第24話 皇太子の別の顔



 六華は脳内で竜宮の見取り図を展開する。

 竜宮でもっとも安全な場所は、一番隊が守護している、竜の一族が生活をしている後宮だ。

 ならばそこに向かうのが最善だろう。


「後宮へ向かいます!」


 六華たちは皇太子が入ってきた扉を開けて、廊下へと飛び出した。

 だが後宮に続くはずの長い廊下は、足元もおぼつかない漆黒の闇が広がっていた。


「停電のようだな」

「だとしても非常用バッテリーが作動するはずですが……おかしいですね」


 六華はそう答えながら、天井、左右、そして廊下の奥をじっと見つめる。


(静かすぎる……)


 あやかしの出現はもう関係各所へと伝わっているはずだ。

 助けが来るまでは自分が皇太子両殿下を護るしかないのだが、この静けさはどこか不穏な空気をはらんでいる。

 やみ雲に進んでは危険だと、六華の野生の勘が告げていた。


 六華はふうっと息を吐くと、珊瑚の鞘を握る指に力をこめ、親指で鍔つばを押し上げる。鯉口からはばきが外れカチッと音が鳴る。

 右手で柄を握り、鞘から刀身を引き抜き振り返った。


「殿下、まずは私が露払いを。珊瑚の鞘を置いていきます」

「結界だな」

「はい」


 珊瑚は竜人の刀鍛冶が打ったひと振りだ。

 漆の上に金と銀の粉をまき、さらに透明な漆を重ねて透かせて見せる。

 その美しさは飾りではなく、刀身だけでなく鞘にも魔を退ける力を持たせるのだ。


「五分経って私が戻らなければ、引き返してください」


 戻るのも危険だが、進むよりはましなはずだ。


「あいわかった」


 璃緋斗はしっかりとうなずいた。

 六華は闇の中に一歩を踏み出す。


「術式――視界。展開」


 六華の唇がその言葉を紡ぐと当時に、六華のはしばみ色の瞳の虹彩が猫のように広がる。瞳孔を広げて光を取り込むのだ。

 おかげで真っ暗闇だった廊下は、暗視スコープを装着したレベルまで明るくなった。

 目視できる範囲に異常は感じられない。


「よし」


 六華は珊瑚を握る指に力をこめ、ドレスのまま駆け出していた。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 六華はいんの気を切り捨てていく。

 ためらう暇などない。走り、視界に入れば即、刃を突きたてるか、袈裟懸けさがけに切る。

 だいたいが一メートルほどの大きさで、モヤモヤと漂って怪しいが切れば消える、そんな存在だ。


(やっぱり普通の『陰の気』は、この程度の大きさだ)


 だがぬえと呼ばれたあやかしは違った。

 もっと凶悪な、物質として存在する何かに見えた。そうでなければ防護壁を破るのは不可能だろう。

 あれはどういう物理法則で存在しているのだろうか。


 六華はそんなことを考えながら、珊瑚をふるい続ける。

 十ほど切り続けていると、空気が軽くなった。それからブィーンと駆動音がして、天井の明かりがパチパチと音を立てた。

 同時に、遠くから人の声が聞こえてくる。

 どうやら電気が復旧したようだ。


(なんだか拍子抜けだけれど……)


 六華は目を閉じ、瞳にかけていた術式を解くと、くるりと踵を返す。


「殿下!」

「早かったな」

「はいっ!」


 五分と言ったがそれより早く戻ってこれて六華はほっとした。

 皇太子の周りには黒を基調にした隊服姿の男たちが数人控えていた。

 顔が見えないよう、薄い布を額から垂らしている。


(顔を隠してるってことは、二番隊かな)


 一番隊は後宮を護り、二番隊は陰陽道おんみょうどうを司つかさどり、三番隊は竜宮全体の治安を守る。

 二番隊はめったに表に姿を現さないという。六華だって見たのは初めてだった。


(めずらしいこともある……)


 六華は皇太子の前にひざまずき、彼から抜身の鞘を受け取った。


「おい、女。殿下たちを置き去りにするなど、言語道断だぞ」


 少し険のある声で、二番隊の一員らしき男が六華を見下ろす。

 思ったより若い声だった。

 自分と同じくらいか、年下かもしれない。

 陰陽道は術式のようなテクニカルの力ではなく、いわば本人の資質に左右される。霊能力が非常に高く、陰陽師は国内でも数百人程度しかそんざいない。

 この国で一番陰陽道に通じる人間を集める部隊にいるということは、彼は相当なエリートなのだろう。


「申し訳ありません」


 そう言われるのは分かっていた。

 六華は鞘に珊瑚をおさめながら、また頭を下げる。

 だが青年は許す気はないようだ。


「謝って済む問題ではない。貴様の行動は罰則を受けるに値する」


 ひざまずいたまま頭を下げる六華に、さらに詰め寄った。


(罰則……?)


 胸の奥がひやりとする。

 皇太子の安全を脅かした罪で、除隊になるかもしれないということだ。


(いやだ……それだけは絶対に……困る!)


 除隊になってしまえば、双葉を護れない。

 そして――。

 脳裏に大河の顔が浮かぶ。


(もう、彼に会えなくなってしまう……)


 そう思うと、涙が出そうになるが、泣くわけにはいかないと、六華は唇をかみしめる。


「彼女を責めるな。そうするしかなかった」

「殿下……」


 六華は顔を上げる。

 目が合うと、璃緋斗はにっこりとほほ笑んだ。


(守るべき方に守ってもらってしまった……)


 六華はありがたいやら恥ずかしいやらだが、青年はまだ納得しないらしい。


「ですが……!」


 と、声を上げようとした瞬間。


「――安全になってのこのこやってきた貴様らが、俺に意見するか?」


 押さえた声で、璃緋斗がささやいた。


 絶望が、恐怖が、音になればこんな風に響くのだろうか。

 その声を聞いた瞬間、ひざまずいていた六華も、その他、その場にいた者全員の呼吸が、ほんの数秒停止する。


「――出過ぎた真似をいたしました」


 青年は声を絞り出し、その場にひざまずく。

 ちらりと横目で見てみれば、彼のこめかみあたりからしとりと、汗が流れ落ちていた。


(殿下の一言で、空気が変わった)


 美しく、穏やかで虫も殺さなさそうなのに、陰陽師おんみょうじをたった一言で打ちのめす。

 皇太子の底知れなさに、六華もやはり竜種とはこういうものなのだと、感じいるしかなかった。


「六華。こちらへ」


 璃緋斗に名前を呼ばれて立ち上がる。

 彼はまだ腕に双葉を抱いていた。どうやらほかの人間に姉を任せるつもりはないようだ。


(お姉ちゃん、大事にしてもらえてるんだね……よかった)


 話せなかったのは残念だが、今はこれでいい。

 顔を近づける気配を感じ、六華は慌てて皇太子に身を寄せる。すると長身の体を少し折り曲げるようにして、彼は六華の耳元でささやいた。


「――リンを、頼む」

「え……」


 リン?


「では参ろうか」


 璃緋斗は目を丸くする六華からすいっと体を離し、明るくなった後宮の奥へとスタスタと歩き始めた。


「あっ、お待ちくださいっ……」


 ひざまずいていた陰陽師たちが慌ててその背中を追いかける。


(リンって……久我大河の……)


 なぜ皇太子がその名を知っているのだろう。

 不思議でたまらないが、確かめるのはあとだ。

 今は大河のもとに一刻も早くいかなければ。


「術式――脚力。展開」


 六華のすらりと伸びた足に力がみなぎる。

 珊瑚をしっかりと左手に握りしめ、元来た廊下を全速力で走りだしていた。


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