第7話 ドライヤー



洗面台の前、若い女性がドライヤーで髪を乾かしていた。

肩までの長さの茶髪から水滴がぽとぽとと滴り落ちている。


1人暮らしのその部屋、ドライヤーの音だけが響く。



( 最近美容院行ってないな。色抜けてきた気がする。

 うわ!枝毛出来てる。嫌だわ~。)



髪の毛を手ですきながら気にしているようだが、触り方や乾かし方は少し乱暴である。



( めっちゃ、腕疲れるんだけど。重すぎ。早く乾かないかな。)



雑誌に載っていた、髪が綺麗になると評判のそのドライヤーは、しっかりしたつくりで大きく重いようだ。


買ったばかりで高いからこそ良いものだと言い聞かせてきたが、重さだけはごまかせない。


前に使っていた扱いやすい安物を思い出すが、あれは風力が弱く乾かしにくかったと打ち消す。




( 最近出費すごいな。コスメもちょうどなくなったから新しく買って。

加奈子の結婚式もあったし。あー結婚いいな。ていうか結婚式がいいな。

結婚生活は面倒っぽいから無理だけど。ドレスとか着てみたい。)




ドライヤーを反対の手に持ちかえる。




( 周りの結婚多いな。24歳ってまだまだ若いと思ってたけど。なんか焦る。まだまだ遊んでたいけど・・・。)



反対の髪はまだ濡れていて指どおりが悪い。




(由美も彼氏出来たって言ってたな。あの子、彼氏出来たらそっち優先になるんだよね。

遊びに誘っても断られるかな。しばらくカラオケ一人で行くか。

てか、髪、全然乾かないんだけど。)




ブーッブーッ



(えっ、やだ、びっくりした。)



風呂場に置き忘れたスマートフォンが、

折り畳み式の風呂蓋の上で振動しSNSの通知を知らせている。



固い素材の蓋とこすれるその音は大きく、

密室の浴室で余計に響き、

ドライヤーをしていても聞こえる。



スイッチを止めてから

定位置のフックに引っかけて、右手を伸ばす。


そのままの勢いで浴室のドアを押し開けた。



上向きにした画面の左上、

通知LEDの青が眩しく点滅している。



すでに乾いている浴室の床へ素足で踏み入り取り上げて、

慣れた手つきで数字を入力しロックを解除すれば、くだんの由美からのメッセージが表示される。


少し目を通して一言返信すると、洗面台の棚に置いた。



フックからドライヤーを取り外し、

スイッチを限界まで押し上げて先ほどよりも強い風をおこす。


濡れた髪はなびきもせず、水滴を落とすばかり。




ブーッブーッ




まだドライヤーのスイッチを入れて数秒である。


無視をすればいいのに、彼女はまたスイッチを切ってスマートフォンを手に取った。


そして、ロック画面を解除しようとした時である。


彼女の指が止まった。



(え?お風呂から出てもう2時間も経ってるの!?)



友人とメッセージのやり取りをしながらの入浴だった。


最後に見た画面で時間は把握している。

22時半だった。



今、画面に表示された時間は0時45分。

あれから2時間と15分も時間が経っているのだ。



(嘘、その間ずっと髪乾かしてたでしょ!?)




左手で髪を握りこむと、じわあっと水がにじみ出る。

その水が指の間から染み出て手の甲を伝う。



(なんで髪、乾いてないの・・・?)



ぽたっ



突然のことに思わず固まる彼女の身体。

つむじあたりに、水滴が一つ落ちてきたのである。



(雨漏りってやつ?)



彼女は恐る恐る天井を見上げた。



(え?)



天井に貼られた白いクロスが円状に広がるようにゆわんっと波打っている。



その様はまるで水紋だ。




呆気にとられ動けぬ彼女。



その目が大きく見開かれた。

指の間からスマートフォンがすり抜けて床に落ちてゴトンっと鈍い音を立てる。




水紋の中央に、妙な凹凸が浮き出てきた。


次第にその形と輪郭がはっきりとする。



目を閉じた、見知らぬ女の顔面だ。




白い壁紙からぬーっと引き伸びるように出てきたその顔は、

血の気の通っていない灰色がかった肌で、

じっとりと濡れている。



その顔にべたりとうねる黒い髪が張り付いていた。



その顔についた水滴は、

顔の中央、鼻先に集まり大きな粒となって

ぽたり、と彼女の右頬に落ちた。



「ぃっ・・・!」



恐怖のあまり失敗した呼吸。


息が吸えない代わりに喉笛を奥へと引き込んだようで、

奇異な音を発してしまった。




ぴくっと女の眉が動く。



浮き出たその顔は、ゆっくり、ゆっくりと

近づいてくる。



同時に、閉じられた瞼が少しずつ開き始めた。




その目は普通の目の大きさまで開かれたのだが、瞼を開くのをやめない。



いや、瞼を開いているわけではない。

白目のない黒い眼球がどんどんとせり出てきているのだ。



周りを取り囲む瞼の皮はめくれていき、

本来は見えるはずのない瞼の裏側の粘膜が引き出されてしまっている。



顔の三分の一ほど大きく、飛び出てしまった黒い真ん丸の目。



妙な光沢があり、まるで蜘蛛のようである。




女の顔は20センチメートルのところで

ぴたりと止まると

薄い紫色の唇を弓なりに釣り上げて、

にたあっと笑った。






「いやああああああ!」




逃げようとしたが体がうまく動かずにその場にしりもちをついてしまった。




その間、視線は逸らさなかった。




しかし、しりもちの衝撃で瞼を薄くつむったその一瞬の間に不気味な女は消えていたのである。




目からは涙が溢れてくる。

だらしなくよだれも出てきた。



しかし、彼女にはそれをぬぐう余裕もない。




床に落ちているスマートフォンを見つけると飛びかかり、

震える両手で握りしめ、胸の前に引き寄せた。



何とかロックを解除し、アドレス帳にある親友の電話番号をタップして耳に押し当てる。



『もしもし?なにぃ?』

「は・・・は・・・。」

『え?なに?どうしたの?』

「さ、さ、さや?」

『え、そうだけど。え?マジでどうしたの?』




親友の声が聞こえてほっとしたのか、

彼女は顔をくしゃくしゃにゆがめて

絞られた喉から鼻にぬける、

ううーっという細い声を出した後、

戸惑う友人にすがった。




「ごめんけど、家に来てほしい・・・!」




やっとの思いでその言葉を放ったあと、

嗚咽と涙がこみあげてしまい、もう話すことが出来なくなってしまった。




『え?え?どうしたの、美伽!?大丈夫?』




静かな部屋に彼女の号哭ごうこくが響き渡る。




彼女の髪はまだ、濡れたままだった。




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