第62話 汚す気?
ヒカルの両手が伸びて愛子の背中を覆うように抱きしめる。愛子の両肩まで完全に埋めるように力強く抱きしめると、冷たい唇をうなじへ乗せた。
冷たい唇の間から熱い舌が出て肌の上を舐め上げる。荒い息遣いが耳元に響いて、鳥肌が立った。
テーブルに乗せた手を上げ、自分の肩を抱く彼の両手の上に重ねる。
「貴方は、なんていい匂い・・・やわらかな肌。ふるいつきたくなるってこういうことを言うんだね。」
「ば、馬鹿なことを」
「あの時と変わらない、むしろ今の方がもっと艶っぽくて、煽られている気分になる。・・・あの人、本当にゲイなんだね。でなくちゃとっくに貴方はあの人に犯されてるよ。」
「だから、そんなのないってば。そんなこと言うのは本当にヒカルだけよ。どうかしてるわ。」
「どうかしてる?うん、どうかしてるんだ。だって、もう止められそうにない。うちに貴方が来るって言ってくれた瞬間に、もう僕は。」
ジャケットの上から硬い指が胸元を探った。入り口を探すように、ボタンを忙しくはずしていく。
「あ、ヒカル、ちょっと待って。」
「何?・・・今更、駄目だなんて聞けないよ?」
「・・・頼むから暗くして。せっかく明かりを点けてくれたけど、見られたくないの。お願いよ。」
年齢的にもう明りの元で素肌を見られることに耐えられない。若いヒカルにはきっとわからないだろうけれど、愛子は見られてがっかりされるのは嫌だった。そう思う事がもう、昔とは違う。あの頃は逆に、幻滅して貰おうとさえ思ったのに。
彼は何も答えず、その動きを止めた。胸元に手を入れたまま。
「若い女の子みたいなこと言うなって思わないで。こんな年だからこそ見られたくないのよ。」
「僕に恥じらってくれているんだね。・・・嬉しいよ。」
「は!?恥じらいとかっそんなんじゃなくてっ」
「だってそうでしょう?恥ずかしいから見られたくないんでしょう?ああ、貴方って本当に可愛い。」
「・・・もうっ、じゃあそれでいいわよ。それでいいから、暗くして。」
「抱っこしてもいい?していいなら、消してあげる。」
体重を実感されるのが嫌か、裸を灯りの元で晒すのが嫌かの二択を迫られ、愛子は即座に頷いた。体重を知られるほうがまだましだと判断する。
ヒカルが一旦愛子から身を離した。床に落としたハンドバッグを拾ってテーブルに置く。
呆然をそれを見ていると、身構える間もなく、ヒカルの手が愛子の背中と膝に伸びて力任せに持ち上げた。
「ちょっ・・・消す方が、さき」
「大丈夫、ベッドでも照明の調節は出来るから。」
「ずるいわよ」
「そうだね。」
悪びれもせずに言い切って、ヒカルは愛子を抱き上げ数歩歩き、クローゼットの奥のカーテンを開いた。
そこはささやかながらも寝室だったようで、シングルのベッドが置いてある。彼が今朝寝て起きたままなのだろう、乱れた毛布が半分落ちかけていた。
その上にゆっくりと下ろされ、座り込んだ。
「・・・脱いでくれる?着替えは無いでしょう?汚したくない。」
まだ明るい室内で、煙るような色っぽい顔を見せたヒカルが低く呟いた。
目の前ですごい台詞を吐かれた、と思った愛子が僅かに顔を赤らめた。
「汚す気なの?」
「汚すさ。自分で脱ぐのが嫌ならば、無理にとは言わない。ただ僕に脱がせたらぐちゃぐちゃにしてしまうよ。脱がせているうちに色々吹っ切れちゃうからね。うちにも洗濯機くらいは有るけど、乾燥が間に合うか。濡れた下着で仕事に行くのは嫌じゃない?」
つまり、乾燥機はないということだ。
「わかったわよ、脱ぐけど、早く消して。」
そう言うと、すぐに室内が暗くなった。
「さあ」
まるで追い立てるように催促され、渋々ジャケットに手を掛ける。
確かに相手の言う事にも一理ある。コトが済んだ後、着替えがない以上今着ている服を再び着るしかないのだ。下手に皺を寄せられたリ、あろうことか汚されたりするのは得策とは言えない。
年齢差はともかく、異性の恋人の部屋へ行くと言った以上はするつもりで来ているわけだし。
なんとなく不安になって来る。
数年ぶりのその行為を、今夜滞りなく出来るだろうか。上手にできるだろうか。
ジャケットを脱ぎ、ベストを脱いだ。丁寧に畳んで床の上に置き、続けてブラウスやスカート、ストッキングや下着などのインナーまでも体からはずした。下着の類はより小さく折り畳み、上着やスカートで挟んで見えないように配慮する。
最後にパンプスを脱いで、ベッドの上に横になった。
ヒカルの匂いのする寝具に囲まれ、まるで完全に包囲されたような気分だ。観念しているし、ヒカルとは経験済みなのだから今更緊張しても仕方がないのだが、動悸の速さは誤魔化しようもない。生娘でもあるまいし落ち着けない自分が恥ずかしかった。
今の事より明日の事を考えよう。早朝に起きたとして、ヒカルの部屋のシャワーブースを借りて、化粧をし直して、地下鉄の始発の時間を後で確認して。それから・・・。
唐突に寝台が悲鳴を上げた。と同時に大きく揺れる。
そして、体温が近づいたのを感じた。触れていなくても感じられるほど間近に温度が、もどかしいほどにゆっくりと動いて愛子の隣りに横たわった。
ほとんど光がないので互いの様子は視覚ではわからない。目が慣れてくるを待つまでもなく、目を閉じる。
手探りで動く手が、愛子の肩に触れた。
「キスしていい?」
くぐもった声が囁く。いつも、デートの帰りに送ってくれた時のように、同じ言葉を。
愛子は、如何にも余裕のある大人の女の風情を出して。
「いいわよ。」
と答える。
「・・・ここに。」
と、言葉が続くとは思わなくて。
肩に触れたヒカルの手が、導くように伸びて愛子の足の指先まで伸びる。
右足の、小指の先に濡れたものが触れた。
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