4 ひともムジナもおなじ穴(9)

「あらあら、まあまあ、思っていたとおり素敵なカフェね」


 広瀬川沿いのレトロなカフェに入って、深雪は嬉しげな声を上げた。

 彼女が行きたいと希望していた店で、喜んだ様子にあやねはほっとする。

 あれから、あやねは深雪と、太白は太郎とで二手に別れた。

 いったんふたりを離して話を聞いて、落ち着かせてから、合流する予定。集合場所は、東北大学キャンパス内のカフェだ。

 川を見下ろすテラス席を深雪は選んだ。うっそうと緑が生い茂って蒸し暑いが、かわからの風は涼しいし、緑のおかげで陽射しはさえぎられて心地がいい。


「いいわね、ゆったりした気持ちになるわ……でも、ごめんなさいね」


 パンケーキセットを頼むと、深雪は川面を眺めて申し訳なさそうにいった。


「わたくしたちが揉めてばかりだから、いやな気持ちになったでしょう。あのひととはね、もう結婚したときからこんなふうよ」

「いえ、いやというか……せっかくの旅行ですのに、もったいないなって」

「そうよねえ。久しぶりの国内旅行で、あのひとの故郷に来たのに」


 はあ、と深く吐息する深雪に、あやねは尋ねる。


「四十年以上もお戻りにならなかったのに、どうして今回仙台へ?」

「あのひとが、自分が生まれた土地を見せたいっていったのよ」


 涼し気な川面から、深雪は目を落とす。


「でも、旅行前にもっと話し合えばよかったわ。いつもはいい合いしても、結局はあのひとが折れてくれるから、それが当たり前になっていたのかもね。だけど今回はやけに頑固だから、わたくしも意固地になってしまって」

「でも最後は折れるなら、深雪さんのこと大事に想ってらっしゃるんですね」

「そうね。わたくしを追いかけて横浜へきてくれたし、妖かしなのに、外見の歳をわたしに合わせてくれるの。化けるのが得意なムジナらしいでしょう」


 ふふ、と深雪は笑う。

 あやねは当てられた。なんというベタ惚れぶり。


「でも、少し寂しいわね」

「……なにが、でしょう」

「人間が歳を取るのは当たり前でしょう。なのに、歳を取らない妖かしが外見だけ合わせてくれるなんて、そのままじゃ釣り合わないと思われているみたいで」


 茶化す口調だが、そのまなざしはやはり寂しげだった。


「正直にその気持ちを、太郎さんにお伝えしようと思わないんですか」

「だって、あのひとの好意を無下にしたくないもの。でもあなたは、歳が離れていくことなんか気にしちゃ駄目よ。喧嘩しようと、心がつながっていたらだいじょうぶ。もっとも、太白さんて喧嘩するような方には見えないけれど」


〝わたくしはともかく、あなたは隠居なんてする歳じゃないでしょう……〟


 深雪の言葉と、そのあとの太郎の哀しげな目を思い出す。

 相手を思いやる気持ちは、どちらも同じだ。だけど微妙にズレている。

 それに……なんとなく、深雪の答えは、答えになっていない気がした。


「あの、東北大に太郎氏がこだわるのはなにか理由があるんでしょうか。すごく行きたがってらっしゃるようですが」

「ああ、ふふ、それはね、たぶん、わたくしと出会った場所だからかしら」


 深雪は懐かしそうな目で答えた。


「わたくしが二十二になる年に、家族旅行で仙台を訪れたの。昭和五十年のことね。そのとき、かの有名な中国人思想家・じんが学んだ階段教室を見学にきたのよ。でも、広いキャンパスで家族とはぐれてしまって。そこで出会ったの」


 テラスのテーブルに木漏れ陽が落ちる。雨風にさらされていろせた木の天板に置かれた水のグラスは、緑を透かして輝いていた。


「一緒に家族を探してくれたわ。お礼に連絡先を交換して、せっせと文通して、ある日彼が横浜に移り住んで、それで結婚したの。おそらく、人間と結婚することを一族から反対されたのね。だからずっと帰省しなかったんじゃないかしら」


 そこに注文の品がきた。赤いベリーソースが美しいパンケーキだ。


「さあ、食べましょう。美味しそうね、ソースが緑に映えて素敵よ」


 深雪はナイフを取り上げ、嬉しそうに食べ始める。

 あやねも食べるが、微妙に焦点の合わない深雪の言動が気になって喉を上手く通らない。なぜ太郎は、自分が生まれた土地を見せたかったのか。

 切りのいい記念日ならともかく、四十二周年では半端な数字だ。ほかになにか理由があるのか。

 今日の立沢夫妻の言動を思い返し、違和感の根っこを探る。

 思い当たるものはあった。だが決定打には欠けた。


(太白さんのほうは、どうなのかな)


 深雪に断ってあやねはトイレに行くふりをして、太白にメッセージを送る。彼らは一足先に、タクシーで東北大のカフェに到着しているはずだ。


『離したのがよかったですね。頭が冷えて反省されているようです』


 太白の返事にあやねはほっとする。深雪の様子を伝え、それから訊いた。


『どうして太郎さんは仙台旅行をしようと思ったんでしょう。機会はいくらでもあったはずなのに、なぜいまなのかなって』

『僕もそこが引っかかりました。太郎氏に尋ねましたが、どうもいいにくそうでした。なにか、隠している気がします』

『深雪さんからもはっきりした答えはなかったです。隠しているというより、むしろどこか、焦点がぼやけているみたいな……』

『歳星が、夫妻の情報をもっと持っている可能性があります。教育係だったとき、彼はいつもすべてを開示せず、こちらの推察力や観察力を測っていました。僕らを試すために、黙っていてもおかしくない。これから訊いてみようかと』

『いえ、待ってください』


 あやねは制止した。


『もしかしたらご夫妻には、繊細な理由があるのかもしれません。みだりに他人が触れたり、暴いたりしてはいけない理由が』

『と、いうと』


 太白の問いに、あやねは自分の考えをメッセージで送る。


『……なるほど。たしかに考えられる話です』

『深雪さんの真意を、太郎さんに伝えられればいいんでしょうけれど。でも、深雪さん自身は太郎さんの善意を無下にしたくないといっていました』

『では、どちらを幸せにすれば、満足いただけると思いますか』


 問われて、あやねは考え込む。


『深雪さん、でしょうか』

『はい、僕もそう思います。しかしそれにはどうすればよいか』


 双方のメッセージを送る手が止まる。あまりやり取りが長引いて、不審がられても困る。あやねは懸命に頭を振り絞って考えた。

 思いついたことがあった。しかし素人考えのような気がした。

 ええい、なるようになれ、太白さんならきっと笑わないはずだと、あやねはメッセージを送る。


『〝結界〟って、どうやって作るんですか?』

『結界? なぜ……いえ、あやねさんなら考えがあっての問いですね』


 さすが太白は馬鹿な話と一蹴しなかった。あやねは自分の考えを説明する。


『了解しました。急ぎ準備しましょう。それまで深雪さんを引き止めておいてくれますか。準備が終わりましたら、すぐに電話で連絡を入れます』

『はい、よろしくお願いします』


 上手くいきますように、と祈る気持ちであやねは会話を終えた。



【次回更新は、2019年12月11日(水)】

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