六〇歳のHさんとサーフィン
以前五十八歳から三十年年振りにサーフィンを始めたタクシーの配車係のHさんを紹介した。
その人のサーフィンに対する頑張りは行くたびに脱帽だった。
ただ、板の上に毎度立てないのと、固定の給料をもらっているにもかかわらず、セコイことを伝えたはず。
その人と二〇一七年の九月初旬、一年二ケ月ぶりにサーフィンへ行った。
なぜ一年二ケ月振りかというと、酔ったぼくがメールで暴言を吐いてしまい、こっちから願い下げてしまった。あとから後悔の念がじわじわとわいていた。Hさんは、いままで指導ありがとう、とメモ付きの四リットル入りの焼酎二十度をアパートのドアノブへ袋で引っ掛けてあるではないか。
Hさんからすれば、大金をはたいたことだ。千五百円はするので、その十倍に感じとるのではないか。
その四リットルを返そうとしたら、受けとらないという。といっても焼酎に目がない自分だ。結局一滴も残さず飲んでしまった。
それからというものの、ラインでメールしても返信はなかった。
もしかすると絶縁状態になったのかと、ぼくは自然と感じとっていた。
Hさんは二〇一七年の二月で六十歳となるので退職と聞いていた。 その後はタクシードライバーへ戻りたいと以前から話していた。
そんなころにメールをしたけれど、再度返信はなかった。
元気でサーフィンやっているのかな、ボードへ立てるようになったのかな、と再会した安倍川の河口へ行くたびに、Hさんの顔を浮かべていた。
二〇一七年の九月に入ったころ、ラインへ着信のマークがついている。だれかと思えばHさんだった。たぶん押し間違えだろうと思った。以前も何度と押し間違えている。
返信はないだろうけど、とりあえず文字を入れた。
『サーフィンやってる?』と。もしタクシードライバーへの復帰ならば、忙しい金曜の夜だ。当然返信はない。
その思い込みは間違いだった。なんとHさんから返信が来たのだ。
『いま待機に入った。会社の仲間とサーフィンやってるよ……』と。
内容は、二月にタクシードライバーへ戻り、とても嫌だった配車係を降りて、いまは一日置きで同僚とサーフしているという。
そのタクシー会社のドライバーの勤務は、基本的に朝八時から二十四時か二十六時だ。一日で二日分の労働時間である。この勤務に慣れると趣味のある人にはとてもいい。一勤一休で好きなことが出来る。それに月に一度三連休もあり、ぼくのような仕事嫌いにはちょうどよかった。
ぼくもよくサーフへ行った。でも毎度行くわけではない。波ない日は図書館へ引きこもり執筆をしていた。
どうもHさんの場合、一日置きに海へ行くらしい。五十八歳での再会からあれから二年以上はたつ。相当なサーフ好き六十歳オヤジではないか。それだけでも感心してしまう。
ぼくは車を売ってしまい、行きたいときにレンタカーを借りればいいと思っていた。でもいざ借りようとすると面倒になってしまった。なぜかというと、自転車でレンタカー屋で借りる。そして自宅へ戻りサーフ道具を積む。海で滑り、帰宅すると道具を下ろしガソリンを入れてレンタカー屋へ返却。そして自転車で帰宅する。
この工程が面倒に思った。波がある日は、河口を見るだけで満足としていた。
Hさんはラインへ変なメールが来るのでやめていたらしい。それに会社の人へラインをやっていないことになっていた。やっているといえば、既読など返さないとならないからだろう。
数時間たつとHさんからこんなメールが来た。
『またサーフィン行こう、いつ行ける?』と。こんな感じで彼は一日置きに同僚仲間と行っているようだ。Hさんへ暴言メールをしたというのに、彼から誘ってきた。とても性格はいい人なので、気にしていないのだろう。
明日の土曜、行けることを伝えると時間の確認をし、とうとう一年二ケ月振りにサーフィンの約束をした。
台風の接近で波の問題はない。Hさんはどれほど板に立てるのかを観察したかった。それにバイクで転んだことや、電動自転車を乗ったこと、裁判の傍聴など積もる話もあった。
翌朝、食パンかなくスーパーへ買いに行く。帰れば以前のように食パンでマヨネーズパンを二人分作った。貧相な昼飯は当たり前だった。
そしてサーフ道具の用意をし、あとは九時に到着するのを待つだけだった。
昨夜は二十六時に終わり、帰宅は深夜三時に近いし、寝るのだって早朝四時ごろではないか。ぼくがそうだったし、寝ないでサーフのときもあった。彼の睡眠時間は三、四時間のはず。
すると九時前、ジャカンと鉄板の音。この音はタイヤが踏むと鳴る、駐車場の排水溝の鉄板で部屋にいても聞こえる。
まるで恋人が来たかのように、ぼくは玄関へ急いだ。そして開けるとゴールド色の車が入った。ドアが開くと、
「元気だった?」
ぼくの一言目。
「元気だったよ、おれさボードオーダーしたんだ……」
開口一番にとんでもないことをいうではないか。
なんと、ケチケチのHさんがボードを作った? 既製品ではなくオーダーだ。十万以上はする。彼にとっては百万円くらいの値ではないか。
玄関先と駐車場で十分くらい会話している。すると、
「……とにかく車乗ってよ、早く海に行こう」
というので、我を忘れての会話を中断し、サーフ道具を積んだ。
車内の会話は夢中だった。それに驚くことばかり。
「……おれさ同僚と新島へ行ったんだ……」
「……おれさショップへ通ってたら十万でいいからボード作れというので、作ったよ……」
「……おれさカメラ好きの新人へ二度居酒屋におごり、一緒に海へ連れてって河口ポイントで写真撮ってもらい飾ってあるよ……」
耳を疑いたくなるような話しに、ぼくは言葉を詰まらせていた。
Hさんは一年二ケ月の間になにが起きたのだろう。宝くじのナンバーズにでも当たったのか。それか退職金だろうか。
タクシー会社の退職金は、並みの企業と比べ物にならないほど低い。そうHさんから聞いた。
同僚仲間に刺激されたのだろうか。Hさんは、
「……ショートボードだし、あと数年しか出来ないかもしれない。この際オーダーした……」
そうも耳にした。ぼくと一緒のときとはまったく違う心になっている。
やはり仲間が新品を買えば、いつしか自分も欲しくなるという精神になったのだろうか。
ドライバーとなり自由時間が多くなって、『人生は一度っきり悔いのない人生』を実行したのだろう。ぼくも講演会を行ったことがあり、そういう精神を常々みんなへ伝えていた。
車中で話しに花が咲いた状態のまま、最初のポイントの大井川河口からチェックした。予想通りクローズアウトだった。
この日は台風が列島沖をゆっくりと通過している。
「次はシラス……」
と、Hさんも笑みを絶やさずいう。同僚たちと行くのと、ぼくと行く場合のポイントチェックは違うようだ。
「……なぜシラスやヨリコは見なかった?」
シラス工場が近くにあるので、サーファーには『シラス』と伝わっている。
「ロングの人がいるので、三人が合うポイントでやるんだ」
ロングボードは、ハードではなく穏やかな波を好み、ショートボードはハードな掘れた波を好む。
「そうだったの、ぼくと回るのとどっちがいい?」
「んー、浜ちゃんかな」
嬉しいことをいってくれる。なぜだろう、あれだけ暴言も吐いたのに。それにぼくのときはボード上へ立てなかったのに……。
そして河口、静波、別の河口などチェックする。台風でクローズ状態が多かった。そして相良を観察すると、多くのサーファーが浮かんでいた。
「Hさん、ここだね」
と、彼は小刻みにうなずいてサイドブレーキを引いた。
波は常時胸ほどあり、もっとも大きいと頭近くはある。Hさんはさっそうと着替えている。この波でも大丈夫かな、と彼を思った。
テイクオフを失敗すれば、巻き込む波の相良ビーチだ。といってもぼくも一年二カ月振りで、この波へ乗れるのだろうか、と不安気味。
ぼくの着替えの手順を忘れ遅かった。Hさんは余裕で着替え終わり、オーダーしたフィンが五個もあるかっこいいブルーのボードを抱え波を見ている。どう見てもサーファーだ。
ぼくのボードといえば、黄ばんだ初心者ボード。だれが見てもHさんのほうがベテランに見える。
隣の湘南ナンバーのサーファーが海から戻って来た。
Hさんが初心者のぼくを連れて来たと思うはず。そんな貫ろくも出ている。
ボードへうつ伏せになり、いざパドルアウト。
この日腰がとても痛かったが、彼のテイクオフをどうしても見届けたかった。
Hさんはすんなりと沖へ出た。自分のほうが波をくらいドルフィンスルーにまごついた。一年もやらないと、こんなにも波を越すのがつらいのかと、Hさんより遅く沖へ出たころ、息を上げていた。
彼のパドルはだいぶ早くなっている。相当、通ったこともわかる。
それになんといってもやる気を感じさせる。
ぼくにちょうどいい波が来た。だがテイクオフに失敗し、波の餌食となった。
掘れて巻く波だ。このような波をHさんはテイクオフ出来るのか。
若いサーファーも多く、ぼくのような初老はなかなか波をとることが出来ない。
Hさんもそのようだが、何度もテイクオフを仕向けていた。
ぼくは河口出身なため、パドルをせずに身体を波に押してもらう方法をよくやった。それは河口のみ出来る楽な技だった。ビーチは押してくれず確実なパドルを要求される。一年のブランクと持病のせいか、腰から悲鳴が聞こえてきた。
そんなときちょうどいい波が来た。ぼくは全霊を込めパドルした。
なんとか乗った。だがボードを動かすことは出来ない。一本乗ったので、岸辺で満足となったときだった。
Hさんがテイクオフをした。そのとき二羽のウミネコが彼の頭上を横切る。ぼくはボード抱え、目を凝らしていた。ウミネコを追いかけるように左へ滑っているではないか。
それは一年二カ月前の彼とはまったく違った。
ぼくは、
「おっ、おー、おー、すごい!」
と、未確認飛行物体を目の前で見てしまったかのように叫んでいた。あれだけテイクオフの練習をしたHさん。
ボードから手が放れず、陸上競技のトラックを走る際、『位置について』や『用意』というときのクラウチングスタートの格好を毎回沖から見ていた。
それがだ。すんなり手を放し、掘れたグーフィー波をテイクオフしたではないか。還暦を迎えてショートボードに乗る人はそういない。それはオアフ島のハイプラインを滑っているかのようだ。
目を疑うとはこのことだった。腹ばいでよって来たHさんへ声を掛けた。
「凄かったよ。やったね、もう立てるんだ」
彼は、
「見てくれた、見てくれた!」
と、無邪気な少年のように声を張っていた。
「見た見た、ビックリした。もう完ぺきだよ」
「ほんと、あれでよかった?」
興奮したHさんは目を丸めていう。立ち上がり輝くブルーのボードを抱えた。ぼくも黄ばんだボードを抱えている。
「いいよ、こんな掘れたハードな波をテイクオフしたんだよ。ぼくでもつらかったし……」
小さな波の相良海岸にサーファーはいない。Hさんと二人だけで入ったときは何度とあった。『今度こそ立てる!』と何度も声を掛けた。立てないと首を捻るHさんだ。でも自信を失うということはなかった。
きょうはどこのポイントもクローズ状態で入ることが出来ない。
それで相良ビーチともう一箇所のポイントに集中している。土曜で海も混雑している。人をかき分けての彼のテイクオフは、ぼくも本当に嬉しかった。
もう、なにもアドバイスはいらなかった。タクシードライバーとなった半年間、一日置きに海へ入ったことで、よりHさんを成長させたに違いない。ぼくとの行動より同僚仲間と出掛けたことで、刺激され、いつのまに昔の感が目覚めたのだろう。
普通は衰える人間の身体だ。還暦なのに、掘れる難しい台風波のテイクオフだ。知らぬ間に中級サーファーとなっていた。
そして他のポイントもウエットをきたまま回った。もう一箇所の波の小さいところで少しサーフした。Hさんの満足の表情はいただけなかった。
ぼくは掘れた波のテイクオフを見ただけで満足だった。それ以上の要求はない。その一本を見ただけですべてわかる。
帰り際はストレッチの話しなどを聞いた。かなり身体に負担を掛けているのではないか。ストレッチ、ジョギング、サーフィン。六十歳とは思えないHさん。サーフをやめようとしていたぼくと対照的だった。ただその年を考えれば、睡眠をとってほどほどにサーフをしてほしい。
この土曜日、還暦サーファーのHさんからは、多大なるガッツな精神をもらった。
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