3-9 お母さん 2
「いない……の? マル、覚えてないじゃなくて?」
「うん、いない」
リンさんが何度聞いても「いない」の一点張り。「いないの?」「いない」の繰り返し。そのうち何も話さなくなったリンさんとマルさんは互いをじーっと見つめ合ったまま動かなかった。二人に挟まれているアヤちゃんはオロオロと二人を交互に見ている。
「……あれ? おーい、お二人さん?」
ケイさんがリンさんの顔の前で手を振った途端、リンさんが勢いよくぐるりとこちらに振り向いた。それに驚いたケイさんがものすごいスピードで私の後ろに隠れた。
それを見て笑いながらリンさんは口を開いた。
「びっくりしたー! マルがこんな食い気味に返事してくれたの初めてだったから楽しくて無意味に聞き返しちゃったよ……。で、ケイ、何?」
ズル、とこけるような仕草をしたケイさんは、まだ私の後ろに隠れながら叫ぶように返事をした。
「俺もびっくりしたよ! またリンに殴られるかと……、急に振り向くな! 俺はなんでそんな黙って見つめ合ってるんだって聞きたかっただけ! マルの反応にびっくりしてたのね、はいはい!」
「マルさんが積極的に返事することってあんまりなかったですもんね……?」
アヤちゃんの問いかけにリンさんは難しい顔をしながら答える。
「そうなんだよね、別に私たちを無視してるわけではないんだけどこう……、いつもマイペース……? ぼーっとしてる……? 心ここにあらず……? というか……ね?」
「おい、なんか悪口言ってるみたいに聞こえるぞ……」
リンさんと目線を外してからは再びぼんやりと朝日を眺めていたマルさんだったが、口を重たそうに開いてこう答えた。
「……僕だってちゃんとわかることは答えるし、やれって言われたことはやるよ」
マルさんは表情を変えずに、抱えた両ひざに頭を乗せて目を閉じた。
「ほらー、拗ねたじゃんかマルがー。ごめんよー」
よしよしとマルさんの頭をこねくり回しすケイさん。マルさんの眉間に少ししわが寄っているのは気のせいだろうか……。
「んー……、それにしても『いない』ってのはどういうことだろう。養子だったとか?」
「……ようしって何?」
目を開かないまま聞くマルさんの声を聞いてリンさんは頭を振った。
「わからないんだったら違うか。マルは本当のことと、わかってることしか言わないもんね」
「うん」
マルさんの肯定にうーんと唸ったリンさんに、アヤちゃんは質問する。
「ええと、じゃあマルさんのご両親はいないってことですか……?」
「どうなんだろう、わかんないな。でも親から生まれないとこの世には存在できないもんね」
目をつむって悩むリンさんだったが、切り替えることにしたようだ。
「まあマルのは置いとこうか。もう日も登りきったことだし、とりあえず中に入ろう。で、チホちゃんが夢でみた内容を教えてよ!」
「えっ? あ、はいっ」
「相変わらず急だよな、リン……」
そう言ったケイさんはマルさんの元を離れ、私の座る車椅子の後ろに立った。
「まあいいや、みんな戻ろう。チーちゃんの話楽しみだなぁー」
「き、期待しないでください、ただの夢なんで……」
みんなの「ふふふ」という笑い声は明るくなった砂漠に吹く風に混じって飛んでいった。
*
「……という感じです。夢の中での私の話し方と母からの話しかけられ方からして、私自身がとても幼いような気がしました」
「へー」、「ほー」という反応が聞こえる。
「実際にチホさんが幼い頃の記憶……なんでしょうか?」
アヤちゃんは首を傾げた。私にも本当のところはわからないので同じように首を傾げる。そんな二人をよそにケイさんは感想を言った。
「いいなぁ、すごく優しいお母さんだったんだろうね、チーちゃんのお母さん。俺は母親には怒られてばっかりだったから羨ましいよ……」
「は? ケイ、今なんて?」
空かさずリンさんがケイさんに詰め寄る。
「え? いや、だから俺はいつも母親には怒られ……え? なんで俺そんなこと覚えてるんだ……?」
どうやらケイさんは母親のことを覚えてはいなかったようだ。
「勢いで思い出したね、ケイ。よく怒られてたってことは、小さい頃からきっとそんな感じだったんだろうねー、いらないこと言ったりとか」
「言ってそうですね、ケイさん……」
「みんなから見て俺ってなんなの……?」
悲痛な顔で嘆いたケイさんに私は思わず笑ってしまった。しかし次にアヤちゃんが放った言葉でケイさんが固まる。
「でも私も覚えてますよ、お母さんとお父さんのこと」
ケイさんの顔が引きつった。彼女が両親のことを覚えているとなると、その記憶がきっかけで孤児院でのことを思い出すかもしれないと思っているのだろう。リンさんはちらりとケイさんを見ながらアヤちゃんの声に耳を傾ける。
「私のお母さ……母と父はいつも白衣を着ていました。夢の中のチホさんのように私も幼かったのでどうしていつも同じ格好だったのか疑問だったのですが、今思えば白衣を着てする仕事をしていたのかもしれないですね……なにかの研究とか。とても仕事熱心で忙しそうな二人でしたが家族思いな優しい両親でした」
目を閉じて懐かしむような顔をするアヤちゃんの傍ら、ケイさんからひしひしと緊張感が伝わってくる。場違いなマルさんのあくびの後、アヤちゃんは続けた。
「でもどうしてなのか、母と父の記憶はあるところを境に途絶えてしまっていて、その次に思い出せるのはもう《ハーフ》としての記憶なんです。リンさんにお話しした飛行機に乗ったときのこととか、車で戦場に《ハーフ》や武器を運んだりとか……」
長い三つ編みを弄びながらアヤちゃんは俯いた。両親のことをしっかりと思い出せないことにどこかふてくされているようにも見える。リンさんはそれを慰めるかのように、三つ編みの少女の肩に手を置いた。
その様子を静かに見守っていたケイさんは細く長く息を吐いたかと思うと、リンさんに話を振った。
「俺らに散々話させといて、リンは何も覚えてないのか?」
「ん、私?」
人差し指を顎に当てて数秒黙考したが、リンさんは頭を横に振った。
「思い出せないわ、何も。でも私の親も優しくて、素敵な人だった……そんな感じはする」
「……感じはするって、なんだよそれ」
遠くをうっとりとした目で見つめるリンさんに肩をすくめたケイさんは私の方に歩いてきた。しゃがんで目線を合わせてくれる。
「どう? 何か思い出した? 刺激になった?」
「え、あ、はい……。たぶん……」
だよな、と苦笑いを見せてケイさんは立ち上がった。
「なーによ、無駄だったって言いたいの? こうやって話したおかげでケイはお母さんのこと思い出したじゃない」
つかつかと迫るリンさんにケイさんは後ずさりながら言い訳をする。
「いや、もともとチーちゃんの記憶のために始めた話し合いなのに何も思い出せてないんだから……ウワッ、ボディやめろ!」
騒ぐ二人を気にも止めず、うつらうつらと寝始めるマルさんとくすくすと笑いながら私のもとへ歩み寄って来るアヤちゃん。お母さんのことや旅のことはさっぱり思い出せなかったが、人と話し、笑い、共に過ごす感覚を知る……、もしくは思い出すことはきっと無駄ではないだろう。そう思えたのは4人といるときの感情が夢の中で母に抱かれたときのものと同じだったからだ。
*
その日から私は毎晩、「お母さん」の夢を見た。いつも同じシチュエーション、同じ言葉、同じ笑顔が再生された。
そして「お母さん」の夢を見始めてから数日経った頃、変化は訪れた。
その日の夢は、私が「配給」を抱えて家に戻ろうと人混みをかき分けて歩く場面からだった。
「相変わらず不景気な世の中だねぇ」
「仕方がないさ、戦争が長く続いて何もかもが枯渇しているんだ」
ざわざわと途絶えることのない話し声と自分よりも大きい人の群れに押し流されそうになりながら、私は家へと足を必死に進める。
「あれ、チホちゃん! 今日は一人で配給もらいに行ったの? あんたの家から配給所までは遠いだろうによく頑張ってるね!」
どこからか声が降ってきた。人の流れに負けないように懸命に歩きながら、私は大きな声で答える。
「うん、今日はお母さん忙しそうだったから! がんばる!」
家までもう少しだ。家では笑顔のお母さんが待っているはず。家の周りで遊んでいると思っていた娘が一人で配給を受け取りに行っていたと知れば驚いて、そして褒めてくれるに違いない。夢の中の私はそう思っていた。
母の笑顔を思い浮かべながら嬉々として私は家の扉を開いた。その瞬間、私は二つの違和感に気づく。一つは私の視線の高さ。何もかもを見上げるように歩いていたのに、ぐんとその視線が上がった。現実の私の身長と同じ高さになったのだ。
もう一つはお母さんだった。彼女は笑顔でも、驚いてもいなかった。それどころか彼女は床に伏し、体を震わせている。側には軍服を着た男が銃を母に向けて構えている。母は体中に傷を負っていて、立ち上がれるような状態ではないことが一目でわかるほどだ。家の中は荒らされ、あるものすべてが床に散らばっていた。
「お……母さん……?」
体から力が抜け、腕に抱えていた配給の袋を床に落とした。お母さんに近寄ろうと一歩踏み出したそのとき、私を面白がるかのように響いたのはザ、ザ、というノイズとそれに混じった狂った笑い声だった。
『あっはははははははは!』
ざざ、ザーー…………
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