4.闇の存在
ミリヤ女王はしばらく何か考え込んだ様子で私の腕の中の暁を見つめていたけれど……ふと、私の方に視線を向けた。
「……ところで、何故キエラ要塞に行ったのだ?」
「え……あの……」
言っていいものなのか迷ったけど、この女王さまには正直に話した方がいいかもしれない。変な誤魔化しとか通じなさそう。
「将来的にカンゼルの研究を、テスラにとっていい形に役立てないかと、私はそう考えていて……。今は、まだ知識も足らず無理なんですけど。それで、カンゼルの研究の資料を一度見ておきたかったんです。それに、フィラから奪われた蔵書もあると聞いたので……」
「……」
女王がむっつりと黙りこむ。
フレイヤ様は「悪用される前に要塞は潰しておくべきだ」と言っていて、私の考えには反対だった。だから、ミリヤ様もフレイヤ様と同じ考えかもしれない。
こんなことになるなら要塞を潰しておけばよかったって、そう思っているかも。
「確かに、そんなことができるとしたら……アサヒ、お前しかいないであろうの」
「え……」
「しかし、今は駄目だ。今後、キエラ要塞は恐らく立入禁止になる」
「闇のせい……ですか」
「そうだ。浄化すればよいのだが……アキラはまだ幼すぎる。その研究とやらは、アキラが成長して、要塞を浄化してからの話になるな」
「……」
どっちみち、今はまだ資料も読めないし……大学に合格して知識を増やしておこうと思ってたところだし、それでいいのかも知れない。
「ただ……こうなると、要塞は残しておいて正解だったかもしれぬ。もし潰してしまっていたらキエラの大地にあっという間に闇が蔓延し……エルトラもただでは済まなかったかもしれぬからの」
だったら……いいんだけど。
私の余計な一言がテスラに災いを呼ぶとか、絶対に嫌だもの。
「後はこちらでやっておくから、アサヒは気にせずともよい。浄化についても、フィラの人間なら他にも居るかもしれぬ。とにかく、この件はしばらくわれの預かりにしてほしい」
「わかりました」
私は素直に頷いた。
「それで……アキラのもう一つの力だが」
「はい」
「これもかなり珍しい……『模倣』という力だ」
「模倣……?」
物真似ってこと……かな?
「実際に見たり体験したりしたフェルティガを使用できる。われの託宣のような特殊なものは無理だが……そうでなければ、どのような種類の力でも真似して使える代わりに、使わないとしばらくしたら忘れてしまう。そういう能力だ」
「……なるほど……」
そうか……。だから1年前に憶えたはずの
そして昨日は……夜斗が
「だから……ミュービュリで育てるという選択は、正しかったと思う」
「……え?」
意外に思って女王の顔を見ると、女王は私の顔をじっと見つめて力強く頷いていた。
「アキラはまだ何も分からぬ赤子のうちに目覚めてしまった。もしエルトラに留まっておれば、周りはフェルティガエだらけだ。見るものすべてを真似していては、身体に負荷が大きすぎる。ここにいても、隔離して過ごさせるしかなかっただろう」
「あ……」
「ミュービュリであれば、アサヒが気をつければいいだけのことだ。自分で真似すべきかどうか判断できるまでは……ミュービュリで育てた方がよいであろうな。ただ、先ほどの浄化の件もある。ある程度の年齢になったら力の使い方を学ばねばならんと思うが……」
力の使い方……。じゃあ、暁がもう少し大きくなったら定期的にテスラに連れて来ないと駄目ってことかな。私じゃ多分、教えられない。
でも、ゲートの問題が……。
今のところは何も息苦しくないし、暁も特に大丈夫だったけど……ゲートを越えるには限界がある。そんなに頻繁にはテスラに来れない。
だとしたら……私が想像していたよりも早く、テスラに移住しなければならないんだろうか? 暁がちゃんと自分で決断できる年齢になるより前に……。
「あの、ミリヤ女王。ゲートはどれくらい越えられるのでしょうか。私も、暁も。託宣で分かるものなのでしょうか?」
心配になって聞くと、女王は「そうであったの」と呟いてしばらく考え込んだ。
「今までミュービュリのことは極秘であった故、託宣で伝えることをしていなかっただけで、ある程度は分かる」
「……」
「アサヒについては、宣託を授けたのはおばあ様だからおばあ様に聞くとよい。アキラについては……そうじゃの。二、三十回は問題ないと思う。普通のフェルティガエが一、二回といったところだから、やはりかなり規格外ではあるの」
「そうですか……」
それならきっと、暁が大人になるまでは問題ないだろう。少しホッとした。
「……では、もう聞くことはないかの」
「はい」
私は頭を深く下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「おばあ様は王宮の北の塔にいる。会ってやってくれ」
「……はい」
ミリヤ女王は少し微笑むと、すっと立ち上がり身重の身体とは思えない速さで颯爽と去って行った。
私はもう一度深くお辞儀をすると、神官に案内されつつ、大広間を後にした。
* * *
フレイヤ様の部屋は、北の塔の一番上にあった。
王宮の奥からも行けるらしいんだけど、それは女王専用の通路。
だから私は神官に案内されてぐるっと遠回りをし、北の塔に向かった。
部屋に入ると、フレイヤ様は立ったまま窓から外の景色を眺めていた。
そしてこちらをゆっくり振り返って
「……元気そうじゃの」
と微笑んだ。
「はい。お久し振りです」
私は深く頭を下げた。
暁はぐっすりと眠っていた。フレイヤ様は暁を見ると
「アキラの託宣は無事済んだようじゃの」
と言い、椅子に腰かけた。傍に控えていた神官がお茶を注ぐ。
「……はい」
フレイヤ様が「座るがよい」と言って椅子を勧めてくれたので、お言葉に甘えて私は女王の向かいに座った。
神官が私にもお茶を入れてくれた。
そして会釈をすると、静かに部屋を出て行った。
アキラの力や闇についてなど、込み入った話をするから……事前にフレイヤ様が二人きりにするよう命令してあったのかもしれない。
「親子そろって不思議な力の持ち主じゃのう……」
もうすでに誰かが伝えたのか、フレイヤ様は暁の力を分かっているようだった。
そうだ。まず、私について聞かなくちゃ。
「あの……それで、ゲートについてなんですが」
「ゲート?」
「越える回数に限界があると聞いています。私はどれくらい越えられるのでしょうか? 今のところ不都合はないんですが……」
「制限はないぞ。何がどうしてそうなったのかはわからぬが……アサヒはかなり、特殊な存在のようじゃ」
「……え?」
制限が、ない?
つまり……私は何回でもゲートを超えられるってこと?
チェルヴィケン直系……だけど、ミュービュリの人間とのハーフに過ぎない私が?
ポカンと口を開けたまま呆けている私に、フレイヤ様は
「われもこんなことは初めてだが」
と言い、ふうむと鼻から息を漏らした。
「フィラの人間として……そしてミュービュリの人間として、どちらに偏ることもなく、奇麗に混じり合っておる。だから、どちらの世界にも適応できるのだろう」
つまり……むしろハーフだから、なんだろうか。
だからフレイヤ様は私がミュービュリに帰ると言ったとき、止めなかったのか。
「ただ、制限がないのは回数の話であって、ゲートを開け、越えるたびにフェルティガを使用するのは変わらぬ。過信は禁物じゃ」
「……はい」
私は神妙に返事をした。
フレイヤ様の中で、私は相当無茶をする人間に映っているみたいだ。
思えば……暁がお腹の中にいるときから、いろいろ注意されていた気がする。
「あの……闇についてなんですが」
「ああ、そうじゃの」
フレイヤ様は思い出したように声を上げると、顔を曇らせ、溜息をついた。
「われも詳しくはわからぬ。テスラには全く関係のないことだと思っておったからのう」
「そうなんですか……」
「しかし託宣があったのなら、これからのテスラには間違いなく関係してくることであろうの」
そう言うと、フレイヤ様はしばらく考え込んでから
「アメリヤと面会するがよい。……明日だ」
と私に告げた。
「アメリヤ……?」
「われの娘だ」
フレイヤ様の娘……ということは、ミリヤ女王のお母さん?
「女王は孫に受け継がれるという話はしたであろう」
「はい」
「女王の娘は次の女王、つまり自分の娘を補佐する者としての教育を受ける。テスラの歴史を知り、女王の託宣を正しく解釈するための知恵を授ける者だ。われがアメリヤを生んだ後、アメリヤはわれの母からその教育を受けた」
「……」
「そしてアメリヤはミリヤを生んだ後、ミリヤに次期女王としての教育をした。今はそれが終わり、王宮の奥で古文書の管理をしつつミリヤの補佐をしているのだ」
「つまり……女王さまは託宣や謁見や最終的な判断をされていて、その陰で書物を調べたり神官に具体的な指示を出したりされているのがアメリヤ様、ということなんですね」
「そうじゃ」
女王は託宣の間に二、三日籠ることもあるって聞いた。
その間に王宮内がまったく動かなくなると困るもんね。
それに、女王はとても忙しい。自分の娘を教育する時間はとれないだろう。
女王一人ではなく、女王の血族すべてでエルトラを守っているんだ。
でも……。
「あの、古文書ってなんですか?」
「太古の昔……テスラができてから今までの歴史などが綴られておる書物じゃ。つい最近までミュービュリについては極秘だったように、女王の血筋だけが知っている歴史や事柄というものがあるのだ。だから神官には任せられぬ故、女王の母が管理しておる。そして新たな歴史を綴るのも女王の母……そして、娘の役目なのだ」
「なるほど……」
すごく大変な仕事なんだな……。どんな方なんだろう。
フレイヤ様はとてもきびきびとしていて判断が早い。ミリヤ女王は……何と言うか、少しブラックだけどすごく賢い方なんだろうな、と思った。
「ところでのう」
フレイヤ様がお茶を飲みながら私をチラリと見る。
「何の許可もなくキエラ要塞に行ったそうじゃの」
「うっ……」
私は思わずフレイヤ様から目を逸らしてしまった。
でも……それじゃいけないと思い、怖かったけどもう一度視線を合わせた。
「許可……やっぱり必要でしたか?」
「飛龍を使う以上はな」
「サンだからいいかなって……」
「あれはユウディエンの飛龍をヤトゥーイが預かっておるのじゃろう。だからエルトラの管理下じゃ」
「――すみません」
まあ……そうだよね。
「われとしても、あまりお前に贔屓する訳にもいかん。託宣の神子の母ゆえ、神官も大きな不満は言わんが……度が過ぎると異を唱える者も出てくるだろう」
「……はい」
「エルトラにいるのであればエルトラのしきたりに従ってもらわねばならぬ」
「――すみませんでした」
それは、そうだよね。よそから来た人間が我が物顔で国内を闊歩してたら、そりゃ不愉快だよね。
王宮の人達にはただでさえ良くしてもらっているのに、迷惑をかけるようなことをしてはならない。
ぐうの音も出ず、私は思わず俯いてしまった。
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