第1章 朝日2004
1.あれから、1年。
「……そこまで!」
模試会場の試験官の声が響く。
私は鉛筆を置くと、大きく息をついた。すぐさま解答用マークシートが後ろから集められる。
どうにか時間内に全部埋められたけど、やっぱりまだまだだな。
あれから1年近く経って……もう、9月になっていた。
私は学校には戻らず、家庭教師と通信教育で大学受験の勉強をしている。
半年ぐらい全く勉強していなかった期間があるからかなり大変だったけど、どうにか形にはなってきた感じ。
でも、目指している医学部にはまだまだ……ということを、たった今、痛感したところ。
溜息をつきながら試験会場を出る。
バス停に向かいながら、空を見上げた。秋の青い空が眩しい。
私はテスラの白い空を思い出した。
そして……眠り続ける、ユウの姿も。
半年近く連絡が取れなかったのに……聞きたいことだってたくさんあったはずなのに、何も言わなかった。
――ただ
「私のような思いをさせないでって言ったのに……」
と呟いただけ……。
「違うの。ユウは、死んではいないの」
私は首を横に振った。――ユウが責められた気がしたから。
責められるべきは、私だ。
「ひどい怪我をして、ずっと眠り続けているの。いつ目覚めるかは……わからない、けど」
いつ目覚めるか分からない――自分で言った言葉に少し傷つき、思わず涙ぐむ。
でも、死んでない。生きてるもの、ちゃんと。
「それに……ユウはちゃんと、一緒に帰ろうって言ってくれてた。私――私と暁を守るために大怪我してしまったの」
「……」
「長い間心配させて、ごめんなさい」
ママは何も言わず、ゆっくりと頷いた。
そして私から腕を離すと、私の腕の中の暁をじっと見つめた。
「……暁って言うの?」
「うん。男の子だよ」
私は暁に微笑みかけた。暁は青い瞳でじっと私を見てからママの方を見た。不思議そうな顔をしている。
「……アオに……そっくりね……」
ママは淋しそうに微笑んだ。
それ以上、私には何も聞かなかった。
* * *
“――朝日”
どこからともなく私を呼ぶ声が聞こえて、ハッとした。
私は自分の携帯を取り出して耳に当てた。
「……もしもし?」
“あ、やっとつながったな”
夜斗の声だ。
「ごめん、試験中だったからシャットアウトしてたの。……何かあった?」
一応、携帯で話してる風を装っているけど、実はこれは夜斗と私のフェルによるものなので、全く意味はない。
でもこうでもしないと、はたから見たら独り言をぶつぶつ言っている変な人だもんね。
去年の秋にテスラを去るとき……私はずっと闘いを共にしてきた携帯電話を夜斗に渡していた。
ミュービュリとテスラで連絡をとるには何か媒介するものが必要で、携帯電話が私のイメージにしっくりきているから。
夜斗はそんなものを使わなくても私に連絡できるらしいんだけど、私はそこまでフェルを使い慣れている訳ではないからね。
“……妙に疲れてるな”
「まあね……。それよりどうしたの? 明日、テスラに行くつもりだったけど」
“ミリヤ女王が今朝、託宣の間に入った。だから二、三日は暁の託宣は無理かもしれないんだ。どうする?”
「んー……」
暁が生まれて1年が経ったから、私は暁と共にテスラに行って女王の宣託を受ける予定だった。
暁がどのような力を持っているのか、詳しく視てもらうのだ。
それはエルトラの女王にしかできないことで、「テスラに来ても待たされるぞ」ということを夜斗は言いたかったんだろう。
「でも、息抜きも兼ねて行こうかな。どっちみちしばらく滞在するつもりだったし、行きたいところもあるから」
“行きたいところ?”
「キエラ要塞」
“はぁ!?”
夜斗が素っ頓狂な声を上げた。
* * *
「お帰りなさい、朝日」
家に戻ると、ママが暁を抱えて玄関に現れた。
「ただいまー。暁もただいま!」
ママから暁を受け取って抱き上げると、暁が嬉しそうにきゃっきゃっと笑った。
「さっきまでぐずって大変だったのよ。朝日が今日一日家を空けてたから……」
「そっかー。ごめんね、暁ー」
「あう、うえあう……」
暁が何か言いながら私の胸をぽこぽこ叩く。
寂しかったよー、と甘えてくれてるようで、思わず微笑む。
私たちはそのままリビングに入った。
「模試はどうだったの?」
ママが紅茶を入れながら聞く。私の帰る時間に合わせて用意してくれていたようだ。
私は暁を抱えたままソファに座ると、思わず溜息をついた。
「結構努力してたつもりだったけど、目標にはまだまだかな。でも、ここからが追い込みだから頑張る!」
「そんな無理して医学部を目指さなくても……。私の仕事を手伝ってくれたっていいのよ?」
「んー……でも、やりたいことがあるから」
キエラ要塞には、カンゼルが残したいろいろなデータが眠っている。
医学者だったカンゼルはフェルティガエを酷使するために研究していたみたいだけど、もっとテスラの幸せのために利用できるのでは、と私は考えていた。
そのためには、医学の知識は絶対に要る。医学部を目指すのは、私にとってどうしても必要なこと。
今回キエラ要塞に行きたかったのも、カンゼルが残した資料を見てみたかったからだ。
去年テスラから帰ってくるとき、夜斗が私にチェルヴィケンの古文書とひいおじいちゃんの日記を渡してくれた。
まだあまり読めないけど、大学に合格して少し時間ができたらテスラ文字の勉強もするつもりだった。
次にテスラに行くのはいつになるかわからない。だからこの機会にカンゼルの資料をいくつか持ってこようと思っていた。
何を研究していたのか見ないと、どんな知識をこれから入れていったらいいかわからないものね。
「朝日……将来、テスラに移住するつもりなの?」
ママが少し淋しそうに聞いた。
テスラに戻って少し落ち着いてから――私はテスラで起こったことをママに説明した。
暁の妊娠がわかって身動きできなかったこと。
暁の力が強くて三カ月ぐらいで生まれたこと。
そしてテスラの戦争は終わって、キエラの大地が生まれ変わったこと。
暁が強い力を持っているために、フェルを吸収できる私がつねに傍にいなければならないこと。
だから学校には戻らないし、ベビーシッターもつけない。
ずっと暁の傍に居て家で受験勉強をしたい、とママに伝えた。
ママは一応納得してくれたけど、私がこの世界ではなくテスラを基準にいろいろなことを考えているのが、少し不安なのかもしれない。
「そこまで考えてないけど……。今はちゃんとこっちで生活していくつもりでいるよ。後は……暁次第かな」
私が暁に微笑みかけると、暁もにこーっと笑った。
生まれたとき青色だった瞳は、そのままだ。
そう言えば、ユウがパパやママと一緒に居た頃の写真も、青い瞳だった。
でも、17歳のユウと初めて会った時は、すでに瞳は茶色だった。
たまに青く見えるときがあったけど、大きくなるにつれて茶色に変わるのかな。
「暁の力がどういうものかわからないし……」
「そうねぇ」
ママが私のところに紅茶を持ってきてくれた。
「でも……こっちに戻ってしばらくしたら、飛び回ったりすることはなくなったわよね。その、力っていうの、無くなったのかしら?」
「無くなることは……ないと思うけど……」
去年の闘いのとき、暁は
だからテスラに戻った当初、ママが抱っこしていても私のところに飛んできちゃうことがあって、結構大変だったんだ。
私はフェルを吸収するから、私が抱き上げているときは何も起こらないんだけどね……。
でもそのうち、暁はピタリと何もしなくなった。普通の赤ん坊と同じ。
一度覚えた力を忘れるってこと、あるのかな?
まあ、でも、女王の託宣できっとわかるだろうし……。そのときに聞けば、いいよね。
* * *
翌日。暁が眠っている隙に、ゲートを開く。赤ん坊の頃はあまりフェルの干渉がない方がいいという話だったからだ。
そしてゲートはなるべく短い距離で繋げるべきなんだけど、今回も少し距離があった。
私は体質的にフェルはたくさん持ってるらしいんだけど、いかんせん不器用だからなぁ……。
ただ今回は、ちゃんとエルトラ王宮の庭に出れた。
「あ、よく来たわね」
理央が庭で待ち構えていた。暁が眠っているのを見て、少し小声になる。
「……全然違うところに出たらどうしようかと思ったわよ」
「一応、イメトレはしてきたからね。久し振り、理央。夜斗は?」
「サンのところに行ってるわよ」
「そっか」
私がキエラ要塞に行きたいって言ったから、準備してくれているのかな。
辺りを見回す。以前の戦いで崩れた西の塔では、何人かが復旧作業をしているのが見えた。
「先に、ユウのところに行っていいかな?」
「ええ。私はここで待ってるわ」
理央と別れると、エルトラ王宮の中に入った。
東の塔の一階……1年前、私達三人が暮らしていた部屋。
そこに、ユウは眠っている。
部屋に入ると、いい香りがした。
見ると、テーブルの上に花が飾ってある。エルトラにいたときお世話になった、神官のエリンが生けてくれたのだろう。
私は一呼吸置いてから、中央のガラスの棺を覗きこんだ。
ユウの切り裂かれた身体は……少しくっつきかけているところはあるものの、まだ全然戻っていなかった。
でも、1年前よりは少し進んでいるように見える。すべての細胞が元通りになるまで……多分、10年ぐらいはかかるんだろうな。
「……ユウ。久し振り」
私は荷物の中からアルバムを取り出した。
「これね……去年、ユウと三人で暮らしていた頃から今までの、私達の写真。ここに置いておくね」
近くの本棚の、去年のユウの誕生日に渡したアルバムの横に立てかける。
もし私が居ない間にユウが目覚めても、淋しくないように。
棺の傍に座ると、じっとユウの顔を眺めた。
「……う」
私の腕の中の暁がぼんやりと目を開けた。
「暁? 起きちゃった?」
「うー……」
少しむずがる。私は暁にもユウの顔を見せた。
「暁。パパだよ。――眠ったままだけど……」
「うー……うー……」
暁はいやいやをするような仕草をした。私の首にしっかりと掴まる。
「どうしたの?」
「うー……」
去年、暁はあんなにユウに懐いていたのに……。やっぱり時間が経って、忘れてしまったのかな。
でも、あのアルバムを作りながら写真を見せてたときは、特にこんな反応はしなかったと思うけど……。実物だと何か違うのかな。
だけど、だからといってしょっちゅう会わせられる訳ではない。ゲートを越えるのは限界があるはずだから……。
そうだ。ゲートのことも女王さまに聞いてみないと。
「……じゃあね、ユウ。また来るね」
理央を待たせてはいけないと思い、私はユウに微笑んで……そして、部屋を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます