物は一切劣化することはなく。かつ、その中身を取り出すことが出来るのは術者かもしくは。


「『のみ』。ちっ、小賢しい真似を……!」


「そういうことだ。そして今俺を殺してしまったらどうなるか……わかるよな?」


 術者を殺せばは消える。鍵も鍵穴も、中に隠した物も全て、跡形もなく。つまりその事実を知った彼女達は、アレを見つけ出すまでガイアスに手出しが出来なくなった。


「ならば答えなさい!鍵は今誰が……っ『お嬢様、もう旦那様がお戻りになる時間です!』……っ!行くわよ!」


 時間切れだ。

 心底悔しげに顔を歪ませたナターリエが、ヒールのかかとで床を蹴り上げてから男達を引き連れ塔を飛び出していく。ようやく訪れた静寂と、気の緩みで襲ってきた激痛で意識が一気に遠退いた。




 







「これはまた……ずいぶんと派手にやられたものね」


 頑丈な鉄格子を二つ挟んだ向かいから飛んできたアイシラの声に、薄れていた意識を呼び戻される。いかにもなやっつけ治療で雑に巻かれた手首の包帯を見れば、苦笑をこぼすしかなかった。


「この程度は拷問の内にも入らない。彼女達のやり方はまだ手緩い方だ」


「今君に死なれては困るからだろう。何せ公爵が求めてやまない例の物の唯一の手がかりだからね」


 更に反対側の牢からウィリアム王子が答える。自分も同感だ。だから、それを見越して罠を張った。


「何か策があるのはわかったけど、セレは本当に大丈夫なの?今頃一人で危ない真似してるんじゃないかと思うと気が気じゃないわ。あの子ぽや~っとしてるから……」


 それも同感だ。だから、指先についた自分の血で牢の床に三つ、陣を描いた。

 一瞬輝いたそれが揺らぎ3種の動物へと姿を変える。アイシラが驚愕の声をあげ、ウィリアムはほぅと感嘆の息を溢した。


「なっ、なにそれ!魔物!?」


「そんな訳がないだろう。だ、魔力で産み出したただの伝達係だよ」


「見事なものだね。でも、今君を拘束している手枷は確か魔封じなのではなかったかな?」


 不思議そうな王子の声に苦笑を返す。

 確かにこの手枷には魔力を封じる石が用いられている……が、魔力が一般的でないこの国では周知でないが魔封じにも実はランクがある。実際には普通の魔封じではガイアス程の魔力保持者を完全に封印する事は出来ないのだ。本気で魔力を放出すれば、内側から手枷を破壊しここから脱出することも容易だろう。


「まぁ、それはあくまで最終手段ですから今はしませんがね。彼女と共に生きるなら、真っ当に光の元を行きたいので」


 だから、あくまで今の自分に出来るのは彼女のサポートだ。 


 自分の髪と同じ色をした三匹にそれぞれ手紙を託す。一通は、皆を助けるべく奔走しているであろうセレンへ。


「何よ、セレへの手紙なんてただの世間話じゃないの」


「これくらいでいいんだ。下手に書いてこちらの現状を知られても不安を煽るだろう」


 単に、彼女に弱っている姿は知られたくない意地なのだが。その言葉にウィリアムは同意の苦笑を浮かべ、アイシラは鼻を鳴らした。


「下手な意地張ってんじゃないわよ。一年も一緒に暮らしてたならそんなん今さらじゃない。それに、そんな事で幻滅するような子じゃないって信じたからあんただって惚れたんじゃないの?」


 さっぱりとした口調で核心を突かれて驚いた。彼女は存外侮れない所があるようだ。


 シンプルに『そうだな』とだけ返して次の手紙を取り出す。もう一通は、彼女の生家へ。これも大切な布石だ。三通目は……


「誰に出すつもり?」


 質問の呈を取っておきながら始めからこちらの返事は期待していなかったらしく、アイシラの関心がそちらに移った。


「君が言った通り、セレンは隙が多いからな。危険な調査に行くならば“協力者”が必要だろ?」


 セレンの手紙に入れたのと同じコインと共に封筒の宛名を見せてやると、あからさまにアイシラが顔を歪めた。



「げっあの軽薄男に頼む気!?素直に協力してくれるわけ無いじゃない!」


「そうでもないさ。あいつはあれで意外と甘いんだ」


 じゃなきゃ、自分の減刑を求める嘆願書をわざわざ部下からかき集めて持ってきたりする訳がない。それに。


「あいつは俺に山程貸しがあるからな。嫌だなんて言わせないさ」


 本っっっっ当に、あいつには散々苦労をかけられてきたのだ。そのツケだと思えと、手紙に至極丁寧に書いてやった。たまにはフォローする側の苦労を味わってみるといい。


「……あんた、それ脅迫って言うのよ?」


「人聞きの悪いことを。あくまで悪友への可愛いお願いじゃないか」


 しれっと返せばアイシラは舌を巻き、ウィリアムは君が王家の敵じゃなくて良かったよと笑う。心外だ、そんなにあくどい顔をしていただろうか。


「ま、何でもいいけど本当に大丈夫?あいつ女好きなんでしょ。セレに何かされたらどうすんの?」


 その問いにピタリと作業の手が止まる。顔を上げると、向かいの二人が一瞬で青ざめた。


「まさかその点を何も対処せずに俺が彼女の元に他の男を送るとでも?」


 こちらは笑っているというのに二人が青い顔のままさっと顔を背けたので、眷族たちを鉄格子の隙間から空へと放つ。今は打てる手はこれが全てだ。

 何にせよ、これで賽は投げられた。後は結果を待つばかりだ。


(上手くやってくれよ……友よ)


 眷族の一匹である黒鳥の羽ばたきが遠退き、舞い落ちた羽が床に触れて消えるのを見ながら、今度こそ意識を手放した。



  ~Ep.77.5 トゥルーエンドへの布石~


  『他人に定められた筋書きじゃない、自分達の未来を掴め』

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