第25話 夢を渡る絆:こぼれたミルクは

 ローゼンブルク遺跡、市街地エリアの大通りを徘徊する蒼き氷の巨狼。

 その巨体が押し入って来れない細い路地で、四人と一匹は息を潜めていた。

 鏡のような巨体の表面に、四人の姿が映り込む。


「遺跡には、かつてここで暴走を起こした災いの種カラミティシードの力の残滓が封じられてます。道化はそれを利用して、いろいろ仕掛けてくるのですが…」


 ミキたちもまた、膠着状態だった。

 人型でないアニメイテッドの、巨体に見合わない敏捷性。力押しでかなわないのは当然として、素早さでも翻弄されるなんて。

 経験の浅いゾーラとユッフィーには、かなり厳しい状況だ。


「切り札の邪眼を反射されるんじゃ、手も足も出ないっすね」

「どうにか動きを封じようにも、今のわたくしが具現化する夢魔法の鎖では強度不足ですの」


 ドワーフの得意技。穴を掘って地中に逃れたり、足元からの奇襲や落とし穴などの戦術を封じられているオグマもまた、相性の悪さを痛感する。


「泣き言は言うまい。じゃが、このあたりには利用できそうな仕掛けも無いか」


 ミキが仲間たちを見る。

 自分一人でなりふり構わず本気を出したのでは、この後に控える道化との戦いまで体力が保たない。できれば今後を見据えて、他の三人に自信を付けさせたい。

 ミキがなりたかったのは、冒険者たちを鼓舞し支える舞姫だ。自分自身で敵をボコボコにするのは、実のところ本意でなかった。


 大いなる冬フィンブルヴィンテルの影響下のバルハリアに留まったままでは、いつまでも子供のまま。素敵なレディになりたくて、旅芸人として百万の勇者たちに同行する道を選んだのだけど。我流で修行していたら、いつの間にか武道家のようになってしまった。


「さあさあ、グズグズしていると四人が危ないですよ」


 巨狼の額のあたりから、道化の声がミキたちへ発せられていた。実際、猶予はもう残り少ないだろう。


「…さん、聞こえますか?」


 そのとき、か細い声で。どこからかリーフの声がした。ボルクスも不思議そうな顔をする。


「ミキ様?」


 ユッフィーがミキを見る。その視線は、ミキのベルトポーチに向けられていた。

 中には、非常時の緊急脱出アイテム「転移紋章石」がしまわれている。


「リーフさんからの通信でしょうか」


 フリズスキャルヴは万能の通信手段だ。遠隔地の映像を見るだけでなく、見ている場所へテレビ電話のような通信を行える。普段からオペレーターのアウロラをスマホ代わりにしているだけに、他の通信手段は氷都市で発達してこなかった。


 氷像の魔物アニメイテッドが組織化された脅威となった以上は。今まで通信不能だった場所でも、何らかの手段で連絡を取れるようにした方が良い。

 リーフはそう考えて、いざという時に備えていた。


「紋章石とは、要するに紋章術の記録媒体です。道化が使ってるフリズスキャルヴの映像と、転移紋章石の反応から見当を付ければ。短距離の通信くらいはできますよ」


 絶大な力を持つが、強者故の油断がある。

 あの道化は以前もそうだったと、ミキが思い出した。


「では、エルル様の夢召喚に必要な夢の力が足りるように。ついでに助っ人ももっと呼べるように、わたくしの切り札を使いましょう」

「そういうことでしたら、ここで全力を出し切っても構いませんね」


 ユッフィーとミキが顔を見合わせ、互いにうなずく。

 この二人は、先日のハプニングでイーノの秘密を共有したことから。奇妙な友情を育てつつあった。


「こぼしたミルクを気にしたってしょうがない。また注げばいいんですから」


 明るく晴れやかな表情で、ミキが言った。

 日本では、よく「覆水盆に返らず」と関連付けされることわざだが。


「わたしの友達は、ポジティブな意味で使ってました。百万の勇者たちは道化の企みを見抜けず、災いの種カラミティシードの多元宇宙への拡散を止められませんでしたけど」


 今も、無数に存在するどこかの異世界で。こぼれたミルクを注ぎ直すための旅を続けてる。

 かつて、共に旅した仲間を想って。ミキは遺跡を覆う蒼白き氷の天井を見上げた。


「いいっすね、それ」


 ゾーラがそんなミキの姿を、まぶしそうに見る。


「彼らの苦労を思えば、ひとつの世界だけに収まるわしの過去など些細なことか」

「途方もないスケールの話ですの…」


 氷河期世代でADHDなイーノの、挫折だらけの人生。自分なりに苦労を重ねたからこそ、他者の困難をも実感の伴ったものとしてイメージできる。

 故郷アスガルティアを失った難民の、エルルやオグマ。ギリシャ神話風の世界オケアヌスで迫害されていた、ゾーラとオリヒメたち。


 ミキたち蒼の民の勇者が経験した苦難は、それらをはるかに超えていた。


「オグマ様。わたくしたちはここで、ミキ様やゾーラ様と一緒にこぼれたミルクを注ぎ直しましょう」


 それが今、自分にできること。


「そうじゃな」

「ユフィっち、分かったっすよ」


 イーノが自身の困難に直面する中で育てた優しさは、ユッフィー役としてオグマやゾーラを励ますまなざしにも表れている。

 それこそ、真の勇気に通じると。ミキはそう考えていた。


「そうと決まればボクちゃん、出番ですわよ」


 ユッフィーが、ボルクスを抱え上げてじっと顔を見つめる。

 小さな赤き夢竜もまた、主人の意を察してうなずき返した。


「わたくしとボクちゃんで、巨狼の正面へ。ミキ様は弱点の糸を狙い、オグマ様は額の赤い結晶を。ゾーラ様は不意の増援に備えて下さいませ」


 四人と一匹がそれぞれ、反撃に向けて配置に付くと。

 大通りに飛び出したユッフィーとボルクスに、巨狼が気付いて振り返った。


(これでいい。地球人でも冒険者として十分やれると、示せる時がようやく来た)


 自分の人生で、こぼれたミルクを注ぎ直すべく。

 イーノにも、挑戦のときが来たのだ。

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