第二章

2-1 選択肢

 そんなこんなで朝が来る少し前に、私たちは残る三人がいる建物に戻った。車を停めて入り口に向かうと、扉の前にマルさんが座っていた。出迎えてくれたのだろうか。


「あ、帰ってきた。リンに伝えないと」


 そう言って建物の中に戻っていく。やはり私たちが帰ってくるのを待っていたようだ。しかし、それを見たアヤちゃんは小さな声でつぶやいた。


「うーん、これは外に出てたの怒られるかもしれないですね……」

「え? 一人じゃなければ大丈夫ってアヤちゃん言ってた……よね……?」


 あまりに元気のないアヤちゃんの声に、私はゆっくりと彼女の方を向いた。


「んー、ふふふ」

「嘘でしょ……というか人ってそんな絶望した顔で笑えるもんなんだ……」


 中に入り、一番奥の部屋まで進むと、とても何かを言いたげな顔のリンさんと、あーあという顔をしたケイさんと、こちらをちらりとも見ないまま無表情で椅子に座るマルさんが待っていた。


「アーヤーちゃーん?」


 両手を腰に当て、アヤちゃんの顔をのぞき込むリンさんの顔には肝が冷えるような迫力があった。 


「チホちゃん連れて逃走したのかと思っちゃったでしょ……! 何かあったらどうすんの!!」

「チ、チホさんは一人じゃなくて、私もいました! から! 私とずっと一緒にいたから大丈夫ですから……!!」


 私の前に立ち、必死の言い訳をするアヤちゃんは、手を後ろに回して私の服の裾を掴んでいた。服なんかじゃなくて手を握ればいいのに、と私はアヤちゃんの手を握った。


 それを見たケイさんはピュッと口笛を吹いた。


「お二人さん、いつの間にそんなに仲良くなったの? ほら、リンもそんなカリカリしないでさ」


 ケイさんは怖い顔をしたままの少女に飄々と近づき、短い髪の下にある肩に手を置きなだめる。


「……はぁ……。ま、もう怒んないよ……二人が無事なら……」

「ご、ごめんなさい……」

「もういいよ、そんなしおれないで? それに……」


 と、リンさんは私とアヤちゃんの繋がれた手をちらりと見た。


「お互いに心の支えができたのならよかったんじゃない? 人間になんて滅多に会えない世界で、手なんか繋げる友だちができたならね」


 ぽかんとする私にリンさんは微笑んで見せた。


「そうだそうだ、忘れちゃいけない。今日はチホちゃんともう一度きちんとお話ししないとダメなんだったね。見た感じは大丈夫そうだけど、今は体に変なところはない?」

「あ、はい、もう大丈夫みたいです」


 よかった、と呟いてマルさんの横に座ったリンさんはそのまま話を続けた。


「あれは《ハーフ》が発症する発作のようなものなの。突然我を失ったり心身が不安定になったり……。もしかするとチホちゃん自身が《ハーフ》であることを自覚したから暴発したのかもしれないね」


 《ハーフ》である自覚……。まだしっかりとは自身について、《ハーフ》について理解しきれていない気がするが自覚できたのだろうか。前髪に隠れた横に伸びる隙間を指でそっと撫でる。


「じゃ、本題に入ろっか。単刀直入に聞くんだけど、チホちゃんはまだ旅に戻りたいって思ってる?」

「そう……ですね。ここまで長くやってきたんだからという気持ちと、戻らなきゃっていう想いがやっぱり強くて。これがただの執着だったとしても、しっかり終わらせないとそこから解放されないと思――」


 そこまで話した私ははっとして手を繋いだままのアヤちゃんを見た。一緒にいたいと言っておいてこんなことを言うなんて、と思っていたら、彼女はこちらを向いて「大丈夫ですよ」と言ってぎゅっと手を握り返した。


 リンさんはそれを横目にうーんと唸る。


「なるほどねー。そりゃずっと続けてきたことだもんね」

「あ、でもあの……確かに旅に戻りたいのはそうなんですけど、目的がわからないままだし、またあんなことになったらどうしようとは思ってて……」


 もともとあった単純な旅に戻らなければ、という想いに変化があったことに驚いたのか、リンさんは一瞬だけ目を丸くさせた。


「なるほど? じゃあ……」


 リンさんは指を三本立てて見せた。


「チホちゃんには三つ、選択肢があるわけだね。一つ目、今は大丈夫そうだし、もう何も気にせずに旅にもどる。目的はそのうち思い出すでしょって感じで今まで通りに。二つ目、目的を思い出すまでここにいる。万が一昨日みたいに何かあっても私たちがフォローできるし。三つ目、今無理やり思い出す」

「無理やり?」


 食いついた私にリンさんはニヤリと笑った。自分の前髪をかきあげ、額に水平に入った線を私に見せる。彼女は再び怪しく笑い、そこにあるものをゆっくりと刺して見せた。


「試してみる? これ」


 つい先ほどまで後ろに回されていて見えていなかった手が握っていたもの――あの包丁をリンさんは自らの額に突き刺したのだ。

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