2-7 笑い声と少年と、
言われていた通り、確かに痛みはなかった。しかし刺さってゆく感覚は意外とはっきりとあり、その違和感に気持ち悪さを覚える。
「う、確かになんだか変な感じしますね……。あとピリピリ言ってますけど……」
カチンと音がして沈み続けていたナイフが止まる。どうやら刃が全て収まったらしい。
「ピリピリ言ってるのは頭の中の機械と
言われるままに目を閉じ、痛みではない違和感に身を委ねてみる。すると、自然にこれまでの旅路が思い返された。
「すごい……今まで通ってきた場所とか道が、鮮明に……」
「よかった! じゃあそのまま記憶を遡っていこう」
これまで何年もかけて歩いてきた景色が脳裏に次々と浮かぶ。と言っても、どの景色も無限に続く砂漠と廃れ、破壊され、中が剥き出しになったような建物だらけだが。
「ずっと砂漠と建物です。代り映えしない……」
そんなことを言っていると、突然、人影がゆらりと現れた。すらりとしていて背が高い。丈の長い、白の外衣をはためかせてこちらを見ている。
「えっ、人……?! 顔がよく見えないけど、白くて長い服を着てる……」
「人?! チホちゃん私たち以外に人に会ったことあるの?!」
「リン、しっ! チーちゃんの邪魔するなよ」
記憶にないだけで、私は旅の途中に人に会ったことがある……? そう思った途端、見えていた人影が激しくブレた。背の高い人物は消え、先ほどよりも小さい人影が現れる。揺れの激しい視界にその顔ははっきりとは映らない。
数秒で揺れはどうにか収まったが、それを待っていたかのように聴覚に変化が訪れる。
脳裏をかすめるように聞こえたのは「ざ」という音。
「え……?」
嫌な予感がした。その予感を裏切ることなく、その音は長く、低く、深く響き始める。
ざ、ざーーーーーー……
それはリンさんに旅の目的を尋ねられた時にも聞こえた、あの不快な音だった。
「リンさん、またあの時の……嫌な音がします……」
「あの時のってもしかして、扉の前で体調がおかしくなった時の?」
「そうです……、う、うるさい……」
その音の不快さに閉じている目をさらに固く閉じ、眉間にしわを寄せる。
「チ、チホさん大丈夫ですか?!」
「止めなくて大丈夫?」
心配そうな声が聞こえてくる。しかしまだほとんど何も思い出していないのだ、こんなところで止めるわけにはいかないと返事をする。
「は、い、音が聞こえてるだけで他に変なところもないので……」
相変わらず塗りつぶされたように顔が見えない人影と『ざーざー』と続く音。不快なノイズの向こうからリンさんの声が尋ねてくる。
「さっき人って言ってたけど、その人が誰かは思い出せない?」
「全然誰か思い出せないです……。今はもう一人違う人物が見えてるんですけど顔が全然見えなくて……。それに音がうるさ──」
『 』
自分の声と、ざーっという騒音に負けて、誰かの声が聞き取れなかった。
「……なんて言ったの……?」
私は誰のものかもわからない声に、そして自分の記憶に問いかけた。
『行けよ、本当はずっと、そうしたかったんだろ?』
少年の声。確かにそう言われた。何を意味するのか。誰の声なのか。そう考えているうちに、顔も見えないままに人の影はふっと消えた。
「なんか、声が聞こえました。誰かの、初めて聞く声で、『行けよ、ずっとそうしたかったんだろ』って……」
「『行け』ですか……。誰かに言われてチホさんは旅を始めたってことですかね……?」
アヤちゃんがそうつぶやいた直後だった。
「──ッ?!」
右目の奥に鈍い痛みが走った。痛みと、止まない『音』に覆いかぶさるように聞こえてきたのは誰かの狂気に満ちた笑い声。
『あっはははははははははははは!!!!』
少しずつ遠のいてゆく笑い声と入れ替わるように見えたのは、目まぐるしく砂漠の中を走り回っている記憶。何かから逃げている……?
しかしその記憶も消え、ふと視界に人が現れた。今度ははっきりと見える、見覚えのない少年が私と肩を並べて砂漠に座っている記憶だ。私の方に勢い良く向いた彼は今にも叫びだしそうな、怒っているような、はたまた悲しそうにも見える表情をして、私の顔に手を伸ばす。そしてその手が私に届くよりも先に。
突然、じんじんとした痛みを訴えていた目の奥に、強烈な痛みが襲った。
「い、痛いっ!!」
「チホちゃん?! 音だけじゃなくてどこか痛いの?!」
「痛い、です、右目がっ……! なにも痛くなかったって……言ってたじゃないですか……ケイさん……!」
そう叫んで私は両目を開いた。視界の明暗が定まらず、私をのぞき込む四人の表情がはっきり見えない。
「チホさん?! 目の色が……!」
「おいリン、どうする? 一回止めるだろ?!」
「……」
リンさんは黙っているようだった。一方で私は『止める』という言葉を聞き、あれだけうだうだと悩んだ末に旅の目的を今思い出し、リンさんたちへの恩返しをすると決めた瞬間を思い返した。再び目を閉じ、忘れた記憶の続きを思い出そうとする。
「まだ何も……たいして思い出せてない、のに止めるなんてできません……! つっ……」
「それどころじゃないだろ、俺たち《ハーフ》がそこまで強烈な痛みを感じることは異常なんだ! おいリン! 俺たちは
ケイさんの怒鳴り声が聞こえているときには、右目からは痛みのほかにもピシピシという音が聞こえていた。その音にハッとして私はもう一度目を開く。
そして、
パキン
という音とともに私の視界に亀裂が走った。それに沿って、見えていた景色が霞み、いびつに歪んだ。
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