第21話 天界裁判

 虎吉とらきちたちが天界裁判所に向かう少し前。

 裁判所では尋問が始まっていた。

「被告人――弁財天は天界の許可無く地上に降り、けがれた妖怪や半妖と交流した。間違いないか?」

 裁判長を務める天使が起訴状を読み上げる。

 被告人は弁財天――天馬てんま百合ゆりである。

「ああ、間違いないとも。地上にバカンスに行くのにいちいち天界の許可がいるのか?」

 百合はわざと余裕ぶった顔で裁判長をめつける。法廷は予想外にも静まり返っている。

「当然である。堕天だてんすれば穢れがつき、神気が失われていくのは被告人も知っているだろう。現に被告人の神気は数百年のうちに衰えている」

「裁判長、弁財天が堕天したのは彼女が弁財天を襲名してからすぐのことでした。彼女は地上に降りる際のルールを知らなかった可能性があります」

 弁護人として立っていたのは因幡いなば白兎はくと――天馬百合の弟分である。日本の司法における検察官に当たる人物は法廷には見当たらない。裁判長が尋問し、弁護人が弁護するというのが天界での独特のルールだった。

「被告人、知らなかったのか?」

「当然知っていた。だいたい、襲名してからかなりの年月が経っていた」

「姉さん!」

 何故わざわざ自分に不利な証言を、と因幡は焦った声を上げる。

「今の発言を聞いた以上、被告人が意図的に天界のルールを破ったのは明白である。では、なぜ弁財天の称号を譲渡してから堕天しなかったのか? 七福神が欠けて困る者がいると思わなかったのか?」

 裁判長は無感情に問う。まるで機械のようだ、と百合は思う。そこには情も義理もない。かといって地獄の沙汰が金で買えるわけでもない。ただただ機械的に案件が処理されていくだけ。

「七福神が欠けていることなど地上の人間は気づいていなかったし、仮に天界側が困るというのなら吉祥天きっしょうてんにでもやらせればいい。もともと七福神には吉祥天がいたはずだ」

 そう、七福神の紅一点はもともと吉祥天という女神が担当していた。それが時を経るといつの間にか弁財天になっていた。吉祥天とは特に仲が悪かったわけでもなかったが仲が良かったわけでもなかった。七福神のメンバーから外されて恨んでいるかどうかも知らない。なにせ何百年も会っていないのだ。

「だが、先代の弁財天は吉祥天から七福神の役目を奪った。それは地上の人間が望んだ結果だ」

「都合が悪くなると地上の人間のせいにするのか。普段地上なんか見てないくせに」

 裁判長の言葉を、ハッと鼻で笑う。弁護席に立っている因幡がなにか言いたげに百合を見るが、百合は無視した。

「被告人、発言には気をつけるように」

 裁判長はまったく表情を崩さない。裁判長や裁判官だけではない。無表情の天使たちが傍聴席ぼうちょうせきからじっと百合を見ている。

 ――気味が悪い、と百合は思った。百合が天界に弁財天として存在していた頃はここまで機械的な天使ばかりではなかったというのに、この数百年で何が起こっているのか。天使を製造しているのは神である。自分も因幡も元は神から製造された天使であったが、ここまで感情を殺された天使ばかりを生み出して、何をしようというのか。

 百合は口を開く。

「この数百年、ずっと地上で見てきた。なぜ地上に天使がいない? このままでは地上は悪魔に乗っ取られてしまう」

「静粛に」

「天界はメタル・ヴァルキリーを量産して悪魔と最終戦争でもする気か?」

「静粛に!」

「――天界は地上を戦場にする気なんだな?」

「被告人、黙りなさい!」

 核心を突かれたのか、初めて裁判長が感情をあらわにした。

「――被告人は反省の色が見られない。このままでは有罪判決は免れない。すなわち神格を剥奪はくだつしてただの人間として地上に放逐ほうちくするか、地上での記憶を剥奪して神としてのシステムに戻すかである」

 結局の所、天界に不都合な神や天使はみな地上に追いやられるか感情を奪われ機械じかけの神にされてきたのだ。百合は歯噛みした。

「裁判長、僕は地上での記憶を剥奪することを提案します」

 因幡が想定外のことを言い出す。

「白兎、お前――」

「大丈夫ですよ、姉さん。これから僕たち、ずーっと一緒にいられるんですよ。僕が永遠に姉さんのお世話をしてあげますから……ね?」

 因幡はいつもと何の変哲もない微笑みを浮かべていた。

 ――すべて、仕組まれた罠だった。

 そう気づいたときには、罠の口が閉じるところだった。

 その時である。

「その裁判、ちょーっと待ったァーッ!」

 ズドーン、と裁判所の扉を蹴破って、虎吉、鈴、幽子、クラウド――地上で見慣れたメンバーが飛び込んできたのだ。

「虎吉!? それにお前たちまで!?」

「百合様、助太刀に参りました」

 百合の前で、プロト――メタル・ヴァルキリー・プロトタイプがひざまずく。天界で弁財天を襲名してからの仲である。

「プロト! 助かる!」

「プロト……お前、僕を裏切ったな!?」

 因幡が苦々しい顔でプロトをにらみつける。

「私がマスターに登録したのは百合様ただ一人。もとよりあなたに仕えた記録はありません」

 プロトは事務的な口調で無慈悲に告げる。

「クソッ……番場虎吉! お前に姉さんは絶対に渡さない!」

 因幡は光のエネルギーを集めて十字槍を形成する。

「俺は店長を連れて地上に帰る! 店長は地上で嬉しいことも辛いことも経験してきた! それを全部捨てさせるなんて弟に、店長は任せられねえ!」

 虎吉も負けじと如意棒を振りかざす。

「言ってくれるじゃないか! ――来い、メタル・メイデン!」

 傍聴席から何かがバシュッと飛んできた。

 鋼鉄の天使。今まで虎吉たちが相手取ってきた機械じかけのマネキン天使とは格が違うのが風貌ふうぼうからしてわかる。

 鋼鉄のヘルメットから覗く目は感情をもたず殺気のみを発している。ただ殺すためだけに作られた天使。

「こいつはメタル・ヴァルキリーシリーズの最新にして最強の機体! 試作品と半妖程度が僕に勝てると思うなよ!」

 因幡とメタル・メイデンが構える。

「試作品をなめないでいただきたいものですね」

「かかってこいよ、ウサギちゃん」

 虎吉はくいくいと指で挑発した。

「おい、傍聴席の天使たちが一斉に襲ってくるぞ! なんとかしろババア!」

「ホンマにモノの頼み方を知らない子やねえ。ま、そんなとこも可愛いんやけど」

 一方、クラウドと幽子は傍聴席の天使たちを相手取っていた。

「――幻惑魔眼・金縛りの幻術」

 天使たちが金縛りにあったように動かなくなる。相手がメタル・ヴァルキリーでなかったのが救いである。

「やるじゃねえかババア!」

「やかましいわクソガキ! 今のうちにクダギツネで縛っとき!」

 クラウドと幽子は手分けして持参した竹筒からクダギツネと呼ばれる細長い狐の妖怪を喚び出し、天使たちを縛り上げる。

「あの……身体もう返すんで、帰ってもいいっすか……」

 ネイクスはこの修羅場にすっかり震え上がって、百合に恐る恐る話しかける。

「わざわざ受肉素体を運んできてくれたのか、ありがとう」

 百合は自分に取り憑いていた悪魔のことをすっかり忘れているのか、あっさりとした口調だった。

「いえ……どういたしまして……もうこれ以上巻き込まれたくないんで、これで失礼しまーす……」

 あ、これ、思い出されないうちに退散したほうがいいな、と察したネイクスは、コウモリのような翼を生やした蛇の姿で素早く裁判所から出ていった。

「よっしゃ、暴れるぞ鈴!」

「お姉ちゃんをいじめるやつなんて吹っ飛んじゃえー!」

「ギャーッ!?」

 地上で活動するための身体を取り戻した百合は活気を取り戻し、鈴は巨大な黒竜となって裁判長を吹っ飛ばす。バリーン、と裁判所の窓が割れて、裁判長は青空の彼方である。パニックに陥った裁判官たちもたまらず裁判所から逃げ出す。

「裁判長が退場した以上、裁判の継続は不可能だ! もう諦めろ、白兎!」

 百合は無慈悲にそう告げる。裁判の継続どころか、裁判所そのものが崩壊寸前である。

「……僕は姉さんと、天界で幸せに暮らしたかっただけなのに」

 虎吉の如意棒を十字槍で弾きながら、因幡は力なく呟く。

「白兎……」

「黒猫と虎吉……お前たちさえいなければ姉さんは地上に縛られることはなかったんだ……お前たちさえいなければ!」

 因幡は狂乱したように叫び、十字槍を振るう。が、その槍はピタリと止まる。

 ――槍の先には、虎吉を抱きしめるようにかばう百合の姿があった。

「……白兎。女神は人を試し、人を罰し、そして――人を愛するもの。黒猫様や虎吉でなくとも、私は地上に人がいる限り、地上と人間を愛したよ」

 人を愛するもの。

 その言葉に深い意味はなかったのだろうが、虎吉の顔に血流が集まるのが感じられた。

「姉さん……」

「あ、あの、いい感じの雰囲気になってるとこ悪いんですけど、あのメタル・メイデンってやつ早く止められませんかね!?」

 虎吉は照れ隠しのようにアセアセと言葉をつむいだ。

「なかなか強いですね、二十パーセント損傷しました」

 プロトの右肩からバチバチと火花が出ている。おそらく損傷したのだろう。

「……メタル・メイデンは、周りの神気を吸収することで無尽蔵むじんぞうにパワーアップする。お前らなんかに倒せるもんか」

「ならば、私とどちらが上か競争ですね」

 因幡の言葉に挑戦するように、プロトは電気コードのような髪を無数にメタル・メイデンに突き刺した。メタル・メイデンの吸い上げた神気をプロトが更に吸い上げる構図になっている。

「!? ……! ……」どうやらプロトのほうが吸い上げるスピードは早かったようで、メタル・メイデンは機能停止した。

「神気吸収装置を破壊したのでもう大丈夫です」

「ば、馬鹿な……数百年前の試作品に最新作が敗れるなんて……」

 平然としているプロトに唖然あぜんとする因幡。

「プロトさん性能壊れ過ぎでは?」

 虎吉はあきれたような声を上げるのであった。


「プロト、神気を補充させてくれてありがとう。久しぶりに会えて嬉しかった」

「私も、百合様に再び会える日を楽しみにしておりました」

 プロトに吸い上げた神気を分けてもらって、地上で失われた神気を補充した百合は、嬉しそうにプロトにハグしていた。

 プロトも、無表情のようでどこか嬉しそうでもある。

「姉さん……ごめんなさい、僕……」

 因幡はしょんぼりとした顔で百合を見つめる。

「白兎、天界を頼む。白兎とプロトがいてくれれば、天使と悪魔の最終戦争も未然に防げると思う」

 百合は優しい口調で、因幡に天界の今後を託した。

「……うん。頑張ってみる」

「お姉ちゃん! 列車に乗って帰ろ! 列車がお空に浮かんですごいんだよ!」

 鈴はキラキラした表情で冥界の列車を思い出している。

「あのややこしい駅の通路をまた通らなきゃならんのか……」

 虎吉は思い出しただけで気が滅入めいっているようだった。

「百合姉、俺の隣座ろ?」クラウドが百合の腕に抱きつき、しっかりと腕を絡める。因幡と虎吉がムッとした顔をする。

「なに猫かぶってんだ狼のくせに」虎吉が噛みつきそうな顔で皮肉を言うと、

「黙れカトンボ」

「カトンボ!?」

 あまりに言われ慣れないののしり言葉に虎吉が目をいた。

「クラウド、カトンボは蚊とちゃうで」

「うるせーし! わざとだし!」

 にぎやかに地上へと帰っていく弁財天と半妖、そして妖怪たち。

 彼らを見送る因幡とプロトは寂しそうな、しかし決意を宿した瞳をしていた。

 ――私達の、僕たちの、愛する女神を天界から守ろう。

 ただの天使とメタル・ヴァルキリーの試作品に過ぎないけれど、自分たちにも出来ることはきっとあるはずだから。

 二人は、女神たちの通っていった異界ゲートを、彼女たちの姿が消えた後もしばらく見つめていたのであった。


〈続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る