第7話 望まぬ愛から身を守る

 魔女集会の翌日と翌々日は美波は店を臨時休業としていた。集会はただのお喋りや情報交換の場となる可能性もあるし、今回のように大きなまじないをする場にもなる。

 やはりまじないすると疲労が溜まるために、翌日店を開けていて何かしらのまじないの依頼を受けるとさらに疲れが出てしまう。だから念を入れて翌々日まで休みを取っておいた。


「それにしても、公園の精霊力が弱るなんてなにかあるのかしら?」


 店の開店準備をしながら美波は呟いた。

 南池袋公園は新設公園とは言えども元々も公園であり、それなりに草木が生える力はあったはず。新設されて広大な芝植えになり、風通しもいい緑地になったのになぜ?


 そのうち調べてみるかと思った矢先、店の扉がノックされた。

 ガラス戸の向こうには、20代前半くらいの深刻な面持ちの女性が立っていた。

 美波が鍵をはずして扉を開けると、彼女は深々と頭を下げた。


「開店前なのに済みません。ちょっと時間が今しかなくて……」


 この様子だとまじないの依頼だろう。


「構わないですよ。どうぞ」


 美波は店内に招き入れてカウンター席に座らせた。彼女の深刻そうな面持ちからその依頼内容を想像した美波は、内容を訊ねる前にカップを用意した。


「ハーブティーは飲めますか?」


「は? え? ああ、どうだろう。市販の簡単なものなら飲んだことがありますけど……」


「好き嫌いがありますから、無理そうなら飲まなくてもいいですよ。お薦めがあるんで、まずはこちらをどうぞ」


 美波はポットにバレリアンのハーブを入れ、よく抽出してからカップに注ぎ、女性の前に差し出した。

 バレリアンは鎮静作用・精神安定作用に優れ、恐れや不安を抱いている時に飲むとよいとされている。感情を落ち着かせる作用があり、世界中で不眠症対策に用いられていた。ただし、沈静作用の薬を処方されている人は医師の指導が必要となるので注意しなければならない。


「なんか……落ち着く香りですね……」


「バレリアンといいます。多分、今の貴女にはお薦めのハーブだと思いますよ」


「そうですか……。憶えておきます」


「それで、どんなご相談ですか?」


 美波に促されて彼女は恐縮したように身を縮こまらせた。


「私……山中比奈って言います。今年の春に大学を出て今の会社に入ったんですが……そこの上司とちょっと……」


「ちょっと……どうかしましたか?」


「その人は結婚している人なんですが、事あるごとにベタベタしてきて、その……なんて言うか不倫を迫ってくるような感じで……」


「まだ関係を持ったわけじゃない?」


「それは……まだです」


「そう……」


 美波は口元に手を当てて少しの間考え込んだ。

 意に沿わない相手を退けるまじないはあるが、大した強制力があるわけじゃない。どちらかというと補助的な作用であり、本人が流されてしまっては効果を発揮できるものではない。


「変えるものは、まずは貴女の中にあると思うので、ちょっと色々な提案があるんだけど……」


「おいくらですか?」


「5千円です」


 恐る恐るという感じで訊いてきた比奈は、その金額を聞いてホッとしたようだった。


「それなら大丈夫です。もっと取られるのかと思ってました」


「霊感商法みたいなものだしね」


 美波の苦情に比奈も同じような苦笑を浮かべた。


「占い師さんに話を聞いてもらっても、かなり取られましたし……」


 なるほど……と美波は頷いた。恐らく、比奈はすでにあちこちの占い師などを回ってきていて、それでも解決に繋がらないから、美波の所にやってきたのだろう。


「まず、貴女を望まぬロマンスから守るおまじないがあります」


 そう言って一度カウンターの奥の引き出しの棚の前に美波は戻り、いくつかの引き出しを出して比奈の前に戻った。


「関係が終わったと思うまで、このコットンボールにこちらのホワイトカンファーのエッセンシャルオイルを1、2滴かけて、ブラの左胸に入れてください」


「ブラの中にですか?」


「そうです。毎日変えてください。コットンボールは化粧用のコットンパフでも大丈夫です」


 そう説明して小さなコットンボールを14個と、ホワイトカンファーのエッセンシャルオイルが入った小瓶を比奈の前に差し出した。


「ここからは、貴女を変えるまじないになります」


「私を……変える?」


 首を傾げた比奈に美波は頷いて説明を続けた。


「不倫の誘いから身を守るには、当人の意志が重要な力となります。だから、貴女の意志の力を強めるまじないをお教えしますね」


 そう言って美波が差し出したのは、ハーブが入った小瓶だった。


「これはカモミールとミントをミックスしたハーブティーです。どちらも勇気を高め、回復してくれるハーブと言われています。1日1杯を目安に飲んでください」


「1日1杯ですね」


「あとは、ここにはないのですが、そこの花屋で購入出来るので、こちらの花を揃えて部屋に飾ってください」


「は、はい」


 美波が差し出したメモにはローズマリー、ネトル、ヤロウの名前が並んでいた。


「これらで作ったブーケをガラスの花瓶に生けて、朝出かける前と寝る前に見て、『私に勇気をください』と祈ってください」


「はい!」


 比奈の顔つきは店に入ってきた時と比べてかなり明るいものとなっていた。恐らく、道標となるものが出来て沈んでいた気持ちが浮上したせいだろう。

 もうすでにまじないが効果を発揮しはじめているように見えた。科学的にはプラシーボ効果と言うかもしれないが、そこに導く力としてまじないは重要な役割を持っていた。

 よく『いわしの頭も信心しだい』とオカルトをバカにする人がいるが、大した薬物に頼らずに信心で物事が解決に向かうなら越したことはない。


 店を出て行く比奈を見送り、美波は開店準備に戻った。


「さて、ミス・モリー。お店をオープンしますか」


 店の片隅で比奈とのやり取りを見ていたモリーは、ミャウと返事をして窓辺の定位置に陣取った。


 ウィッチハウス、ちょっとした休暇から本日開店。

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