須能雪羽の短編集
須能 雪羽
暗い宇宙の硬いキス
複座戦闘艇は、無重力の宙を漂った。半日ほども彷徨い、小惑星群の一つに衝突して、慣性移動をようやく終えた。
「熱烈なキスだ。引力に捕まらなくて良かったな、クルズ軍曹」
「肯定しますが、好転してもいません」
「不安材料が一つ減っただけでもさ」
前席のノエルから、後席は見えない。間に挟まる機器が、視界を妨げる。どうもクルズは、自身の仕事に忙しいらしい。
「何か見つけた?」
「その反対です。熱いキスの対価に、電気系をやられました」
「あー……」
技術の最先端を行く戦闘艇だが、機器の動力は電気だ。不安材料が減るどころか、数えるのも諦めるほどに増えてしまった。
「全部?」
「非常系統以外について、肯定です」
非常系統は、脱出装置と
「小隊は――」
「ノエル
「ジェシーが先とはね」
「
クルズの回答は、いつも冷静で正確だ。メスシリンダーと揶揄する者まで居る。
ただし例外がある。例えば「ジェシーが恥じることなどない」と言ったとき、クルズの声量は表面張力分ほども増した。
「俺もそう思う。サミーを救ったのが、奴の最後の仕事か」
相手は慌てているように見えたが、それが敵の戦法だった。ノエル2は、敵艦の射線上におびき出された。
「母艦は?」
「リスト上は健在でした」
戦闘艇を移送する巡航母艦。武装と速度は巡洋艦と同程度だが、継戦時間は短い。
「……どうしてオリーに、返事をしなかったんです?」
「補給の合間に、そんな決断が出来るわけないじゃないか」
「ご冗談を。即断即決が曹長の売りではないですか」
ノエルたちが補給に戻ったとき、属する分艦隊が孤立したと分かった。
すると女性
「ノエル曹長。必ず生きて戻って下さい。約束してくれるなら、私も必ず生き残ります。たとえ艦が沈んでも」
その意味が分からない愚物は、ノエル自身を含めて周囲には居なかった。誰も仕事をこなしつつ、短く口笛で祝福した。
「下手くそだから、確約は出来ないな。戻った後でお互いが生きてるか、確認し合うほうが確実だと思うよ?」
それがノエルの返答だ。断ったわけではない。
だがオリーは悔しそうに唇を噛んで、「了解しました。ではまたそのときに」と背を向けた。
「小官の情報では、曹長には既に決めた相手がいらっしゃるとか?」
「軍曹にしては、なかなか攻撃的だね。しかもそれ、噂だろ?」
「疑問の解決と、噂の真偽を知るのと、手間を省いたまでです」
そんなことを、誰にも言ったことがない。だのにどうして、噂が流れたのか。
しかし事実だった。ノエルには、好意を抱く相手が居る。
「じゃあ俺も手間を省こう。その噂が、真実だからだよ。好きな人の目の前で、誰かを傷付けたくなかった」
ガタッ、と。何かぶつけた音がした。上ずった吐息も聞こえる。
「クルズ?」
次の言葉がなくて、心配になった。彼女の航宙服にだけ異常が起きて、呼吸不能というのもない話ではない。
「だ、大丈夫です。正気です」
「良かった。何か考えごとかい?」
「どうしたら良いかと思いまして」
「何を?」
また、すぐには返事がなかった。だが今度は、何か言いあぐねているようだ。
「落ち着けよ、君らしくもない」
「――恐縮です」
ビジネス的な発言だと、普通に話せるらしい。それから何度も深呼吸を繰り返して、ようやく思う言葉が発せられた。
「きっ、キスを! していただけますでしょうか……」
最後のほうは、うんと小さな音量になる。しかし漏れなく聞き取れた。
「キス?」
「我々には、時間がないのです。ファーストキスをしないまま心中では、心残りです」
この頑なで、不器用なところ。それが堪らなく愛おしい。意図せず口元が緩んで、クスと笑ってしまう。
「わ、笑わないで下さい」
「いやごめん。とりあえず俺の告白は、受けてもらえたのかな」
「は……」
やはり顔は見えない。だが今は、彼女の顔が真っ赤に染まる様を見た気がする。
「そっちに行っても?」
「だ、ダメです! 来ないで下さい!」
前席と後席の移動は、身体を密着させながらになるほど狭い。先ほどは勇気を振り絞ったらしいが、今度は拒絶されてしまった。
「笑ったのは謝るよ。でも俺も、キスせずに死ぬのは嫌だ」
「ダメです、待って下さい」
クルズの口調が、感情を律したものに戻る。彼女は光学式スコープを取り出して、遠くを見ているようだ。
「何が見えた?」
「友軍の駆逐艦です。救助を求めるべきですが、方法が……」
識別シグナルも消えたこの機体は、他のデブリと区別がつかない。
「発光器くらい載せとけって、言っとくよ」
「それがいいと思います」
クルズの口調は変わらないが、諦めの色に染まっていた。
あの駆逐艦に乗れれば、生還出来る。何か方法がある筈だ。あってほしい。
「――軍曹、やっぱりそっちへ行くよ」
「な、何を?」
「俺たちには時間がない。だろ?」
華奢なクルズを抱えて、ノエルは空気発生器の出力を最大にした。ただし、排出はゼロに。
「そんなことをしたら!」
「大丈夫。俺を信じて」
彼女の背に、動悸が伝わる。生死の分かれ目のせいか、愛しい人と接しているからか。それはノエルにも分からない。
――やがて、その時が来る。
エアタンクが破裂する寸前、脱出装置を作動させた。ハッチが開き、機体からシートが離れる。
その直後、強烈に吹き出した空気が二人の身体を押した。
成功だ、駆逐艦の方向に向かっている。
「見つけてもらえるでしょうか」
「きっとね」
エアタンクの破裂は、燃料系に誘爆を起こした。速度は増し、駆逐艦にも必ず見えたことだろう。
抱き締めあった二人は、ヘルメット越しに語り合う。救助までの不安を打ち消す為に。
透明なシールドを触れ合った姿は、キスをしているようでもあった。
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