ウェインライト神経窟(3)
首のない大魔女が跳ね起きて、両手を前に突き出す。
「【
恐ろしいちからを秘めた巨大な理力放射光が、偽物のマリオンの両手のひらで青白く輝いた。渦巻く破壊の奔流は、堅牢な城壁も打ち砕くだろう。
対してアリソンは、ごく初歩的な〝矢〟の呪文を手短に詠唱し、素早く激発した。
「【
光の矢は軽く疾く飛び、マリオンの右胸にめり込み、ばちんと弾けた。痛痒はさほど大きくないが、対敵をよろめかせ、恐るべき詠唱を中断させる程度の威力はある。
「む」
マリオンがうめき、体勢を立て直し、詠唱を再会しようとする。
その頃にはもう、アリソンの杖には次の矢が装填されている。
「【
ばちん!
光矢がマリオンの膝頭を打つ。マリオンは尻もちをついて、その場にすっ転んだ。
アリソンは次の詠唱を終え、杖先に次の矢を番えている。
「【
ばちん!
光矢がマリオンの右肩で弾ける。
アリソンの矢はすでに装填されている。
あとはその繰り返しだった。無慈悲な警吏の鞭打ち刑のように、雨あられと矢が射出される。マリオンはほとんど身じろぎもできず、めった打ちにされるがままだった。
偉大なる魔女マリオンは、いにしえの時代の魔女なれば、近代の魔女のいくさのやり方を知らない。
マリオンが知るのは、まだ魔女たちが無数の派閥に別れ、小さな島国で小競り合いを繰り返していたころの戦いかただ。お互いがお互いの研究と修練を誇示するように、こぞって大魔法を撃ち合っていた時代。敵を城ごと真っ平にし、あたり一面を業火の海に変えるようなそれは、近代の魔女からすれば、ある意味であまりにも牧歌的に映る。
騎士の国との大いくさ。魔女の戦闘教義を一変させたその戦い以降、破壊力を追求した大魔術は戦場の主役でなくなり、初歩的な〝矢〟や〝槍〟に取って代わられた。アダマンティンの重鋼を纏いなお、獣のように疾駆する騎士たちは、野戦でのんびり呪文を唱え終わるのを待ってはくれなかったからだ。
箒で空中を飛び回り、的を絞らせないのであればいざ知らず、地に足を付けての魔術戦で、ただ強大なだけの魔術を詠唱するのは自殺行為に近い。ことさら、鎧も着ていない女の子を撃つのに、物置から大砲を引っ張り出してくる必要はどこにもないのだ。マリオンはそれを知らなかった。
数十発の〝矢〟を撃ち込まれ、マリオンが全く動けなくなったのを確認してから、アリソンはようやく息をついた。
マリオンの姿はほとんどぼろ雑巾に近く、手足の判別すらつかない。只人であれば、もう息絶えているに違いなかった。けれどアリソンは油断せず、その亡骸を注視する。
「なるほど……」アリソンの背後でマリオンの声がした。「そういう感じか」
反射的にアリソンは跳びすさり、勢いのまま後ろを振り返る。同時に杖先を向けるも、対敵のほうが一歩速い。
「【
「【
アリソンが唱えたのは、知り得る術理の中で最も短いものだった。魔術発生のゼロ座標、杖先に灯るのは光膜の盾。
障壁で光矢を防ぐやいなや、アリソンは狙いを絞らせないようにじぐざぐに走り、立方構造体の影に滑り込むように身を隠す。
今度はどういう不条理だろう。
一瞬の攻防にアリソンが見たのは、五体満足のマリオンだった。燃えるような赤髪に褐色の肌、金色の瞳。ぼろを纏った半裸の女は、すっかり元通りの身体でぴんぴんしている。
思考を巡らせるアリソンに、遮蔽越しにマリオンが声を投げかけた。
「なかなかお転婆で困るね、我が母胎。もっとも、気の強い女ほどしつけ甲斐があるのも事実だが」
嗜虐的なもの言いに、アリソンは答えなかった。代わりに遮蔽の陰から手だけを出して、上品に中指を立てる。
遮蔽物の向こう側、愉快そうに笑う声を聞きながら、アリソンは目を閉じて、一見場違いの術理を唱えた。
「【
〝灯り〟の呪文だ。淡く柔らかな光を灯した杖先を高く掲げ、アリソンは更に詠唱する。
「【
発理に呼応して、何重にも重ねられた〝灯り〟が急激に強さを増し、小型の太陽に似た光を爆発的にぶちまける。
「ぎゃあ!」
アリソンは目を閉じたまま、遮蔽の陰から猟犬の速さで飛び出して、光に視界を焼かれ、両手で眼を覆うマリオンに飛びかかった。そのまま馬乗りになり、至近から〝矢〟の術理を叩き込む。
何度生き返ったって関係ない。
アリソンはそう思った。
思った瞬間、後頭部を固い金属で殴りつけられたような衝撃が襲った。
アリソンは反射的に、まだ見ぬ攻撃の正体と、その追撃から逃れるようにごろごろと地面を転がった。膝立ちになって、ひゅっと短く息を整える。自慢の金色の髪にはべったりと血液が付着していたけれど、そんなものを気に掛けている暇はなかった。
アリソンの目の前には、マリオンがふたり並んで立っていた。片方のマリオンは右の眼窩から血を流している。先ほど〝矢〟を打ち込んだほうのマリオンだ。そちらのマリオンが小さく悪態をつき、もうひとりのマリオンがにやにや顔でなだめている。こちらがアリソンを背後から撃ったのだろう。
アリソンは闘志を込めて、ふたりをにらみつける。けれど、ふたりのマリオンは、正確には四人いた。たった今、四人になった。
灰色の床に、真っ黒な、油のような、人ひとりがちょうど収まるくらいの沼が、ぽつり、ぽつりと点在していた。
そのひとつひとつから、次々とマリオン・ウェインライトが産み落とされている。
四人が八人になり、八人が十六人になった。その全てのマリオンが、湿った金色の眼でアリソンを見つめて言った。
「「「くそがきめ」」」
危機を感じたアリソンは後ずさろうとして、急に膝が抜けるのを感じた。力の入らない身体とは裏腹に、高速回転する思考は瞬時にその原因を理解する。
マリオンに
いかにアリソンの卓越した演算能力をもってしても、その負荷は無視できるものではない。アリソンは、マリオンの狡猾な手管に辟易した。
「【
アリソンはゆるゆると手を伸ばし、〝矢〟の呪文を詠唱しようとしたけれど、すかさず無数のマリオンのうちのひとりに杖をはたき落とされてしまう。別のマリオンの手が伸びてきて、アリソンの綺麗な金髪を掴み、引きずり回した。マリオンのうちのひとりがアリソンに馬乗りになり、更に別のマリオンが腕を掴んで地面に縫い付ける。全員のマリオンが、嗜虐心に染まった不快な笑顔を浮かべていた。
「「「我が母胎」」」と、マリオンたちが言った。「「「きみは本になるんだ」」」
マリオンのひとりが人差し指を立てて、動けないアリソンの右目を指差した。形の良い爪がコール・タールのつららとなって、ゆっくりと垂れるように、じわじわと伸びてゆく。
「ならない」
アリソンは決然と言い返した。
「なるもんですか」
増え続けるマリオンのせいで、身体にはもう全く力が入らなかったけれど、アリソンは負けたなんて微塵も考えていなかった。これから負けるつもりだって、全くなかった。
「わたしは、わたしの身体は、わたし自身のものよ。絶対に、誰にも奪わせない。……本にしたいなら、試してみなさいよ。わたしは、誰かに勝手にわたしをこじ開けさせたりはしない。絶対によ」
恐ろしい予感に震える心に蓋をして、マリオンたちをにらみつけたそのとき、どお、と風が吹いた。
白くくすんだ、紫色の風だ。
ひとかたまりの風はマリオンたちの間を自由にすり抜けて、それから言った。
『よく言った。アリソン・セラエノ・シュリュズベリー』
燃えるような匂いの、声だった。
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