第42話「アジ」
───ブチ折ってやらぁぁ!!
「おらぁぁぁぁぁぁ──」「待てこら!」
それなりに手加減して、ブチ折るつもりで殴ろうとしたバズゥの腕を止めるものがいた。
「何やってんだおめぇ!」
ギリギリギリと脂汗を浮かべつつも、バズゥの腕を止めて見せる男───オヤッサンだ。
「あぁん? んだこらオヤッサンよぉ!? あんだテメコラ、こいつらとグルか──あぁん?」
腕に込める力を抜くと、オヤッサンがたたらを踏みつつもバズゥの正面に立って見せる。
漁師とキナを背後に
「どういうこったこりゃ? なんで4人も
こいつらが何をした、と?
本気で怒った顔でバズゥを睨む。
「おーおーおー…やっぱグルか? あん? こいつらはよぉ、タダ飯を散々食らった
一瞬オヤッサンが、ポカンとした顔で、
「はぁ? それだけで、
ち…
結局オヤッサンも向こう側の人間か…
漁労組合と同じだな。
「そうだ、十分な理由だろうが。俺の家族を小馬鹿にして、今まで
構えを
もう、オヤッサンごと
「ん? ん? なんだぁ、どういうことだ? 今まで
オヤッサンが首をかしげる。
「散々は散々だ。そうだよ、ウチはツケなんざやっちゃいないぜ。──知ってんだろが!」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待て。ツケ? とか何の話だ? こいつらとどう関係がある!?」
おいおいおいおいおい…まさかアンタ。
「コイツらがいつもタダ酒に
……
…
「な、なんだと?」
…おいおい、普通気付くだろ?
どんだけその目は
「い、いつからだ…!?」
真っ青になったオヤッサン──
キナは
「詳しくはキナから聞いてほしいが…まぁ、ハバナの野郎に借金を作った頃だろうな」
色の抜け落ちたような表情とでも言うのだろうか…
オヤッサンの顔は土気色だ。
ドサッ──と、その場に尻もちを付く。いわゆる腰が抜けた状態。
そして、ガシリと頭の髪を掻きむしると、
「くそ! なんてこった…、こ、こ、こいつら」
クルっと、オヤッサンはキナに向き直ると、この地方最大の謝罪である「土下座」を
「キ、キ、キ、キナちゃん‥いや、キナさん! すまない! この通りだ! 許してくれ!!」
ゴリゴリゴリと額で床を
「あ、アジさん? な、え、えぇ? どうして?」
漁師から離れると、
ふむ…最後の一人をブン殴る空気じゃないな。つか、もう気絶してやがる。
「す、すまない! すみません! ま、まさかそんなことになっているなんて! お、俺は! 俺はぁぁ!」
「や、やめてください! アジさんは何も悪くないです! 悪いのは私なんです! お願いですやめてください! バズゥ! 止めてよぉ!」
キナがオロオロとしたまま、アジとバズゥに
もう謝罪の応射は、激戦地のごとく。
オヤッサンに至っては、そもそもなんで謝ってるんだって気もするが――まぁ気持ちは分かる。
これで、オヤッサンはハバナを除けば漁師達のリーダーみたいなものだ。
実際は、金銭はハバナが握り、技術と実働はオヤッサンが握っているようなもの。
オヤッサンは漁労組合に参加していないが、別に敵対しているわけではない。
ちゃんと、漁労組合も利用しているし、情報を提供している。
ハバナは良い顔をしないだろうが、オヤッサンなしでこの辺の漁が成り立たないのも事実。
職人気質のオヤッサンは、組織ってのを嫌っていたからこそ、今のような
だが、それも悪くはない。
ハバナみたいなクソに完全支配されないのもオヤッサンがいるからだろう。
ただ、それが故に、こうした
オヤッサンが頂点ならともかく、漁労組合と距離を置いた関係であるがために漁師たちの行動すべてに目が行き届かないのだ。
面倒見は良いが、職人気質のオヤッサンと
仕事以外は、皆オヤッサンと距離を取りたがる。
それが今の状態を生み出していた。
「くそ! いったい何人が酒代踏み倒してやがるんだ! くそ! おい起きろテメら!」
ムクリと体を起こしたオヤッサンは、気絶した漁師どもをガックンガックン
だが、そう簡単には起きないだろう。
そういう風に
「んー。オヤッサンよぉ…状況は分かってくれたみたいだな」
「ぐぅぅ…バズゥ…すまん! 俺がいながら…!!」
いや、アンタはウチの家のなんなんだよ。ただの常連だろうが。そこまで責任負う事じゃない。
「すまん! この通りだ!」
再び、土下座するオヤッサン───
「オヤッサン…謝罪は分かった。だが、俺もキナもアンタ一人に謝ってもらって済む問題じゃないからな。取りあえず顔をあげてくれや」
ドカっと、カウンターに腰かけるバズゥを悲痛な面持ちで見上げるオヤッサン。
それをサラっと受け流して、
正座したオヤッサンは一瞬、
キナにも席に着くように促す。
青い顔をしたキナは、迷っていたがカウンターに回りオヤッッサンのために酒を造り始めた。
バズゥはその間に、
ブツブツ言っていたが、意外と素直に従うジーマ。
なんか顔赤いし…熱でも出たかね?
まぁ
さて、と。
オヤッサンを交えて、積りに積もった
少々回り道をしたが、最初からオヤッサンを交えて話をすればアホ漁師どもを
※ ※
「そ、そんなにか…」
ガクリと肩を落としたオヤッサン。
キナは溜めに溜めていた
正直聞いて俺もビックリした…
半端じゃない金額だ。
そりゃ借金まみれになるわ。
「なんてこったあの馬鹿ども!!」
治療されて外に放り出された漁師たち以外にも名前の挙がった連中を思い浮かべて頭を抱えるオヤッサン。
当然漁師以外の村人もある。
一応そいつらのことも話してある。
「バズゥ…キナちゃ──さん。本当にすまねぇ…
バズゥは酒を
「今は、謝罪より金だ。わかるだろ」
ギクっとした顔のオヤッサン。
「そ、それはそうなんだが…いくらなんでもすぐにそんな大金は…ゴニョゴニョ」
語尾を
だが、オヤッサンは根本的なところを間違えている。
「おいおいおい…オヤッサンよぉ。アンタ一人で払うつもりか?」
ボケッとした顔、
「いや、しかし責任が…あるだろう」
ねぇよ、バカ。
「んなもん踏み倒した奴の責任だろうが」
何を言ってんだとばかりにバズゥが言うと、
「う~…む。そうなんだがな…」
まぁ、オヤッサンも独裁者じゃない。
ハバナならできるだろうが、オヤッサンは漁師たちのリーダーではあるが、それはあくまでも心理的な繋がりに過ぎない。
金銭的な繋がりなら強制力も発揮できるだろうが、オヤッサンの場合それは難しい。
一人二人なら、出来なくもないだろうが…あまりにも数が多すぎる。
技術の指導という精神的立ち位置はあるものの、下手をすればオヤッサンが孤立する。
だが、まぁバズゥから言わせればそれも的外れだ。
オヤッサンにやってほしい事は借金の取り立てじゃない。
簡単に言えばメッセンジャーだ。
つまり、
「無銭飲食は犯罪だ」
バズゥは短く告げる。
オヤッサンは何を当たり前のことを、という顔だ。
「俺は漁師連中の家を一軒一軒回るようなことはしたくない。だから今回はオヤッサンあんたが動いてくれ」
すなわち…衛士への通報だ。
キナが
が、正確にはちょっと違う。
「俺こと、バズゥ・ハイデマンそして、ギルドマスターのキナ・ハイデマンの証言付きで無銭飲食を訴える用意がある、そう伝えてくれればいい。
ぶっちゃけ、全員逮捕されればいいという気持ちもあるが、それよりも今は金が帰ってくる方が重要だ。
牢にぶち込まれて、短期間で反省だけされても困る。
国も一々犯罪者の罪状に応じて被害者への補填なんざしてくれるとは思えない。
それくらいなら、通報を餌に自分から払うようにさせたい。
それもできるなら俺の名前を前面にだして――だ。
キナは、自分のせいで他人が犯罪者になるなんてことは望まないだろう。
だから俺が憎まれる。
バズゥ・ハイデマンが憎まれようじゃないか。
アイツが帰ってきたせいで! とな。
そうすればキナは大丈夫。バズゥのせいで───キナは渋々従ったとそう見えればいい。
「い、いいのかそれで?」
オヤッサンもようやくバズゥの意図に気付いたらしい。
「いいさ。別に嫌われても、俺は気にしやしないぜ?」
元々コミュ力に自信などないから、村でどうこう思われても正直どうでもいい。
家族さえいれば気にもならない。
「…わかった、
意を決した表情でオヤッサンは真っすぐに見返す。
「あぁ、オヤッサンは
皮肉交じりの返答にオヤッサンが、今日初めて顔を歪めて笑う。
「相変わらず生意気だな…いいさ、任せてもらおう」
ケっと、ばかりに酒を飲み干すオヤッサン。
キナはさりげなく酌をして、新しく注いでいる。
「だが…漁労組合のことはどうにもできん」
重々しく
「いいさ、そこまで期待していない」
バズゥも何の感情も込めずに言う。
漁労組合のことは腹立たしいが…合法は合法なのだ。
ハバナの言うことにも穴はない。
意趣返ししたい気持ちは、もちろんあるが…正直──今はどうにもできない。
だが、きっと何かチャンスはある。
忘れてしまえばそれでいいのかもしれないが、それではバズゥが納得できない。
─────キナだけならきっと許してしまうだろう。
だが…俺は人間だ。
どうしようもなく人間だ。
だから、俺の気持ちを正直に漁労組合──ハバナにぶつけてやりたい。
例えるなら、
あの野郎が崖から落ちそうになっていたら、
そういうガキじみた考えが胸中に渦巻いている。
「だから、オヤッサン。漁労組合以外はあんたに任せるぜ。礼はできないが…」
「礼だぁぁ!? 見くびるんじゃねえぇぞ! 俺は俺がやりたいようにやる。謝罪も賠償もそうだ!」
グイっと酒を飲み干しガンとカウンターに叩きつけるオヤッサン。──はっはっは。調子が出てきたようだな。
バズゥもつられて酒を飲む。
グィィ! ───プフゥ!
「「おかわり!」」
はいはい。と、キナが慣れた手つきで酒を注ぐ。
グィィィ───ブハァ!
と同時に二カ所から熱い息が上がる。
「「オカワリ!」」
はいはい。
と、夜も更けるまで、オッサン二名は酒を飲み明かした。
何も解決していないが、少しづつ少しづつ事態は進んでいく。
その先には別に栄光なんてものはありはしないし、華々しい物語もない。
ただの家庭問題だ。
だが、バズゥにとって死命を決する戦いと同様。家族の安寧のための戦い。
そう、戦いなのだ。
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