1-6 思い出せないこと
「チホちゃん!!」
私はリンさんに肩を強く掴まれた。顔を上げると、リンさんの悲しそうな、虚しそうな顔が見えた。
肩で息をする私に、リンさんはこう言った。
「チホちゃん、旅の本当の目的が今分からなかったんだよね。でも、その旅は今まで一日も休まずに、ずっとずっと続けて来たとても大事なものなんだよね?」
……その通りだ。それなのに、思い出せないなんて……どうして……
そう思った瞬間、また視界が暗くなりかける。足だけが、ここから逃げようとするように動き、扉にガツガツと当たる。
「あのね、チホちゃん。自分では気づいてないと思うんだけど、チホちゃんは今、『旅』に異常に執着してしまってるんだよ。記憶ではなく、もっと深いところに根付いてしまってる。今あなたの手と、足が外に出ようと勝手に動いているのもその証拠」
確かに私は今、自分の意思で足を動かしているわけではない。それなのに足は動き、左足のかかとは開かないドアを叩き続けている。
「あなたの原動力は今、『旅を続けること』になってしまってる。でも、本来なら旅の目的自体が原動力にならないといけいない。今旅に戻って、自分でまた、目的がわからないって気づいて混乱しちゃったら、どうなってしまうと思う……?」
は、は、と細かく息を吐く。まだうまく息が吸えない。頭の中がぐちゃぐちゃになっていて何もわからない。耳の奥に響くザーザーとうるさいノイズは混乱する思考をさらにかき乱す。
リンさんは私の目をまっすぐに見つめて言った。
「本当はあなたが出て行くのを引き止めようと焦ってたの……。不愉快な思いさせてごめんね。でも、私たちなら、本当のあなたについて教えることができる。今はわからないあなたの旅の目的だって、わかるようにしてみせる。自己紹介のときと言ってることが矛盾してしまうけど、私たちと一緒にいて欲しい。目的を思い出したなら大丈夫だから、今は一度立ち止まって欲しい」
そう言い切ったリンさんに私は嫌々とでも言うように頭を横に振った。止まっていられない、早く行かなければと気だけが急く。
そんな私を見てためらいがちに紡がれた言葉は私の喉を詰まらせた。
「今のままだとチホちゃん、執着だけで動き続ける、本当の機械みたいになっちゃうよ」
「――っ」
体の震えが止まらない。唇を噛み、抑えようとすればするほどふつふつと湧き上がる感情は勢いを増してゆく。
「……い」
ふと口から声が漏れた。
「チホちゃん、今なんて言っ……」
「こ、わい……!!」
この言葉が口から出た瞬間、啖呵を切ったように次々と自分の中にある感情が溢れ出た。
「なんでこんなことになってるの?! 嫌だ……、私はただ旅をしてきただけ、歩いてきただけなのに! 一人で『何か』を探して! ずっと、ずっと私、それを支えに生きてきたのになんでわからないの――」
止まらない。今まで人と話してこなかったからか、加減がわからない。抑えきれない想いが止めどなく口から零れ落ちる。
「しかも急に人に会えたと思ったら戦争がとか《ハーフ》がとか言われて、その時の記憶が欲しいとかもわけがわからないし! い、今私の足が勝手に動いてるのは、あなたたちのせいなの? 私? 私が何を探してたのか思い出せないのが悪いの?! なんで私、こんなに混乱してるの?! 今も聞こえてる変な音は何? 息が上がってるのは? 目がよく見えなくなってるのは? 何もわからない、わからない……!! こわい! こわい、こ――」
突如感じた衝撃に、とめどなく言葉があふれてくる口がようやく止まった。ずっと後ろで聞いていたアヤちゃんが私に駆け寄り、抱きついてきたのだ。
「アヤ……ちゃん……、何して……」
「……人は嬉しいとき、悲しいとき、体を触れ合わせて想いを共有したらしいです。今、チホさんが怖いと思っているなら、私はそれに寄り添います。半分は機械でも、私だって人なんです。人間と同じことをしてもいいですよね……?」
そう言われた瞬間、今まで感じたことのない感情が芽生えた。勝手に動いていた足は止まり、体にあった不快感が軽くなった。
恐る恐る、アヤちゃんと同じように、相手の背中に腕を回した。今まで誰とも触れ合ったことのなかった私は、自分には表現の仕方がわからない感情に包まれたまま、自然と目を閉じた。
少しずつ力が抜けていき、眠気が襲ってくる。アヤちゃんには申し訳ないが、完全にもたれかかる形で私は眠ってしまった。
*
「アヤちゃん、
奥から出てきたケイは、リンに話しかけた。
「そういうことも起こり得るのよ。アヤちゃんも言ったけど、私たちだって人間だから。どんな可能性だってあるよ」
そうかそうか、と頷くケイたちに、アヤは申し訳なさそうに声をかけた。
「あのー、助けてください……。チホさん寝ちゃって私、動けないんですけど、あの、重……。た、倒れそうです……」
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