36 懺悔と鈴の音


夏になり、ちらほらと風鈴の音が聞こえるようになりました。


ガラス製の風鈴は見た目が涼やかで美しいですが、私は、チリーンと儚げな音を鳴らす鉄製の方が好みであります。



暑いこの季節に聞く風鈴の音は心地よく、すすんで聞きたくなりますが、

私はこの音を聞くと、少し胸が締め付けられる思いがします。



今回は私の思い出話、いや、懺悔に付き合っていただけたら幸いです。






入社して3年目。



私が働く老人ホームに、

Aさんという男性が入居されました。



その方は、なんでも昔、スナックのマスターをしていたとかで、

会話がとても面白く、飄々と根に持たない性格で、利用者さんだけでなく職員からも慕われる素敵な方でした。




掴みどころはないけれど、

自分の意思をはっきり持っていた彼は、

人としての魅力に溢れていたので、

人気が出るのも頷けました。




ただ、Aさんのフェイスシート(その人の基本情報をまとめたもの。)にある、

『家族とは絶縁状態にある。』という言葉が、

彼の人生は決して平坦なものではなかったと、

静かに教えてくれたのです。





Aさんの入浴介助に入った際、

彼がぽつりと、

「俺はこのまま、一人きりで死ぬんか。」

という言葉が、心に張り付きました。



普段は快活でいらっしゃるから、

余計にその悲しげな表情が印象に残りました。



未熟者だった私は、気の利いた言葉もかけられず、ただ黙って、

シャワーの音で聞こえなかった、

というふりをすることしか出来ませんでした。




彼を傷つけることなく、寂しさに寄り添うにはどうしたら良いか…。


足りない頭で考えだした結果は、

毎日会話をするようにしたり、カラオケのイベントにそれとなく誘うということだけ。



Aさんが他人と交流することに対し、

どんな気持ちでいたのかは分かりません。


ただ、夏に実施した大規模なイベントで

みんなと一緒に作った、

ペットボトルと小さな鈴で出来た風鈴を、

部屋の前に飾ってくださったのは、

彼にとって良い思い出となったからではないかと、私は思っています。





Aさんとの別れは突然訪れました。



夜間に突然体調を崩したため、病院に搬送されたのです。




Aさんが居なくなった後のフロアは

雰囲気が暗くなり、

スタッフ達はいつも心配していました。



お見舞いの許可が出たので、

上司から病室を教えていただき、

仕事終わりにAさんの入院先に向かいました。




病室に入ると、

彼はベッドで仰向けになって寝ていました。



思っていたよりも顔色がよく、

安堵したのを覚えています。



調子はどうですか?なんて会話を

少しした帰り際、

Aさんに「また来るね。元気になって戻ってきてね。」と声をかけると、

「おーう。」とAさんらしく軽い感じで返事があり、久々に聞いた声に笑みがこぼれました。





ある日、私が遅番という勤務で、

夜中の23時まで残業をしていた時のことです。



さあ、そろそろ帰ろうかなと、パソコンを打つのを止めて、立ち上がった私の耳に、

ある音が聞こえてきました。




チリリン。


チリーン。




静かな夜のフロアに響く、

高く細い鈴の音です。




いったいどこから、と見渡し息をのみました。





Aさんの部屋の前に飾ってある風鈴が、

誰かにベロを引っ張られているかのように

躍動しているのです。



私がそれを見つけてから、

鈴はより一層激しく鳴りはじめました。


下手したら、その音で利用者さんが目覚めてしまうのではないかと思う程の音です。





ちりりりりりん。


ちりっちりりりりりん。





エアコンの風が当たっているせいかと思いましたが、風鈴の動きは、風の向きに逆らうものでした。



激しさを増す風鈴の動きと音に恐怖した私は、慌ててその場から立ち去り帰宅しました。







数日後。


Aさんが病院で亡くなったという訃報を聞きました。




悲しみに浸る中、Aさんと仲が良かったパートさんから、こんなことを聞きました。




「お見舞い、私も行ったんだ。その時には大分体力がおちていてさ。私がお見舞いを行った二日後ぐらいに、Aさん、意識が失くなったって。」




彼女の話と照らし合わせて分かったのですが、

Aさんの部屋の風鈴が鳴った日は丁度、

Aさんの意識が失くなった日と同じ日でした。





私は、偶然かもしれないこの一致に、

ショックを受けました。




鈴が鳴った遅番の日の翌日は休日で、

特に用事がありませんでした。



行こうと思えばお見舞いに行けたのに、

私は怠慢して行かなかったのです。

行くことができたのに。



「俺は一人きりで死ぬんか。」

Aさんがそう言っていたのを聞いていたのに。




一人を嘆く彼に

「また来るね。」なんて約束を一方的にして、

それを破ったのも私でした。




あの風鈴がAさんからのサインだとしたら、

私はそれに気づかず、無視をしてしまったのです。




気づかなくてごめん。


一人にしてごめん。


そんな後悔が今も渦巻いています。





家族と何があったかはしらないけれど、

私はAさんのことが大好きだよ。



あの入浴の日に戻れたら、

Aさんに伝えたい言葉です。






悔やんでも悔やみきれない、

そして、約束を守れなかったという罪の意識が、

風鈴の美しい音色を聞くと思い出され、

その度に私はAさんを思い出して懺悔するのです。






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