第22話 愛する娘
なんだ。もう、とっくに、双子は親離れしていたのだ。
子離れできていないのは母だけだった。双子の事を子供だとばかり思って、まだ母親を必要としてくれているんだと思い上がっていた。
いつでも双子は、自分の手を離れていける。
放心したように何も言えないでいる愛子に、アーサー様は穏やかに諭すように言った。
「ミスズは貴方の許可が欲しいと言ってる。ママに反対されるかもしれないけれど、勝手に家を出ていくような真似だけはしたくないと。」
そこまで思ってくれている。ミスズは、養母を悲しませたくないと思ってくれている。
一言の相談もしてくれなかったけれど。
『愛してるわ、ママ。いつも大好き。』
いつもそう言って愛子の両頬にキスしてくれる。ヒカルが恥ずかしがってしてくれない時も、ミスズは温かいハグと一緒に必ずしてくれる。ライオンヘアーの、大きな猫みたいなミスズが可愛くて、そして頼りにもしていたのだ。冷静で穏やかなヒカルと違って陽気な彼女は、我が家のムードメーカーだった。
ヒカルと気まずくなってしまった関係も、ミスズがいれば元に戻せるだろうなんて高をくくっていたくらいに。
「少し、時間を頂けますでしょうか。色々と話しておきたいこともありますし。」
運ばれてきたミルクティーがすっかり冷たくなる頃に、ようやくそう言えた。
「勿論だ、今すぐになんて言わないよ。それに、ミスズは俺の所へ来たってアイコの娘であることには変わりないんだぜ。だから、そんなに思い詰めた顔をすんなよ。俺の所なら、スポーツトレーナーの勉強も続けさせてやれるしさ。悲観することじゃないんだ。落ち込まないでくれアイコ。」
「悲観するだなんて・・・こんな有り難いお話を頂けて感謝しております。」
建前だと知りながらそう言うしかない。
確かに就職先を面倒見てくれているのだから、有り難いと言うべきだろう。けれど、体よく娘を奪われて行くような気がしてならないのだ。
駅までは、やはりサムが車で送ってくれた。
列車内では別の護衛が一人付くそうで、ロンドンの自宅に着くまでは気付かれないようにずっと守ってくれるそうだ。
荷物を個室の荷物置き場にしまって座席に座る。向かい側にヒカルが座った。
ハワード・レジデンスを出てからは再び冷戦状態に陥ったみたいに、ヒカルは一言も口をきかない。
聞きたいことが山ほどあるのに。
いつからミスズは護身術を習っているのか、アーサー様は交流があるのか。具体的に彼の元へ行く話になったのは。この旅行は、そのためだったのか。
ヒカルは知っていたのか。いつから知っていたのか。
・・・一度も母親に相談しようとは、思わなかったのか。
後から後から生まれてくる疑問を飲み下しながら、横目で息子を盗み見る。
ヒカルは憮然とした顔のまま、端末を指先で弄っていた。
来るときは、ここで愛子に告白して、キスしてきたくせに。
現在の態度の、なんと素っ気ない事だろう。いくら怒っているにしたって、何か一言でも言ってくれてもいいのに。
そんなふうに思うこと自体がもう、駄目だ。それはもう息子に対して思う事ではない。
この三日間の旅行で、多くの変化を知った。
双子の子供の変化も、そして、自分の環境の変化も。
最早、子供達と違って自分を変えることなど出来ない愛子は、対応に戸惑って落ち込むしかなかった。
自宅に戻ると、ものが雑然と散らかっていた玄関とリビングが綺麗に片付けられ、床が磨かれていた。
「わお!すっごいわ。本当にピカピカにしてくれたのね。」
スーツケースを寝室へ運ぼうとすると、何も言わずにヒカルが持ち上げて運び込んでくれた。怒ってはいても、やってくれることに少し安堵する。
ダイニングキッチンも綺麗になっていて、テーブルの上には花が飾ってあった。素晴らしい。
「ミスズ―!」
呼んでも家の中から返事は返ってこない。彼女の自室へ行ってみたが、もぬけの殻だ。
綺麗に整頓された室内に、不安になってしまう。まさかもう出て行ってしまったのではないだろうか。
思わず端末を取り出して彼女に電話した。すると5コール目で画面にいつものライオンヘアーが現れる。
「ハロー。あ、ママおっかえりぃ。どう?おうちの中、綺麗にしたでしょう?」
「ええとても素晴らしいわ。今どこにいるのミスズ?」
「どこって、学校だけど。」
「ちゃんと帰って来るんでしょうね?」
「勿論帰るわよ?今日は久しぶりにママの手料理が食べられるんだから。楽しみにしてるわね。」
いつもと変わらない、屈託ない娘の笑顔と声に安堵する。ヒカルと気まずいから、一層に救いに思えた。
「こんな綺麗なキッチンなら料理する甲斐もあるわ。早めに帰ってらっしゃいよ。」
「はーいママ。愛してるっ」
「私も愛してるわよ。」
画面越しに口を尖らせてキスのポーズをする彼女が愛らしい。
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