4-3 色づいてゆく世界
美しく、果てのない深淵を感じさせる色の空に優しく瞬く星々。そんな色の存在も知らないで旅をしていた間も私の頭上で輝いていたのだ。私は当てもなく歩き、そして眠っていたに過ぎないのに、その間にも――
「チホちゃん? チホちゃーん?」
「……はっ、はいっ?!」
昨日見た夜空を思い出してうっとりとしていた私はリンさんの声で我に帰った。白黒に映る四人が私を覗き込んでいる。
昨日落ちてしまった私は、朝を迎えた砂漠で日の光を浴びながら目を覚ました。ゴーグルが映す色はモノクロに戻っていたが、私の脳裏に浮かぶ昨夜の星空鮮やかな記憶として残っていた。
そんな私の名前を呼んだリンさんは私が話し出すのを待っているようだったが、私たちが何の話をしていたのかさっぱり見当がつかない。
「ごめんなさい、なんの話でしたっけ……?」
「そんなにぼーっとして何考えてたの?」
くすくすと笑われて私は縮こまる。人の話も聞かずに昨夜の思い出に浸っていたことをようやく自覚し、とても恥ずかしく感じた。
「そのー、昨日の夜空がとても綺麗だったな、と……」
「満足そうな顔して落ちちゃってたもんね、チーちゃん」
ケイさんがケラケラと笑ったがすぐにリンさんに小突かれる。
「そう言うあんたも落ちてたでしょ! 移動させるの大変だったんだから!」
焦ったように両手の平を合わせて謝るケイさん。しかし実際私とケイさんを運んだのはマルさんだったことをアヤちゃんが私に耳打ちした。
なるほどと私は相槌を打ち、アヤちゃんと二人にばれないように静かに笑った。そして話が脱線し過ぎる前に私はリンさんにもう一度尋ねた。
「ところで、リンさんはぼーっとしてた私に何の話をしてたんですか?」
「あちゃ、話が逸れてたね」
私の質問に苦笑いをしながらリンさんは話を戻した。
「チホちゃん昨日すごく嬉しそうに夜空見てたでしょ? だから今日からどれか一つずつ、本格的に色を見る練習してみない? って言ってたんだ」
確かに昨夜私は感動していたが、他人からも嬉しそうに見えていたらしい。それにしても、色を見る練習か……。
「やってみたい、です」
「ほんと?!」
私にずいと顔を近づけて、今度はリンさんが嬉しそうな顔をしている。その食いつきに驚きながら私は頷いた。
少し前の私なら、もごもごと悩みながらも嫌だと言っていただろうと自分でも思う。理由は言うまでもなく、初めて色を見たときの印象はひたすらに『混沌』だったからだ。
しかしあんな夜空を見てしまえば色への可能性を感じざるを得なかった。他にもきっと、私の知らない綺麗で美しい色があるのだろうとの期待を込めての「やってみたい」だった。
「初めて色を見たときの反応を考えると渋るかなーなんて思ってたけど、案外あっさりだったね? まあ昨日の夜空に感動したからかな? そんなに綺麗だったのかー」
リンさんの食いつきは私の意外な返事が原因だったようだ。そんなリンさんにアヤちゃんが私の思いを代弁するように話し出した。
「私はチホさんの気持ち、すごくわかります。嫌だなとか、怖いって気持ちも空を見ると軽くなってできそうにないことができるというか……」
ほう、とケイさんが興味を持ったような声を出した。
「私もリンさんとケイさんに見つけてもらった日に見た空を今も覚えてますから。車の外で見る空ってこんなに広かったんだってすごく感動して、車の外に出ることへの恐怖なんか飛んでっちゃいました」
「え、あのときアヤちゃん外に出るの怖かったんだ? 俺には全然わからなかったけど」
ケイさんの驚きの声にアヤちゃんは恥ずかしそうに俯き、三つ編みをいじりながら頷いた。そんなアヤちゃんの頭を撫でてからリンさんは私の方に向き直った。
「それじゃあチホちゃん、記念すべき最初に見る色は青にする? なんだかんだ青空は気持ちを晴らすもんね。うん、青色にしよう!」
私が今から見る色は、「あお」という名前なのか。名前を知ったうえで見る色は白と黒以外には初めてだ。
リンさんに目を閉じるように促され、私は未知の色を見る心の準備をしながらまぶたを閉じた。カチカチとダイヤルを回す音がゴーグル伝いに聞こえて来る。
「はーいどうぞ! チホちゃんのいつもの景色、白黒世界に青色だけが見えるようにしたよ」
「今日もいつも通りの快晴なので、空一面の青が見れますよ、チホさん!」
青色への期待と少しの緊張を感じながら、私はゆっくりと目を開いた。
「う、わ……!」
青い空はとても明るかった。モノクロの空と比べ物にならない眩しさを感じて思わず目を細める。徐々に目を慣らし、再び開いた目が捉えた澄んだ色は砂漠一帯を照らしているかのようだった。
「これが青色で、あの夜空と同じ空……?」
昨日見た星空はまるで無限に続くようにも見える景色だったが、今見ている青空はそれとは違った感覚を私に覚えさせる。綺麗、というよりもこれは――
「すごく気持ちがいい、心がスッキリする色なんですね」
そう言って四人がいる方を見た。にこにこと笑い私を見守る三人と、いつも通り感情を見せないマルさんがそこにはいた。いつも通りの光景のはずだったが、マルさんの瞳だけが色付きこちらを見ている。
マルさんの鮮やかな目の色に気を取られている私に気づいてリンさんが笑う。
「ふふ、マルの目も青色だからモノクロに浮いて見えてるのかな? 空の色とはずいぶん違って見えると思うけれど、これもまた青色って呼ばれる色だね」
リンさんがそう言い終えると同時にマルさんがこちらに近づいてきた。私の目の前に屈み、その濃く青い瞳でじっと見つめてくる。
マルさんと数秒間見つめ合った後、私の口からぽろりと言葉が零れた。
「綺麗……」
無意識に発された自分の声に驚き、手で口を覆った。私はその手を離さないまま「綺麗」が景色や物以外にも使えるものなのかと疑問に思い、悩んだ。しかしその間にマルさんは元居た場所に戻っていってしまった。
「いい意味で現実味の無い色で幻想的だもんな、マルの碧眼は」
「ほーんとねぇ」
私はケイさんとリンさんの話す声を聞きながら、再び青空を見上げた。清々しい青を頭上に見つめながら、まだ見ぬ色への期待をふつふつと感じた。
この日から私は、毎日一色ずつ色を見る練習を始めた。混乱するだろうからという理由で一度に二色以上を見ることは決してせず、ゆっくりと目と心を慣らしていっていた。ケイさんの髪に混じる緑色、私の目の紫色、夕焼けのオレンジ色、リンさんの短い髪が持つ茶色、その他の黄色やピンクなど……。どの色を見てもそれぞれに私の心は踊り、喜びで満たされた。
色の訓練に加え、私たち五人は毎晩のように星空を見に行った。日が沈み切る前に車に乗り込み、砂漠の真ん中で寝転んで夜空を見上げる。満天の星空に心奪われ、新たに知る世界の色に目を輝かせる日々はこれ以上になく充実していた。
そんな私でも実際のところでは、リンさんが私を旅や記憶から遠ざけようとしていることはどこかで感じていた。そして私も思い出さないようにと心のどこかで努めていたのだ。心も踊らない、目を輝かせることもできない記憶を懸命に思い返し、旅を再開したところで今私が送っている日々に勝るものがあるのだろうか。心軽く生き、辛いことも悩むこともなく、楽しく過ごすために私は旅をして、四人に出会ったのではないかとさえ思い始めていた。
――あの色を見るまでは。
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