#3.追いつめたらネクロノミコン

「ハァ……ハァ……ここまでくれば……」


「そうはいかないんだよ、おじょうちゃん」


「はっ」



 やる気の起きない彼女が、ぞんざいに追っかけた結果、行きついたのは礼拝堂だった。


 4歳女児が、あわれにも棺桶にすがって泣いた。


 彼のピーターソンの棺桶だろう。



「かみさま、おゆるしください」



 4歳児にしては流ちょうな祈りをささげると、まっさきに彼女の正面につっこんで、だがしかし、オリハルコンの鎧を着た彼女のはらわたをえぐることはできなかった。



「初めからいい子にしていれば、ヤケドしなくてすむんだよ」



 ていうか、焼けたカーテンが目に入ったので、そんなセリフが飛び出したんだろう。


 彼女のアドリブ力は、普段そんなに働かない。


 しかもそのカーテンの下に置かれたクッションのそばには、魔術関連のしるしのついた、絵本が落ちていた。



「おそれいったね。4歳でネクロノミコンを完成させられるとは」



 4歳女児はじりじりと後ずさった。



「どうしたのかな?」



 気がつけば、用心深く、距離をとられていた。



 幼女は唱える。


「おめぐみを……かみさまのおめぐみを。わたしたちにおめぐみを……」






「我慢できねぇ。ガキがぁ!」



 一方、ラピッドソンのほうは、ネクロノミコンでよみがえった、ピーターソンに対峙していた。



『おかげさまで。ボクはあんたのエサだったとはね』



 そういう1歳男児のピーターソンの目つきは猛禽のそれだった。



『もう一人の相方さんには、もう会えないよ』



 だが、ラピッドソンは吐き捨てる。



「試すんじゃねーよ」



 1歳男児が、ラピッドソンに仲間がいることを警戒している。



「油断禁物」



 お互いに、思った。






 礼拝堂とは反対に位置する、幼稚舎では、ろくでもない霊がたむろしていた。


 本来それらを強化、吸収してたたかう、ラピッドソンであったが……ピーターソンがそれを阻害した。


 言葉に形容しがたい声音を吐いたのだ。



「おい、せっかくの獲物が逃げたではないか」


『ボクのせいにしないでよ』



 猛禽の狙い定めた鋭い目で、1歳男児は、ラピッドソンを捕らえるしぐさをした。



『ためしてやろうかなぁ……』


「治癒術式……?」



 遊具室の中に放られていた、絵本を開くと、そこには魔術式の説明書きがあった。



「……と。まあ、さいしょは、にんげんいがいのものでも、OKです。……しんだメダカとか、ケガしちゃったネコとか、しにかけたイヌだとか……」



 なんだこれは、とつぶやくラピッドソン。



「ちゃんとネクロノミコンになってるな……」



 基本から学べばこうなるであろう、というところの知識からなっていた、その本の著者は気が知れないと思った。


 あきらかに幼児のためのネクロノミコン。


 やさしい気持ちを利用した悪魔の書物。



「小学生からのネクロノミコンに、幼稚園児が触れると危ないな」


「昔っから、そうなんだから。ラピッドソンは」



 追いつめておきながら、とどめを刺さない。


 たとえ相手が死人であっても。


 その心臓に杭を打ち込むのは4歳女児を柱に括りつけて、駆けつけた彼女の役目だった。



「ネクロノミコン完成させる小学生もこわいけど、治癒術式と同じ条件で展開する術式もあぶない。いっそ、ほっとこう」



 ラピッドソンが、会社の損害を訴えるが、彼女は反駁した。



「くやしいけど、それとこれとは別。治癒術式って、ぴちぴちした子供のほうが、ずうっとおもしろいものなのよね」



 そう言って、ぐっと体勢を低くした。



 ようし、正面から行ってダメだったら……そのときは。



「正面突破よ。ラピッドソン」


「正面突破だと。オイ、つくづく正気を疑う発想をしているな」


 うーっせ! 時間がねぇ。正面突破できなきゃ、裏面はもっと難しいんだよっ。


「頭を働かせと言っている。それが役目だろうが」



 礼拝堂前の柱に括られている4歳女児が、か細く通る声で訴える。



「やめて」



 神への祈りとは別の不吉さを持った、震え声だった。






 いつでもこい、という顔で1歳男児が不遜に笑んでいる。



「オイ、正面突破できなかったら、どうするのだ」


「できるできないの問題じゃない。わが術式が正面突破できないとなれば、防御結界が何重にも張られてる証拠だ。しぶしぶ帰るしかない」



 あたりだよ、とピーターソンの唇が動いた。


 それと同時に、四方から干からびた人の腕が何本も飛び出てきて、彼の体を空中へ持ち上げた。


 哄笑――1歳男児のそれとは思えないほどの、悪辣さに満ちた。



 彼女はうっかり本音のほうを言ってしまった。



「もー、引き返すしかないっ」


「ミイラか。ゾンビよりマシな存在だ」


「相手は死人! 手も足も出ないっ」


「ミイラはゾンビよりもいきがいい。防腐剤が使われている」



 うるさくわめきながら、彼女は風に涙を払う。



「ミイラがゾンビよりマシだという証拠はあるのっ。それは貴重な意見だなあって、そんなわけあるかいっ。潔く撤退しよう」


「我慢できないのか。オイ、丸出し阿呆が我慢できないということは、ボクのいい加減につきあわされた時間を返せば、ちゃんと助けてやる」


「なるほど? ってわけにいくかいっ」



 おまえに手はあるのか、となけなしの信頼を寄せてみるが、反応ははかばかしくない。


 ラピッドソンは手のひらを天井に向け、肩をすくめて見せた。



「笑わせる。あとで何とでも言え」



 あとで息をしていたらね!



「ああっ、会話にならないなぁっ」



 彼女は普段は皆無なアドリブ力で術式を展開した。



「昇華結界! ホーリーウェーヴ!!」


「緊張するな、丸出しとんま。ボクは死なん」


「正直言っていい? 話が長いっ」










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