第11話 母として叔父として
愛子はそれ以上堪えきれずに、ついに吹き出してしまった。
「あはっ!ははははっ!駄目っ!笑っちゃう。ごめんなさい、アーサー様。」
「んだよ~、笑う事ないだろ。」
拍子抜けしたように、侯爵が身を引く。またソファの背もたれまで逆戻りした。
「だって、可笑しくて、笑っちゃう。ひゃ~、いつもこんな風に女性に言い寄ってらっしゃるんですか?」
「んなワケないだろ。今のは、あんた用バージョン。特別仕様です。」
「ぎゃははははっ」
もっと盛大に笑ってしまう。これ以上笑ったら、ホテルの人に注意されてしまうだろうほどに。
ハンカチで口元をそっと拭う。はしたない女でごめんなさい。
『結構本気だったのに・・・』
彼がぼそりと英語で呟いたのが聞こえ、思わず聞き返す。
「なんですか?聞こえませんよ?ちゃんと日本語で言ってください?」
「うっせー、馬鹿にすんなって言ったんだよ。」
「馬鹿になんてしてませんって。いつも威張ってる侯爵様の、貴重な一面を見られて光栄ですわ。」
「・・・絶対馬鹿にしてるだろ」
口を尖らせてグラスを口に含む侯爵様は、酷く恥ずかしそうにしている。はにかむような顔は、やはり、あの人とは違っていて、アーサー様らしい。
愛子はその表情をこっそりと盗み見て小さく笑った。
わかっている。ティル侯爵は女好きの浮気者だけれど、優しい人なのだ。寂しそうな女性を見るとなんとなく放っておけない。だからついつい手を出してしまう。その優しさは後先考えない愚かなものかもしれない。けれど、アーサー様なりの優しさで、その結果、相手の女性が本気になって、浮気が発覚し夫婦喧嘩に至ってしまう。
どうしてか、侯爵家の男性は皆、とても優しい気質を持っているのだ。あの人もそうだったし、侯爵様も、彼らの父親だったと言う前侯爵様もとりわけ優しい方だったのだと言う。
きっと奥方もそんなアーサー様の気質を知っているので、夫婦喧嘩が離婚に発展したことはないのだろう。
「ありがとうございます、アーサー様。私は大丈夫ですわ。」
グラスに浮いた水滴をハンカチで拭って、彼のグラスにもう一度合わせる。かちん、と軽い音がした。
「大丈夫ですのよ。だって、可愛い子供が二人もいるんですから、寂しくなんかありませんわ。私はとても幸せです。・・・あの時養子縁組を快く承諾していただけたから、今、私はこんなにも幸福なのですわ。貴方にはとても感謝しています。」
「ちぇっ。反対しておけばよかったな。そうすれば独り身が寂しいわって言うあんたを簡単に俺のモノに・・・」
彼の冗談めかせた社交辞令を、本気にするほど子供ではない。
そう、悲しい事に、それほど子供ではないのだ。いっそ彼の社交辞令をまともに受け止められるほど子供だったらよかったのかもしれないけれど。
「嬉しいですわ、アーサー様。私みたいな女を、口説くほど価値があると仰ってくれて。そのお気持ちだけで、十分ですのよ。」
少しだけ困ったように金色の眉を寄せる彼に、自分も笑って見せた。
「んー・・・あんたさえ良ければ、その、もう一度双子を俺の方へ」
「いいえ、それはお断りします。」
即断で拒絶した私を、びっくりしたような丸い目でアーサー様が見る。
「いや、養子を解消するってことじゃなくってだな、その、自立の時の後見人っていうか、保護者の立場を俺に」
「私は公務員ですわ。保護者としての資格は十分にあります。」
「だけど、一応」
きっぱりと拒絶したにもかかわらず、執拗に続けるアーサー様の様子に母親の勘がピンときた。
「ミスズが何か貴方に頼み込みましたか!?」
ぎくりと眉を下げた彼は、慌てて両手を広げて否定する。
「いや、いや全然そんなのはない。ただ、ホラ、怪我で現役を諦めたんだって聞いたからさ。俺の口利きで勤め先とかも」
「え・・・」
何かを言いかけた時、愛子のバッグの中で端末が呼び出し音を鳴らした。
「あ、ちょっと失礼しますわ。」
着信の画面を見て、嘆息する。
ヒカルからだった。
一杯だけで戻ってくる、と約束したことを思い出して青くなる。これはまずい。一杯どころか3杯は飲んでいる。だって美味しかったんだもん。
慌てて通話ボタンをおすと、
「どこにいるの、アイコ。」
怒りを押し殺したような声音の息子が、画面の中で冷ややかに微笑んでいる。
「す、すぐに戻るわね。」
愛子は額の冷や汗を拭うとそう答えて通話を切った。
「とても美味しゅございましたわ、アーサー様。ご馳走様でした。では、私はそろそろ息子の元へ戻ります。お休みなさい、素敵な夜を。」
グラスに残っていたウィスキーを一気に飲み干して立ち上がる。カランと氷が鳴った。
「そう、そうか。じゃあ、またな。」
名残惜しそうに腰を浮かせてくれた侯爵様に丁寧に会釈する。
私は失礼にならない程度に急いで席を辞し、足早にホールを歩いてエレベーターへ向かった。
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