惚気話は当人のいないところで。
「あ」
「おっ、お久しぶりだねご両人」
最寄り駅に向かう途中、大学から帰る途中だった稲藤と鉢合わせた。
まあ、稲藤は色んなサークル入っているからな。ほぼ飲みサーだが。
「琴葉ちゃん、今日は一段と綺麗だね」
「お、おい。お前出会い頭に口説くのはやめろ」
調子のいい笑顔で、稲藤は橘に迫る。女の子相手だとこういう態度しかできないのかこいつ。
「そうね、今日から私人妻になるみたいだし」
「え!?」
橘、他人事かよ……。
「ずいぶん
「ああ、今日は籍を入れに行くんだ」
「このネックレス、似合ってるでしょう? 一瀬が選んでくれたのよ」
「おお、お熱いねえ」
鼻高々にネックレスを見せつける橘。月の飾りが斜陽に照らされキラキラ光る。
「は、恥ずかしいからわざわざそんなの稲藤に見せびらかすな」
「どうして。惚気話のひとつくらいさせなさいよ、年頃の女の子よ?」
「お前にそんな願望絶対ないだろ!」
「あはは……まあ、何はともあれ上手くいったみたいで良かったよ」
夕陽に染まった稲藤の笑顔が、どこか意味ありげに映る。そういえば忘れてたけど、こいつなんで朝比奈に俺が好きなフリなんてさせていたんだ……?
「俺たちが上手くいったら何か都合の悪いことでもあるのか?」
「ええ? そんなのあるはずないじゃん? どしたん急に」
「じゃあなんで朝比奈に嘘なんかつかせた」
「あー……あれね」
そう言われ、稲藤はわざとらしく目を逸らす。
橘には何のことか分からないだろうから、簡単に事情を伝えた。
「いや、俺の可愛い一瀬クンがよく分かんない理由で結婚とか言うからさ、少しちょっかい出してやろーって思って、ね?」
「なんだよそれ」
稲藤はウインクで誤魔化しているが、絶対この言い方は本音じゃないな。
まあ、今はこれ以上追及しても仕方がないか。長々と立ち話してる場合でもない。
「まあいい。また今度じっくり聞いてやる。じゃあ、そろそろ行くぞ橘。役所が閉まったら大変だ」
「残念、私まだ惚気話したかったのだけれど」
「俺を辱めたいだけの暴露話の間違いだろ」
「そうとも言うわね」
「開き直るな」
はあ、まったく……。
稲藤にしても橘にしても、誰を前にしても本当にぶれない奴らだ……。
「んじゃな」
「じゃねー。あ、あと、結婚おめでとう」
「おう」
「ありがとう、稲藤くん」
最後まで神妙な顔をしていた稲藤と別れてから、俺たちは千葉へ帰るべく総武線に乗り込んだ。帰省ラッシュなのかかなり混雑していて、二人してドアのそばに立つ。
「そういえば、私もその朝比奈ちゃんって子に会いたいわね」
電車に乗り込むなり、橘はそんなことを言い出した。
「え?」
「ほら、ネックレスのお礼もしたいし」
暑苦しい朝比奈と、涼し気な橘。言うなれば、太陽と北風。
対称的過ぎて、あんまり合わない気もするが……。いや、そんなこともないか。
「まあ、機会があれば、な」
「そう? 楽しみにしてるわね」
だんだんと鄙びていく車窓に切り取られた景色に、少しだけ心が安らぐ。
どうしても、都会は排他的で冷たい。だからこそ、余計に橘みたいな存在を欲したのかもしれない。
……ガタン。
「あっ、ちょ」
「お、おい……」
懐かしの千葉に思いを馳せていると、急に電車が大きくカーブして、橘が真横のサラリーマンに押し退けられてしまった。よろけた彼女の身体を、横にいた俺がなんとか支える。というか抱きつかれている。
「大丈夫か?」
「ええ……ごめんなさい」
人の熱気が充満した車内でも、確かに左半身に人の温もりを感じる。しかし、厚着していることもあって、感触なんて伝わるはずもない。まあ、感じたしても、何も思わないけどな。
「あら、恥ずかしがらないのね」
体勢を立て直した橘は少し残念そうにつぶやく。お前さては最初からそれが狙いだったろ。
「俺だってもうそんなに子供じゃない」
「おかしいわね、生放送の時はすぐ赤くなってたのに」
「ばっ……」
確かにあの時は橘に腕を抱かれ照れたのもあるが、どっちかというとあの大胆な台詞に照れたんだよな……。
────私、この人と結婚するの
「ま、朝比奈のスキンシップでそういうのはだいぶ耐性ついた」
「なんだ、つまんないわね」
「それは良かった」
そんないつも通りの、高校から変わらないようなやりとりをしながら、俺たちは役所へ向かった。
別になんてことはない。俺たちの関係は別に何も変わらないのだ。同じ家に住んでいたって、一つ屋根の下で寝食を共にしたって、俺たちの関係は、これ以上でもこれ以下でもないのだ。
ただ、名前が変わるだけ────。
「まあでも、一応寝室は別にしような」
「そうね、寝込み襲われたら嫌だもの」
「その心配するなら暮らせないだろ……」
寒さが肌を刺すような、年の瀬も近い今日この頃。
十二月二十七日。
今日は俺たちの、結婚記念日だ。
どんな暮らしが始まるのかは、まだ誰も知らない。
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