5.みんなの中のオレ
「えっ、ちょっと……」
「こんなつもりじゃ……」
血の気が引く思いをしているオレの背後から、お姉さんたちの慌てたような声が聞こえてきた。
「――どういうつもりだよ」
振り返って睨むと、二人が急にビクッとした。
オレはどうしても我慢できなかった。
ぐっと拳に力を込めると、右手を二人に向ける。
昨日フィラの人がやっていた――フェルの攻撃を仕掛けた。
「きゃーっ!」
「ぎゃっ!」
思ったより威力が出たみたいだ。二人が後ろに跳ね飛ばされて、登って来た山を勢いよく転げ落ちた。
オレはジャンプして山を飛び下り――
ゆっくりと立ち上がって、二人を見た。
二人は泥だらけだったものの、血を流したりはしていなかった。
ただ、ぶるぶると震えたまま座り込んでいる。しっかりと抱き合いながら、オレを見上げていた。
「……オレさ、何しろ修業中だから、力の加減ができないんだ。……ごめんね?」
ニコッと笑うと、二人はますます真っ青になった。
オレの中で、どうにも止められないそうにない静かな怒りが沸いてくる。
オレは二人に近付くと、すぐ傍にしゃがんでじっと二人の顔を見つめた。
「ねぇ、あれ、何? 朝日をどうするつもりだったの? 教えてよ」
「わた、わたし……」
「私たちは、ただ……」
「ただ――何だよ」
「フィラに……二度と来るなって……」
「そう……ただ、脅したかっただけで……」
「まぁ、転んだのは朝日だしね。落とす気はなかったんだろうね」
オレの台詞に、二人がちょっとホッとしたような顔をする。
かなりイラッとしたので
「――だけど、ちょっとは……考えたんじゃない……?」
と呟き、右手の拳に力を貯めた。
二人が目を見開いてガタガタ震え出す。
「そんな……」
「ちが……」
二人はボロボロ泣き出した。……まあ、オレの知ったことじゃないけど。
――暁! 駄目!
急にオレの耳に、朝日の声が聞こえた。
「朝日!?」
慌てて立ち上がる。キョロキョロ見回したけど――姿はどこにもない。
「暁! 朝日は、無事だから! 落ち着いて!」
今度は理央姉ちゃんの声だ。
振り返ると、理央姉ちゃんが荒い息をつきながら墓地に入って来たところだった。
「メシャン、ハイト!」
理央姉ちゃんはそう叫ぶと、二人に何かを放った。
二人が見えない糸で吊り上げられたかのように引っ張られて宙に浮いた。すごい勢いで理央姉ちゃんの方に引き寄せられる。
「暁……朝日は確かに、ミュービュリに飛ばされたみたいよ。だから、しばらくしたら帰ってくるって」
「しばらく……したら?」
朝日ならその場ですぐにゲートを開いて戻ってこれるはずなのに。何で?
「よくわからないけど……とにかく、用事が終わったら暁の元に帰るから、それまで待っててくれって。心配してたわ。暁が暴走するんじゃないかって……」
理央姉ちゃんは深い溜息をついた。
「急いで来て良かった……」
「……」
オレは拳に貯めていた力を解除した。
「……わかった。――オレ、エルトラに戻る」
「そうね。ヤトに知らせておくわ。……とりあえず、私の家で待ってて」
「うん」
オレは理央姉ちゃんに掴まえられている二人をチラリと見た。二人はビクッとすると
「ごめん……なさい……」
「本当に……申し訳……」
と唇をわなわなさせ、ボロボロ涙をこぼしていた。
「理央姉ちゃん、あの穴……」
「わかってる。それについては、この二人からちゃんと聞くわ」
「――うん」
あんな穴を放っておいたら危険だ。朝日だからよかったけど、普通のフェルティガエだったら、戻ってこれないかもしれない。
オレは二人から目を逸らすと、ゆっくりと歩き出した。
背中から
「あれがファルヴィケンとチェルヴィケンの直系の力よ。身の程を知るのね。――二人に手を出したら、私が許さないわ」
と言い放つ理央姉ちゃんの声が聞こえた。
* * *
理央姉ちゃんの家で待っていると、だいぶん経ってから夜斗兄ちゃんが現れた。
そして
「ちょっと暴れたらしいな」
と言って夜斗兄ちゃんがオレの頭をぐしゃぐしゃっとした。
「……うん。約束破った。ごめんなさい」
オレは泣きそうになるのをこらえて、謝った。
「……使ってみてどうだ? うまく制御できなかっただろう」
「うん。気持ちだけどんどん先に行って……自分がちょっと、怖かった」
「――そうか」
夜斗兄ちゃんはポンポンとオレの頭をたたくと、「帰るぞ」とだけ言って玄関から出て行った。
後について外に出ると、サンがおとなしく待っているのが見えた。
オレは深呼吸した。心を落ち着かせる。
サンは、オレの気持ちもちょっとだけ読みとれるらしい。オレの心が黒い嫌な気持ちでいっぱいだったら、サンが嫌がるかもしれない。
「キュウゥ……」
サンが心配そうな声を出した……気がした。
「大丈夫。ちょっと反省してただけだから」
そう言って頭を撫でてやると、サンは「キュウ」と鳴いてオレに擦り寄って来た。
オレと夜斗兄ちゃんがサンに乗ると、サンは元気よくフィラを飛び出した。崖と森林に囲まれた小さな村――フィラがみるみる遠ざかる。
「……あの穴だけど」
夜斗兄ちゃんが話し始めた。
「稀に開く次元の穴で……あの姉妹の家系がずっと守っていたようだ」
「守る……?」
「あの穴に誰かが落ちたり、あるいはあの穴から誰かが侵入することのないよう、見張っていたといった方がいいかな」
「ふうん……。あのお姉さん達、いつ開くか分かってたの?」
「そうらしい。そういう力があるんだろ。あの二人はエルトラ生まれで――もう両親は亡くなったが、フィラに戻ったら必ずあの穴を守れと言われていたみたいだ」
「そうなんだ……」
そうだよね……危険だもんね。あんな穴、放っておいたら。
「それでな、あの二人は本当にちょっと脅かすだけのつもりだったみたいだ。力があって、女王にも気に入られて、自由に動ける朝日が羨ましかったんだろ」
「……」
「だから許してやってくれよな」
夜斗兄ちゃんがオレの肩を抱き寄せてギュッとしてくれた。温かくて、少しホッとして、オレは黙って頷いた。
そうか……あの人たち、自分の使命のために、ずっとフィラにいなきゃいけないんだ。
フィラの人は、エルトラのフェルティガエとは結婚できないんだって、理央姉ちゃんが言ってた。
女王さまの血筋を守らないといけないんだって。理由はよくわからないんだけどさ。
じゃあ、ずっとエルトラで働いている夜斗兄ちゃんは……いつまでたっても独りでいるのかな……。
「――夜斗兄ちゃん」
「何だ?」
「何で結婚しないの?」
「ぶっ……ごほっ、ごほっ」
かなり驚いたらしく、夜斗兄ちゃんが激しくむせた。
「何でって……」
「オレたちのせい? オレと、朝日のせい?」
「んー……ちょっと違う」
そう言うと、夜斗兄ちゃんは少し考え込んだ。
夜斗兄ちゃんは、その場しのぎの嘘とかごまかしとか絶対言わない。
多分、真剣に答えてくれようとしてると思うから……オレは黙って次の言葉を待った。
「――したくないから、だよな、やっぱり……」
たっぷり考えたあと、夜斗兄ちゃんはポツリと言った。
かなり長い時間考えたわりにずいぶん簡単な答えだな、と思って、オレは少しガックリしてしまった。
「何で?」
「優先順位ってわかるか、暁?」
「やりたいことの順番?」
「そう」
夜斗兄ちゃんが遠くを見つめた。
視線の先を追うと、何かドーム状のバリアに覆われた真っ黒い建物が見えた。
「俺の優先順位の一番は、もう長い間、朝日――いや、朝日とユウなんだよな」
「……」
「この二人はなー、本当に手のかかる奴らで……頑固でなかなか言うこときかないし、放っておくと、何をしでかすか分からないというか……」
「そうなの?」
「そう。言っておくが、お前もだからな、暁」
「えー……」
「で、あとはリオだよな。フィラの復興を頑張ってる。俺はそれに、最大限協力したい」
「うん」
「今はそれで手いっぱいだから、これ以上は無理だな」
「ふうん……」
夜斗兄ちゃんは深い溜息をつくと、頭をボリボリ掻いた。
「だいたいなあ、女なんて面倒くさい生き物、そう何人も相手してられな……」
「そんなこと言っていいの?」
「あ、これは内緒な。朝日にも、リオにも」
「……えー……」
「男の約束だぞ」
「……わかった」
男の約束、という言葉がちょっと嬉しくて、オレは素直に頷いた。
夜斗兄ちゃんが結婚しないのは、やっぱりオレ達親子が原因かもしれないけど……それは我慢とか何かを犠牲にしてるとかじゃなくて、夜斗兄ちゃんがやりたいことだからやってるんだって――多分、そういうことだよね。
――いいんじゃない? そういう性分なんだから。遠慮しなくていいわよ。
理央姉ちゃんがズバッと言ってたっけ。なんか……二人とも、本当のお兄ちゃんとお姉ちゃんみたいだ。
……そうか。朝日にとってもそうで……だから夜斗兄ちゃんと理央姉ちゃんも、オレたち親子を家族みたいに思ってくれてるのかな。
そう思ったら、何だか胸が熱くなって……泣きそうになってしまった。
「キュウゥゥー!」
サンがふいに、何かを訴えるように鳴いた。
「僕も家族だよ」と言いたかったのかな、と思ってオレはサンの身体をよしよしと撫でてあげた。
エルトラの自分の部屋に戻ってから、オレは書きかけの作文用紙を取り出した。
朝日はまだ帰ってきてない。今のうちに書いてしまおう。
――この夏休みに感じたいろいろなこと、忘れないうちに。
* * *
『僕の家族 四年二組 上条暁
僕は、母と祖母の三人で暮らしています。母は大学院で生き物の研究をしています。医者になるための勉強は終わったけど、まだ勉強したいことがあるからもう一度大学に入学したそうです。僕は、こうして努力し続ける母はすごいな、と思います。
祖母はレストランを経営しています。一家の大黒柱です。母が勉強に打ち込めるように、僕が楽しく学校に通えるように、一生懸命に働いています。社長なので、いろいろな人にてきぱき指示を出したり、外を飛び回ったりしています。こんな祖母はとてもカッコいいな、と思います。
僕の父は遠い外国にいます。今年の夏、父に会いに行きました。父は僕が生まれてからすぐに病気になって、長い間ずっと、自分の国で眠っています。でもいつか、僕たちと一緒に暮らせるように、独りでずっと病気と闘っているんだと思います。僕が大きくなったら、父の手助けができるようになりたいです。
父のそばには、両親の友人のお兄ちゃんとお姉ちゃんがついてくれています。僕とは血のつながりはないけど、僕にとっては本当のお兄ちゃんやお姉ちゃんみたいです。僕や母は父のそばにずっと付いていることができないので、代わりに見守ってくれています。そして、父の代わりに僕にいろいろなことを教えてくれたり、ときには叱ってくれたりします。
僕はいろいろな人に教えられたり守られたりして育ってきたんだなあと思いました。これからはいろいろなことに真面目に取り組んで、努力して、大人になったらみんなに恩返しをしたいと思います。』
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