2.厳しい現実
目を覚ますと、ヤハトラの俺の部屋だった。
多分、あのあと神殿で倒れて……神官が運んでくれたんだろう。
近くには若い男女二人の神官が控えていた。
「大丈夫ですか?」
と男の方の神官が俺の傍に歩いてきた。
もう一人の女性の神官はすっと部屋を出て行った。おそらく、俺が目を覚ましたことをネイアに知らせにいったのだろう。
「俺……どれくらい寝てたんだろう」
「丸三日です。ベレッドから跳んですぐさま宣詞でしたから、かなりお疲れだったようです」
何か……宣詞は久々だったから仕方ないのかもしれないけど、倒れる時間が長くなった気がする。
やっぱり年を取ったからなんだろうか……見た目はともかく。
――そうだ、水那は……。
「あ、そんな急に動いては……」
ガバッと起き上がってベッドから飛び下りた俺を見て、神官が慌てて制した。
さきほど部屋を出て行った神官が戻って来たのが視界の端に映る。
「大丈夫。なあ、神殿に行ってもいいか?」
「あ、はい」
戻って来た神官に聞くと、彼女は恭しく頭を下げた。
「ソータ様さえよければすぐにでも、とのことです」
「ありがとう」
俺はその神官と共に部屋を出ると、神殿に向かって歩き始めた。
水那……17年ぶりだった。もう、目が覚めてるんだろうか。でも、闇からはまだ出て来れないんだろうな。
話……できるだろうか。
「ソータ様がいらっしゃいました」
神官が神殿の前に控えていた老齢の神官に告げると、すっと扉が開いた。
俺は少し緊張しながら中に入った。真っ先に神殿の前に駆け寄り、見上げる。
水那は……祈りを捧げたまま、瞳を閉じていた。
「――起きてない……か」
「そんなすぐには目覚めぬ」
すぐ背後から声が聞こえて、俺は飛び上がるほど驚いた。
……ネイアだ。
「び、び、びっくりした……」
「わらわはずっと居たぞ。ミズナしか目に入っていないソータが悪いのだ」
ネイアが半ば呆れたような声を出した。
「いや、そんな……」
「とにかく座れ。大事な話がある」
俺の言い訳を聞く気はないらしく、ネイアが椅子を指差した。
仕方なく、俺は黙って椅子に腰かけた。テーブルの上には、パラリュスの昔の地図や古い文献などが広げてあった。
「息子の危機を察して、ミズナの
「……みたいだな」
「しかし一時的なものだから、また術中に還ったのだ。ただ、一度破れた術は壊れていく一方だ。これからは時々目覚めることがあるかも知れぬ」
「ふうん……」
じゃあ、水那と会話できる機会がこれからあるってことだよな。
ちょっと嬉しいなと思っていると、ネイアは
「しかしそうなると……ミズナの負荷が増える危険がある」
と渋い表情で言った。
「えっ……」
ネイアの言葉にギョッとして、闇の奥の水那を見る。
……手を組み、祈りを捧げている。無表情のまま。
もとに向き直ると、眉間に2本の皺を刻んだネイアの碧の瞳がまっすぐに俺を射抜いていた。
「ミズナは自らに
「……」
「意識が戻ると、闇の負荷を感じるようになる。勾玉によって守られてはいるが、疲労感は拭えまい。これまでより浄化の効率は落ちると考えられる」
「そうなのか……」
「ソータの勾玉を返し、勾玉を完全な形に戻すのがよいのだが……」
「これがないと、俺は何の力もないタダの人間だぞ。ミズナともネイアとも通じなくなってしまう」
「そうだな。しかし……もう20年近く抱え続けているのも、ソータにとってあまりいいことではない」
「えっ……」
水那だけではなく、俺の話?
「勾玉があることが悪いのではなく、およそ300年分のジャスラの闇を抱えたままでいることが悪いのだ。命が削られる訳ではないが、かなり疲れやすくなったのではないか?」
「う……」
そうか……寝込む時間が長くなったのは、それが原因か。
先代も先々代も、闇の回収を終えたらすぐに欠片を取り出し、神殿に奉納したんだよな。……集めた闇と共に。
「……闇だけ取り出すとかは、できないものかな」
「できぬ。少なくともわらわには無理だ。ただ……
神剣……。
そう言えば、前のアレ、いったい何が起こってたんだ?
神剣はどこにあって、水那はどこに繋げていたんだ?
トーマは何にどう関わってたんだ?
「……神剣の話をしよう」
ネイアは古い文献を取り出した。
見ると、古いパラリュス語で『女神ウルスラの闇』というタイトルがつけられた文章が並んでいた。
「太古の昔……ヒコヤが神剣の力を用いて女神ウルスラを封じた。そしてウルスラの女王に託し、ウルスラでずっと守られていたはずだった」
「何で女神ウルスラは封じられたんだ?」
「ある日突然発狂し、闇にまみれた。剣を掲げ自ら造った国で暴れ回り……女神ジャスラをも傷つけたからだ。わずかに残っていた良心が、ヒコヤがくれたこの剣に自らを封じてくれと頼んだ」
「……」
そうか……あのとき見た映像は、そのときのものだったのか。
ものすごく奇麗なのに……笑顔がとても異質で、寒気がしたのを憶えている。
何で発狂なんて……。
「そのあとウルスラはこの神剣を正しく管理できなかった……と考えられるな。こればかりは想像でしかないが……。わらわが視ることができるのは勾玉の記憶ゆえ、切り離された後のウルスラはわからぬ」
「そっか……。で、トーマは何で剣に関わったんだ? 何か分かったのか?」
「いや」
期待した答えとは裏腹に、ネイアの表情は依然として渋いものだった。
「ヤハトラのフェルティガエでは、遠く離れたウルスラを遠視することはできぬ。あのあとすぐに
「じゃあ、何もわからない、と……」
「さきほどもう一度
「え?」
神剣を使うような事態に巻き込まれていながら、普通に生活? のんびりと?
「どういうことだ? 何があった?」
「多分――
「はあ?」
ネイアの言っている意味が分からず、俺は間抜けな声を上げた。
何もない訳がない。水那の声は必死だった。
それに……剣の宣詞は、確かに力を発揮していた。絶対、何かあったはずだ。
「つまり、何もなかったことにされた、ということだな。……友人の方を見て、思った」
「友人……ユズルとかいう、紫の瞳の少年か?」
「そうだ。彼はやはりウルスラに縁の人間だったのだろう。彼の事情に巻き込まれたのかもしれぬ。トーマはミズナの胎に居たとき、伴侶の契約に関わっている。わずかだが三種の神器を用いる力を許されていた……と考えれば、辻褄が合うのだ」
俺はネイアの話を一つ一つ頭の中で整理してみた。
ウルスラの血を引くユズル。ウルスラにあるはずの神剣。トーマの力……。
「……ってことは、トーマがユズルとやらに巻き込まれてウルスラに行って、神剣を使って闇を封じ込めようとした。俺とミズナがそれを助けた。……そういうことか?」
「そうだ。すべて想像でしかないがな。しかし、神剣は絶対にウルスラにあるはずだから……間違いあるまい」
「……」
ネイアは文献をもう一度パラパラとめくると、別のページを示した。
「とにかく、ソータが神剣を手に入れる。まずやるべきことはそれだな」
「え……」
ネイアが指差したページを見ると、イラストのようなものが描かれていた。
翼の生えた恐竜と、角が生えた鯨だ。
「ウルスラに行って神剣を手に入れるのだ」
「え……でも、ウルスラにとって大事なモノなんじゃないのか?」
「おそらく、ウルスラの女王の手に余る代物となっているのだろう。ウルスラの人間ではなくトーマに使わせていたということが、何よりの証拠だ。それならば、ソータが持つのが一番良いはずだ」
「どうやってウルスラに行くんだよ?」
「それがこれだ」
これって……この、怪獣みたいなやつが?
「空駆ける
「はー……」
このヘンテコな生き物がねぇ……。ヒコヤのペットみたいなものか。
まぁ、顔は可愛い……かな?
「パラリュスでは亡くなった人間を海に流す風習があるのを知っているだろう?」
「ああ」
「あれは……流された身体を廻龍が海に還し、その魂を飛龍が天に運ぶと言われている」
「へえ……」
パラリュスが在り続けるための、大事な神獣なんだな。
「ただ、飛龍はここにはおらん。飛龍はフェルティガに馴染む性質があるゆえ、女神ウルスラが暴れたとき、傍に居ては危険だとテスラにすべて匿われた」
「ふうん……。じゃ、廻龍でってことか?」
「そうだ。……ただ、かなりいろいろ調べたのだが……」
そう言うと、ネイアは眉間に皺を寄せた。
「廻龍はパラリュス中の海を廻っておる故、どこにおるのかわからぬ。とりあえず船で海に出て、ひたすら現れるのを待つしかない」
「えー……」
俺はちょっとげんなりした。大海原でただただ待ち続けるってことか……?
「レッカとホムラに頼んで、長い航海に耐えうる船は造ってもらってある」
「え、いつの間に?」
「十年前から準備を始めていた。ユズルという少年がトーマの傍に現れたあの時から……何となく、予感していたのだ」
そうか……。あのとき、ウルスラの女王の血筋かもしれないって、ネイアは言ってたよな。
あのあと何回かトーマ達を視たけど、特に何も起こらなかったからすっかり忘れてた。
「その船でそのままウルスラに行くことはできないのか?」
「どこにあるのかもわからんのだぞ。途中で力尽きるに決まっておる」
「……」
「廻龍なら当然分かっておる。元はヒコヤの神獣だ。心を通わせることはできるだろう」
「なるほど、ね……」
俺は角の生えた鯨をまじまじと見た。
ずーっと歩き続ける旅を終えた後は、ずーっと待ち続ける旅……か。
でも、まあ……これが水那につながる一歩なんだし……な。
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