Ep.18.5 弾ける想い(ガイアス視点)

 どうして、この日に自分はここに居るのだろう。

 ナターリエの誕生日祝いの為にと長い旅路を走って、王都に着いた翌朝。公爵家の門を見上げて、ガイアスは何故だかそんなことを思った。


 中に入るのが躊躇われてしばらく突っ立っていると、門番から知らせを聞いたらしいナターリエが屋敷の中から現れる。


「あら、来たのね。いらっしゃいガイアス」


 優美に笑って言われたその言葉に苦笑した。自分から拒否不可能な招待状を出しておいて、随分と他人事な言い方だと。

 今頃自分の誕生日にも関わらず幼い弟達の為にケーキ作りにいそしんでいるであろうお人好しの彼女ならば、きっとこんな言い方はしないだろう。なんて無意識に比較して、ハッと慌ててその考えを振り払う。


(って、何を考えているんだ俺は……!セレンは今関係ないだろう)


「ねぇ、夜まではまだ時間があるでしょう?久しぶりに皆でお茶でもどうかしら?」


「……っ!」


「きゃっ!あらあら、どうしたの?」


「ーっ!も、申し訳ございません……!」


 しなだれかかるようにしてナターリエが右腕にしがみついて来た瞬間、ぞわっと身体を駆け抜けた不快感に思わず身を捩って逃げてしまった。


(何だ?今の嫌悪感は……)


「……申し訳ありません、長旅で少々疲れているようですので、失礼いたします」


 自分でも思いもしなかった自らの態度に驚きつつも、口早に退席の挨拶を述べる。ガイアスはこの日、出会ってから初めてナターリエの誘いを断った。




 だからと言って、夜まで何をする予定があるわけでもない。さてどうしたものかと考えて、腰に吊り下げた愛剣が目に留まる。長らく鍛練に使い回して居たので、ずいぶんとくたびれてしまっていた。


「長らくメンテナンスしていなかったからな、流石にそろそろ手入れしないと……あ」


 そうだ、城下町には行きつけの腕のよい鍛冶屋がある。久しぶりにそこで手入れでも頼もうかと、城下町へと足を運んだ。


 少し煤けた煉瓦造りの工房に足を踏み入れれば、顔馴染みの老店主が振り帰る。亡き義父の友人でありガイアスが幼い頃から心を許しているその人が、顔のシワを深めて微笑んだ。


「おぉ、黒の騎士様ではありませんか。お久しゅうございます」


「その呼び名は止してくれ、幼い頃から世話になってきた貴方にそんな風に敬われては立場が無い」


 そう言って笑いながら肩を竦め、ガイアスは愛剣を店主に差し出す。鞘から取り出して状態を確かめた店主は、『ずいぶん使い込まれているご様子ですので、手入れには二、三時間程かかりそうですなぁ』と口にした。

 

「そうか……。では出来た時間を見計らってまた来るとしよう。それまで外で時間を潰してくる」


「お一人で……ですかな?」


「そうだが、何か?」


 出ていこうとしたところを呼び止められたガイアスが、不思議そうに呼び止めてきた店主に聞き返す。


 その『何が聞きたいのか』と言わんばかりのガイアスの表情を見て、店主は『何でもありません』と首を横に振り微笑んだ。









ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 艶やかな漆黒の髪を隠さずに街をブラついていると、ちらほらと道行く人々から畏怖の眼差しや“忌み子”だなんだと心ない悪口を囁かれた。近場の店のガラスに反射した己の姿を見て、ひとつに括った黒髪を指先で弄る。


(しまった、スチュアート伯爵領ではこのようなことがなかったから気が緩んでいたな……。昔みたいにフードか何かで髪を隠しておくべきだったか)


 そんな後悔が一瞬浮かんだ時、いつかの春の夜のセレンの言葉がふと耳に甦る。


『私、ガイアの髪好きよ。穏やかな夏の夜空みたいな色で、吸い込まれそうになるもの』


 今まさにここで言われたかのように鮮明に甦った彼女の言葉に、まぁ隠さなくていいかと、他人の心ない言葉など気に止めることもないと、そう気持ちを切り替えることが出来た。

 同時に、彼女の事を考えたその時に一回だけドクンと強く脈を打った心臓と、じわりの心を満たす温かい感情に首を傾げる。


(何で今日はあいつのことばかり考えてるんだ……?目を離すと危なっかしいからか?)


 思えば、護衛として側に居るようになって以来、丸一日以上彼女から離れていたことはなかった。だからなのだろうか、彼女の……セレンの存在が、頭から離れないのは。


 そうだ、きっとそうに違いない。と自分を納得させたところで、ふと道沿いの宝石店に目が止まった。ショーケースに並ぶ髪飾りの類いを見て、『髪留めが欲しい』と悩んでいたセレンの姿を思い出す。


(普段から食事から何から世話になりっぱなしだし、第一誕生日なんだから……贈り物の一つくらいおかしくはないよな?)


 でも、この店のいかにもきらびやかな商品はセレンのイメージにはそぐわないような気がする。そうだ、彼女は宝石よりも、天体を模したモチーフの物が好きだと言っていた筈だ。


(天体モチーフの装飾品、か……。参ったな、そもそも女性ものの装飾品の店なんて知らないし……どこに行けば)


「よぉ、ガイアスじゃん!お前みたいな堅物がこんな店に来るなんて、俺らのお姫様ナターリエさまへの謙譲品探しか!?」


「ーっ!!?」


 悩んでいた所に不意打ちで声をかけられてビクッと肩が跳ねる。うんざりしながら振り返れば、ケラケラと笑う同僚ルドルフがそこに居た。


「ルドルフ……、突然背を叩くな。驚くだろう」


「悪い悪い!で?パーティーは今夜なのに今さら贈り物探しか?お姫様の要望の品、ど田舎のスチュアート伯爵領では見つけられなかったのかよ」


 ナターリエは毎年、自分を慕っている男性陣には招待状に今年は何が欲しいかを明記してそれを送ってもらっている。ルドルフもガイアスもその例に漏れず毎年そうしてきた。もちろん今回もナターリエが希望していた豪奢なティアラは購入済みなので、ガイアスはルドルフの問いに首を横に振る。


「何だ、贈り物が買えなかったなら一人脱落かと思ったのにざーんねん。まぁいいや、俺もお姫様にあげるアクセサリーはたんまり買ったし帰るわ。じゃあまた夜になー」

 

 興味を失くしたのかルドルフがヒラヒラと手を振り出ていこうとする。店そのものや店員との掛け合いにも手慣れた様子のその姿に、そういえばこの男は女遊びに手慣れていた事を思い出す。


「……っ、ルドルフ!」


 今にも扉から消えそうなその背を慌てて呼び止めた。


「ん?何?」


「この辺りで天体を……、星や月をモチーフにした髪飾りが買える店を知らないか?」


「……は?」


 唐突なガイアスからの予想外過ぎる問いに、ルドルフは持っていた袋を地面に落とした。



「この辺りで空をデザインに取り入れた装飾品が買えるのは俺が知る限りここだけだけど」


「すまない、助かった」


 ルドルフに案内されたその店は、豪奢な宝石類は無いが品が良く優しいデザインのアクセサリーが並ぶ穏やかな雰囲気の店だった。

 礼を述べたガイアスに、やれやれとルドルフが肩を竦める。


「まぁ近くだったし別に良いけどさぁ……。こんな地っっ味な店のもの、俺らのお姫様には似合わないよ?」


「いいんだ、ナターリエお嬢様宛じゃないから」


「え?じゃあ一体誰に……」


 怪訝そうに眉を寄せたルドルフに苦笑してから、店内に並ぶ髪飾りを端から見ていく。左から7つ目の水色のリボンの前で、ふと足が止まった。

 満天の星空を閉じ込めたようなガラスのドームが真ん中についた、シルクのリボン。決して派手すぎないが優しく包み込むような輝きが、穏やかで温かい彼女によく似合いそうだと。


(あぁ、これがいいな)


 手に取ってデザインを良く見ながら、渡したら彼女はどんな顔をするだろうかと夢想する。無意識に口元を綻ばせる自分を、ルドルフが訝しげな眼差しで見ていることには気づかなかった。









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「お待ちしておりました、手入れは済んでおりますよ」


「ありがとう、これでまたしばらくは大丈夫そうだ」


「いえいえ、大変お待たせ致しました。ガイアス様は、街でお買い物でもされていらしたのですかな?」


 剣を受け取った右手に下がっている可愛らしい紙袋を見た店主に問われて、ガイアスはふっと笑みを浮かべた。


「あぁ、誕生日の贈り物なんだ」


「そうですか。それをお渡しになる相手の方は、ガイアス様にとって大切なお方なのでしょうなぁ」


「…………え?」


 思わず聞き返したガイアスに、店主が悪意のない笑みのまま続ける。


「先ほどいらっしゃった時から、以前より雰囲気が穏やかになられたとは感じていたのです。それはきっとその贈り物を差し上げる方のお陰なのでしょう。ガイアス様がお幸せそうで、この老いぼれも心底嬉しく思っておりますよ」


「……あ、あぁ。ありがとう」


 全く裏のない何でもない店主の言葉に、ずっと気づかないフリである感情を押さえ込んでいた心の蓋にピシリと亀裂が入った音がした。


 









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 筒がなくパーティーが終わった直後、ナターリエが用意していた宿に立ち寄ることもせずに荷物片手に馬に跨がったガイアスを見てルドルフが焦った様子で駆け寄った。


「ちょっ、待て待て待て!どこに行く気だ!?」


「スチュアート家に帰る。今なら休まず走れば日付が変わる前には戻れそうだから」


「何でだよ、明日でもいいだろ!?今日帰らなきゃならない理由があるのか?」


「セレンの誕生日なんだ」


 『だから、今日の内に渡したい』と、昼間に買ったリボンを手になんの躊躇いもなく言い切ったガイアスに、ルドルフはやっぱりかと深いため息を溢した。

 


「あーぁ、まさかとは思ってたけど、これこそまさに『ミイラ取りがミイラに』って奴だな」


「何の話だ?」


 間髪入れずにか返ってきたガイアスの声に、ルドルフは信じられないとばかりに目を見張る。


(こいつ、気づいてなかったのか?その髪飾りを見てた時、自分が完全に恋した男の表情かおしてたってこと)


「よくわからないが、用が無いならもう行くぞ。急いでるんだ」


「ふうん、ま、仲良くなるのは結構だけど深入りし過ぎないようにな?離れるときに自分が辛くなるよ」


「……え?」


 その指摘にざわりと心がざわつくなか、ルドルフはガイアスに容赦なく現実を突きつける。


「セレスティア嬢の事件日の記憶が戻ろうが戻るまいが、陛下がお前を彼女の護衛にした期間は一年間。あと半年もすれば、お前は王都に帰ってくるんだ」


 『ひとりで、な』と、念を押すように紡がれた言葉を不意に抜けた突風が吹き飛ばす中、ガイアスは改めて突きつけられた現実に呆然としながら離れていく友の背を見送った。












ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 帰り道。スチュアート伯爵領に続く二つ目の山を下り始めた辺りで、激しい雨が振りだした。

 体が芯から冷えきっているのは、この雨のせいだろうか。それとも……王都を出る際にルドルフに言われたあの言葉のせいだろうか。


『あと半年もしないで、お前は王都に“帰ってくる”んだ』


 そう言われた時、ただただ、頭が真っ白になった。ガイアスは元々、一年間だけ証人であるセレンに万一のことがないようにと派遣されたに過ぎず、本来は王都が自分の故郷。実際、スチュアート伯爵領に来てすぐの頃は早く王都に戻りたくて仕方がなかったくらいだ。それなのに。


(いつからだ。いつから俺は王都に戻りたいなんて全く思わなくなっていた……!?)


 いいや、違う。『帰らなければならないことも、忘れていた』と言うのが正しいだろう。だって、自分は……。


「ーっ!今の、雷鳴か……!?」


 揺れる心を振り払うようにして、前も見辛い危険な山道でも足を止めずに走り続けていると、不意に遠くの雲間に黄色い閃光が走った。雷だ。

 その瞬間頭をよぎる、雷に怯えて泣いていたいつかのセレンの姿に心がざわめく。足を早める為、手綱を強く握り直した。



 想定外の雨に足を取られたせいもあり、スチュアート家に帰り着いた時にはもう深夜だった。帰ってきたはいいが、流石にこんなに遅くなってしまっては……と、渡せそうにない髪飾りの袋をポケットの中でなぞりながら玄関の扉を開いて、目を見張った。普段ならとっくに誰もいない時間帯の筈の廊下に明かりが灯っていたのだ。

 寝巻きにカーディガンを羽織っただけの軽装でパタパタ動き回っているその後ろ姿に、信じられない気持ちが沸き上がる。


(あり得ない、何故まだ起きているんだ……? )


「セレン……?」


 自分で思っていたよりずっとか弱く響いた声をしっかり聞き取って、彼女が振り返る。


「ガイア!ずぶ濡れだねぇ、大丈夫?」


 駆け寄ってきたセレンが、自分に頭からタオルを被せてきた。されるがままに髪を拭かれながら、馴れ馴れしいほどのこの距離を違和感なく受け入れている自分に戸惑う。


 ナターリエの時には、腕に指先が貸すかに触れただけで振りほどいてしまったと言うのに。何故、まるで子供にするように髪を拭いてくるセレンの手を、こんなにも心地よいと感じるのかと。


 激しく揺さぶられる心を押さえ込んだ理性が、頭の奥で警鐘を鳴らす。この感情に、気づいてはいけないと。

 ……それなのに。


「これでよし、と。おかえりなさい、ガイア!!」


「ーー……っ!」


 誰もが恐れるこの髪に当たり前のように笑顔で触れて、自分が生まれてからずっと欲しかったその言葉を言うから。胸の一番奥で何かが、弾けた。……弾けてしまった、と言うべきだろうか。


(どうしてよりによって今、こんなに優しくするんだよ……!)


 彼女に『おかえり』と言われただけで、笑顔を向けられるだけで、ずっと隙間が空いていた心を満たしてくる感情。そうだ、鍛冶屋の店主に言われて、ようやくその名前がわかった。自分は今、幸せなのだ。彼女の隣に居るこの日々が、どうしようもないくらいに。

 同時に、狂ったように脈打ちだした心臓が痛い。締め付けるような痛みなのに、同時に襲ってくる胸が張り裂けそうな激情。これが答えだ。


 王都に戻りたくない。離れたくない、彼女の隣に居たい。離れた所で、彼女の笑顔が、声が、仕草が、心に焼き付いて離れないんだ。叶うなら、ずっと隣に居て欲しい。


 だけど、利用する気で近付いた自分が、……どの面下げてこの想いを彼女に伝えられるだろう。


(だからこれ以上、俺の心に入ってこないでくれ……!)







 シャワーから上がり、ソファーで眠りこけていた彼女の柔らかい髪を指先で弄る。さらさらと指の間をすり抜けていく感触さえもどかしくて、緩く編まれたその髪にプレゼントのリボンを結びつける。


「今さら好きだなんて、言えねーよ……!」


 今にも溢れ出しそうな想いを無理矢理噛み殺す。自分の声が今にも泣き出しそうなほど揺れていることには、気づかなかったふりをした。



     ~Ep.18.5 弾ける想い~


『一度気づいてしまったら、もう後へは戻れない』






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