プロローグ 後編

 力なくキングは一人町を放浪していた。特に目的があるわけでもない。自暴自棄になりつつもあった。


「俺は、全てを失ったのか……」


 ふとズボンのポケットを弄った。中から出てきたのはわずかばかりの銀貨と銅貨だ。腰には古びた剣。冒険者になりたての頃に使っていた剣であり、愛着があったから取っておいたものだ。


 勿論、直前まで使っていたのはこれとは別のもので、以前ダンジョンで見つけた魔法の剣だった。


 だが、今それは手元にない。実はその剣も長らく愛用していた鎧も装備品を扱っている店で見つけていた。何故ここに? と店主に聞くとキングの妻が朝方売りに来たという。キングが冒険者を辞めたので必要がなくなったと言っていたようだ。


 その話に間違いはないが、装備品一式分を売って出来たお金はキングの手元にない。


 結局権利書の件と店主の話が決定打となった。妻は自分の意志でキングとの別れを決め、その資産を全て持ち去ってしまったのだと。


「冒険者を辞めた俺に価値はないか……」


 空を仰ぎ見て一人呟く。キングは現実を思い知った気がした。思えば妻と一緒になったのはキングが25歳のときだ。レベルも50になり気力ともに漲っていたころだ。


 だが、妻と一緒になってすぐにレベルが頭打ちとなり、次第に下がっていった。もしかしたらその時から妻はキングに不満があったのかもしれない。


 口では励ましたりしてくれていたが、内心ではこんなはずではなかったという思いだったのだろう。だが、それでも冒険者を続けているうちはまだ返り咲くことがあるかも知れないと見守り続けていたのかも知れない。


「……なんだ、悪いのは俺じゃないか」


 ギルドにしてもそうだ妻にしてもそうだ。自分は二人の期待を裏切ったのだ。だからこれはその報いだ――。


 冷たい何かが頬にあたった。直後水滴が激しい雨に変わった。天気までも追い打ちをかけてくるか、と自嘲するが、同時に今の自分の気持ちにピッタリだなと思った。


「キング! おいおいどうしたんだい、そんな雨具もつけず!」

 

 雨に濡れながらポツリポツリと歩いていたが、知った声に足を止めた。力なく首を回すと白髪頭の老齢の男性が立っていた。


「館長……」

「やれやれ、随分と湿気た面してるじゃないか。全く、そんなに濡れてちゃ風を引いちまうよ。ほら、入ってきな」

「いや、でも……」

「でもも何もないってなもんだい。いいから来なよ」


 そう言って手を引いてくる。キングは苦笑しながら見慣れた建物を見た。煉瓦造りの図書館だった。何も考えず歩いていた筈なのにこんなところに来てしまうなんてな、と思いつつ館長に促され中に入った。


「ほら、これで体を拭きな。今、紅茶も淹れてくるよ」


 申し訳なく思ったが、好意に甘え渡されたタオルで体を拭いた。間もなくしてトレイにポットとカップを乗せた館長がやってきて、キングを席につかせ紅茶を淹れた。


「ほら、温まるよ」

「ありがとうございます」


 頭を下げ紅茶を啜る、ホッとするような味がした。体の芯から温まる。


「……何か嫌なことでもあったのかい?」


 館長は何かを察したように問いかける。キングは力なく笑うことしか出来なかった。


「……ま、深くは聞かないよ。でも、ここに沢山の本がある。そういう時こそ、本を読めばいい。閉館までまだまだ時間はあるしね」


 キングの目をジッと見た後、それ以上は何も聞かず席を離れた。館長なりの気遣いなのだろう。あれこれと詮索されるよりはありがたい。


 紅茶を啜り、瞑目する。様々な想い出が頭をよぎりは消えていった。そしてその大半が冒険者としての想い出だった。妻との想い出がびっくりするほど少ない。


「もしかしたらそれも原因なのかな」


 そんなことを口にしつつ自嘲した。立ち上がり、ぽつぽつと本棚を眺めていく。キングは意外にも本が好きだった。


 冒険者には文字の読み書きができない物が多い。学園に通える平民がそもそも少ないというのも要因の一つだ。キングも平民出であった。だから学園は出ていないが、一冊の本との出会いがあり、独学で文字を覚えた。

 

 だからこそキングはよく図書館に顔を出していた。おかげでこの図書館の本は殆ど読み尽くしてしまっている。


 キングが特に好きなのは英雄記などの冒険譚であった。この辺りはやはり冒険者の血が騒ぐと言ったところか。


 そしていずれは物語の英雄みたいな偉業を成し遂げてみたいなどと考えたこともあったが、結局そんな日はもう二度とこないのか――そんな思いが去来し寂しい気持ちになった。


 そんな時だった、彼は木箱の中に収まった本の山を発見する。


 それはこれまでキングも見たことがない本であった。材質がかなり変わっており、しかも本のサイズがやたらと小さい。


「これはもしや……異世界の勇者の遺物か?」

「うん? あぁそれに目をつけたかい」


 はっは、と朗らかな笑みを浮かべ館長が近づいてきた。


「これは、もしかして異世界の?」

「あぁそうさ。最近うちに持ち込まれたものでね」


 キングは興味深くその本を手に取り、表紙を見た。色彩豊かな絵がデカデカと描かれていて、文字も大きい。


 異世界の本についてはキングもよく知っていた。かつてこの世界を救った勇者はニホンという国から迷い込んだ少年であり、様々な変わった道具を持ち合わせていたという。


 彼は世界を救った後、どうやら元の世界に帰還したようだが、この世界に遺していったものもあった。


 その中でも特に多かったのが本であった。そしてそうして見つかった物の一部は学者によって分析、翻訳され市場に出回ったりもする。

 

 キングが本に興味を持ったのはそういった異世界の本からだった。だが、中には翻訳が難しく、異世界語そのままで出回るものもある。


 一時期キングはそういった異世界語の原初を読み解くのに必死になったことがある。様々な資料を集め独学で理解しようとした。その甲斐があって、異世界語も多少は理解できるようになったが、それでもやはり読めない文字も多い。


 正確に言えば、この異世界語というのは日本で使われている日本語であり、彼が読み溶けるのはその中のひらがなだけであった。カタカナはごく一部であり、漢字はかなり厳しいといったところだ。


「でも、これが何で木箱なんかに?」


 キングが疑問に思うのも当然だった。なぜならこういった木箱に収められた本というものは処分される運命だからである。


「それがねぇ、この本は妙な絵が多い上、読み方がわからないってことでどうにも不評なのさ。描かれてる内容もよくわからないというのが大きいかな」


 キングはパラパラとめくり、なるほどと顎を引いた。異世界の勇者が遺していった本は文字が主流なものが多かった。正確には文字だけの本の間に絵が挿し込まれているタイプ、つまりいわゆるラノベなのだが、それが多かったのである。


 だが、文字の中に挿絵が入っているぐらいならむしろ喜ばれたのだが、こういった絵だけの本、つまり漫画なのだが、それには馴染みが薄く読み方もわからなかったのだろう。


 その結果、この世界の人々には受け入れられなかったのである。


「読んでみても?」

「構わないさ。処分される前にキングみたいな本好きに読んでもらえれば本も本望だろうしねぇ」


 館長の許可を貰ったので、キングはそこから数冊を取り出し、椅子に腰を掛け本を読み出した。多くの人に理解が出来ないとされた本。キングも最初は読み方に難儀したが、試行錯誤しなんとか読み進めることができ、そして気がついたら貪るようにその頁を捲っていた。


 内容は確かにこの世界の人からすれば理解しにくいかもしれない。キングにしてもそれがなんらかの理由で戦っているということはわかったが、完全に理解したわけではない。


 真剣勝負なのに何故全員こんなに軽装なのかなど不可解な点も多いのだ。その癖それぞれが放つ技はこの世界の魔法や技を凌駕するものも多かった。


 だが――その内の何冊かを読み終えた時、キングは目からボロボロと涙を零していた。そう、その本の中身はひたすら熱く、読んだものを感動させる物語があった。


 時には泥臭くもがき苦しみ、自分より圧倒的な才能の持ち主を目の前にし自信をなくしたり、限界を感じて凹んだり、なんとなくだが自分と重なるような存在も中にはいた。


 だが物語の主人公たちは例え挫けそうになっても諦めず、這い上がり努力してその壁を超えていく。だが、それだけではない。主人公がどれだけ苦しくても、周りには彼らを助ける友がいた。熱い友情があった。そして仲間だけではなく、時には好敵手ライバルの存在がその気持ちを奮い立たせ高みへつながるきっかけとなった。


 好敵手と書いて友とさえ呼び、そういった相手と切磋琢磨し更に力をつけていく。そんな物語が異世界の勇者が遺した書物に描かれていたのだ。


(何だこの気持ちは――)


 キングは思わず己の胸を掴んだ。熱い、体の芯からこみ上げてくるこの熱い気持ちは何だ。ハートが激しく波打つ。血がたぎる。


(俺は、なんだ?)


 自問自答。この物語の主人公や友や好敵手たちはどのような困難にも、壁にも、決して諦めず抗い続けた。どう考えても無理な状況でも大きな怪我を負っても立ち上がり戦い続けた。


 中にはどうやら心臓を悪くし、リミットが定められていながらもそれを超えてもなお続け、このまま戦いを続けたら命にかかわるといったものもいた。


 それなのに、自分な何だ? レベルが下がったからとこれ以上の成長が望めないと、勝手に壁を作って諦めてしまった。


(このまま挫折して、それでいいのか?)


 異世界の勇者が遺した本を読みながら自分と照らし合わせ考えていたキングだったが。


「それ、随分と気に入ったみたいだね。でも悪いね、そろそろ閉館の時間なんだ」

「あ……」


 館長に声を掛けられ、キングは自分が随分と長いこと集中し読みふけっていたことに気がついた。


「申し訳ない――」

「いや、いいのさ。夢中になって本を読む人を見てるとこっちも嬉しくなるからね。ところで物は相談なんだが、その本、引き取る気はないかい?」

「え? この本をですか? でも、いいんですか?」

「いいも何も、このままじゃあ廃棄する他ない代物さ。なら夢中で読んでくれるような相手に貰われたほうが本も幸せだろう?」


 キングは改めて表紙を見る。そして、一つ決心をした。


「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて……」

「あぁ、ところで、これからどうするつもりだい? と言っても、顔つきが変わったね。既に何かを決めた目だ」

「はい、一度この町を出ようと思います。これまで本当にお世話になりました。それにこのようなものまで……」

「いや、いいってことだ。だけど、そんな気はしたけど、少し寂しくなるねぇ。でも、何かを決めたなら決して諦めず、頑張るんだね」

「……はい! ありがとうございます!」

「うんうん」

「あ、あのそれで、その」

「ん? どうかしたかい?」

「は、はぁ、その申し訳ついでといっては何ですが、これを縛る紐か何かをお譲り頂く事はできますか?」


 最後に中々しまりのつかないことだが、館長は笑って紐を用意してくれた。


 図書館から出ると雨は上がっていた。既に夜も近いが、残っていた金で最低限必要と思われる道具を購入し、その脚でキングは街を出た。暫く町を離れると伝えると衛兵も残念がったが、何かを感じ取ったのかしっかりやれよ、と笑顔で見送ってくれた。


 キング・グローブ32歳、冒険者ギルドを追放され、妻にも見放され、財産まで奪われどん底にまで落ちたおっさんのやり直しの日々は、今ここから始まる――

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