下戸の幸


 光田と町田は今日も青野鍼灸院の待合に座っている。ただ、いつもと違うのは大きな身体を縮めて二人はピタリとくっ付いている。

 手は太ももに挟み、肩を竦めて時が過ぎるのをひたすら待っている。これは決して攻撃から身を守るためではない。もうすぐ来るであろう組長に後で殺されないためのだ。うちの組長は半年に一度の組合総会に出席中だ。メールを送っておいたのでもうすぐこちらに到着するはずだ……。


 バーンッ!


「……どういう事だ」


 組長がいつもよりもヤクザらしい黒の光沢のあるスーツに青のサングラスをかけている。この姿で歩いていれば間違いなく他人とは目が合わない、透明人間になれること間違いない。メールで詳細は言いづらかったので簡単に【先生がマズイです。院内にて待つ】とだけ送信した。


「やだん、くみちょ」


 町田が返事をする前に待合の椅子の角に長白衣の幸が真っ赤な顔して三角座りをしている。組長を指差して子供のように無邪気に笑っている。


「……先生、昼間から酔って──」

「ノンノンノンノン、ブブー違います」


 完全に酔っ払いの絡み方だ。

待合のソファーでいい年した男共が身を寄せ合う姿に目をやると盛大な溜息をつく。


「触れてません」

「全く視界にも入れてません」


「いや、何があったか先言うべき時じゃねぇか?」


 待合のテーブルにはまむし酒と書かれた瓶が置かれている。確かこれは生きたマムシを入れて漬けるため、かなり度数が高かったはずだ。まさかこれを飲んだのか?


「なんだって先生にこんなもん飲ませたんだ……」


「田舎の母ちゃんから送ってきたんですけど、夏バテに効くって聞いて先生に持ってきたんですけど……下戸だったみたいで」


 幸はソファーの手摺を「凝ってますねぇ」と必死で揉んでいる。


「飲めないって言うからじゃあ一口だけって……そしたら……」


 光田がちらりと幸に目をやるとそれに気付いた幸が嬉しそうに光田に近づき太腿にポスッと座る。光田が声にならない声を上げる。まるでソファーになりきったように動かない。


「お父さんみたいだー」


「あ、ははは、お父さんを殺す気かい、降りなさい」


 光田の大根役者ぶりを組長が腕を組み青いサングラス越しに睨む。危険を察知した町田が巻き込まれてはいけないとソファーからこっそり逃げ出そうとする。そこを見逃さなかった幸が後ろから羽交い締めにする。町田の頭を愛おしそうに撫でる。


「うー、待ってジョン……お散歩行くの?」


「あはは、それは今日生まれ変わる僕の名前かな?あはは」


 どうやら飼っていた犬の名前らしい。毛が有る無しは関係ないようだ。町田の乾いた笑いが院内に響き渡る。

 大きなため息のあと、組長が幸の腕を取り自分の方へと引き寄せる。


「先生、いいかげんにしないと俺も限界だ」


 機嫌の悪い組長の声に幸が両手で頰を優しく包む。そのままサングラスをゆっくりと外すとなぜか微笑む。無垢な笑顔につられて笑ってしまいそうだ。


「くみちょ、脱がしてあげます」

「はい?」


 経験値が高いはずの組長の顔が真っ赤になる。自分から言ったりしたりするのとは違い逆に幸から来られるとは想定外でうまく反応できない。


 町田と光田は意外な組長の反応に笑いを堪えて出て行った。


「いや、俺は──」

「いい胸板ねぇ」


 幸はスーツのボタンに手をかけするすると脱がして行く。下に着ていた白いシャツのボタンを三つほど外すとなぜか不機嫌そうに口を尖らす。


「ムダにエロい」


 いや、いいじゃねぇかエロいほうが。とは言えない。俺としてはこんなオイシイ事はない。先生がなぜかやる気満々だなんて最高だ。女に脱がされる行為は今までやらせた事などないが、先生は別だ。不器用な手つきで一生懸命する姿に下半身がさっきから疼いて仕方がない。どんどん触れて欲しくなる。


「できましたよー」


 幸がシャツのボタンを全部外し終わると嬉しそうに組長の手を取りベッドへうつ伏せに寝かせる。


「お疲れ様ですー」


 うすうす感じていたがいつも通りの展開に期待はずれの組長だが、こんな状況で体を案じてくれていることに思わず声を出して笑う。


「可愛いヤツ」


 ドサッ


 背中に急に重みが来る。幸がそのまま背中に抱きつく形で寝てしまったようだ。幸の柔らかな髪が横っ腹を擦るのがわかる。ゆっくりと組長が仰向けになると幸の体を自分の上に乗せる。


「先生、酒はもう俺のないところで飲んじゃダメだな──」


 髪で隠れた顔が見えるように髪を搔きあげ耳にかけてやる。白い肌に紅葉した頰が情事をした後のようで年甲斐もなく鼓動が速くなる。

 そのまま隠すように抱きしめると組長は目を閉じた。


 そのあと幸が酔いから覚め、あたかも自分が脱がして押し倒したかのようなシチュエーションに気づく。顔色が青から赤、赤から青と信号のように変わるのをニヤニヤとしてみる組長の姿があった。幸はもう一滴も酒を飲むまいと心に誓った。

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