1-9 夜のドライブ3
夜の風が心地よくて、どちらからもそろそろ帰ろうと言い出すことはなかった。しばらくお互いに黙ったまま、フロントガラス越しに見える夜の空を見つめていた。
「……アヤちゃん」
「なんですか?」
少し聞くのを躊躇しながら、気になっていた質問をした。
「私があの……取り乱しちゃった時、なんでアヤちゃんは私に抱きついたんですか?」
アヤちゃんは目を少し見開いてから、すぐに手で顔を覆った。
「な、なんだか思い出すと恥ずかしいですね……! 嫌じゃありませんでしたか?」
「嫌だなんてそんな! あれのおかげで落ち着けたみたいだったし、そのうえ、あの、寝てしまいましたし……。なんか恥ずかしい……」
各々が恥ずかしさを感じ、二人ともが顔を両手で覆った。その手を離さずに、アヤちゃんは言った。
「さっきもお話しさせてもらったように、《ハーフ》であることを忘て、ずっと独りでいた私を見つけでくださったのはケイさんとリンさんでした。四年越しに他人に会って、車の外の空気を吸って、自分は《ハーフ》だって教えられて大混乱して取り乱して……」
顔から手を離したアヤちゃんは代わりにその手で三つ編みを弄びながら続ける。
「でもその時、リンが私の手を優しく包んで、教えてくれたんです。『これは『共感』って言って、誰かと自分の思いを一緒に感じること。『共感』は人の本能的なもので、それによって気持ちが軽くなったり、少し視界が広がるようになるものなんだ』って」
私はようやく手を顔から離し、アヤちゃんの顔を見た。アヤちゃんはそれに気づき優しく微笑んでみせる。
「だから今日はリンさんが私にしてくれたことをしてみたんです。チホさんが感じている恐怖をああすることで少しでも和らげられたらと思って。ほ、本当は私もチホさんの手を握るつもりだったんですけど、勢いというかそれこそ本能的だったというか……。とにかくッ、そういう理由です! 納得していただけましたか?」
そのあともアヤちゃんはまだ「そういえばどうして抱き合うのが気持ちの共有……? あの時私は何を言ってたんだろう?」とブツブツ話していたが、私にはそんなことは気にならなかった。私は自分の指を絡ませながら、アヤちゃんが教えてくれた言葉をつぶやいた。
「『共感』……」
アヤちゃんが私に抱きついたあの時、自分ではわからなかった感情の正体が今はっきりとした。アヤちゃんと同じように誰とも会うこともなくずっと一人で荒廃した世界を歩き続けていた私には体験するはずのない感情なのだから、わからなかったのも当然だったのだ。
私たちが初めて出会ったとき、アヤちゃんも旅をしていると聞いて感じた喜びもまた『共感』と言えるものなのだろうか。そんなことを考えながら、私は自分でも気づかない内に、アヤちゃんに向けた言葉がこぼれた。
「ありがとう」
そう言った私は自身が初めて発した言葉に驚き、思わず口を手で覆った。しかし驚いたのは私だけではなかったようで、アヤちゃんは目を丸くして私をじっと見つめている。
「えっと、これはあのとき落ち着かせてくれてとか、私と出会って『共感』を教えてくれてとか、そういう意味のものだと……! こんな言葉を自分が知っているなんて今まで気が付かなかったのになんか言葉が勝手に口からこぼれて……」
私は捲し立てるように話すが、何とも言えない沈黙が車内を包んだ。不意に視線を膝に落としたアヤちゃんの体がぶるっと震えた。視線は変えぬままおもむろに体を私がいる方に向き直らせる。しばらく動かないアヤちゃんにどうしたのかと尋ねようと口を開きかけた。
するとアヤちゃんは目をぎゅっとつむり、ふるふると頭を横に振った。そして――
腕を広げ、勢いよく私に抱きついてきたのだった。急な出来事に私は驚いて叫んでしまう。
「あ、アヤちゃん?! どうしたんですか?!」
アヤちゃんは私の背に腕をしっかりと回し、顔も私の体に埋めている。言い訳をするように話し出した。
「チホさんの『ありがとう』がなんだか嬉しくて……。今までこんなに嬉しくなったり、嬉しさで誰かに飛びついたりしたことないんです。すみません、少し、少しだけこのままでいさせてください……」
しばらくアヤちゃんは私にしがみついたまま、黙ってじっとしていた。
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