ROGUE-MEN

オリーブドラブ

ROGUE-MEN

 微かな焼け跡から滲む、灰の臭い。その爪痕を色濃く残した景色が見下ろす中で、1人の少女が虚ろな眼差しで、自分を覆い尽くさんと取り囲む兵士達を仰いでいた。

 生気のない瞳に映る下卑た笑みに、嫌悪感を示す余力もなく。彼女は為すがままに、彼らの手で組み伏せられようとしている。


 自分がこれから辿る運命を悟り、いかなる抵抗も無意味と教え込まれた彼女は、ただ黙して全てが終わる瞬間を待ちわびた。


「――!?」


 だが。彼女が恐れ、兵士達が期待していた「その時」は――始まりさえ、しなかったのである。

 焼け焦げた家屋の残骸が散らばる、この終戦から間もない、とある町に。けたたましい排気音と砂埃を巻き上げながら、「彼ら」がやって来たのだ。


 茶色く錆び付いた、九七式側車付自動二輪車。その二輪バイク側車サイドカーに座している2人の男達は、カーキ色の軍服に袖を通しつつも、手袋や鉄帽テッパチは連合軍将兵のものを装着している。

 恐らくは、奪ったものをそのまま使っているのだろう。航空兵用のゴーグルと手拭いで顔を隠し、純白のマフラーを靡かせる彼らは――全く減速する気配もなく、ただ真っ直ぐに兵士達の群れに突っ込んでいく。


Shitシィット!」

ROGUEローグ-MENメン!」


 ――「ならず者の男達ローグメン」。彼らをそう吐き捨てる米兵達は、少女から離れると回避に徹し、二輪車の追突から逃れるべく散開する。

 咄嗟に飛び出した彼らが、態勢を立て直した頃には――ならず者と呼ばれる男達も、すでに愛車を乗り捨て拳を構えていた。


Dieダイ――!?」


 兵士達が小銃ガーランドの先を向けるよりも、遥かにはやく。地を駆ける豹の如く、彼らの拳が牙を剥いた。

 抉りこむように腰を捻り、突き出された拳先が顎を打ち抜き。そのたった1発が、兵士達の平衡感覚を崩壊させる。


Ohオゥ――!」


 膝から崩れ落ちていく彼らの頬を、横薙ぎに打ち据える回し蹴りが――その意識を刈り取る「とどめ」であった。


「……っ」


 数秒、にも及ばぬ刹那の決着。それを間近で目の当たりにした少女は――貞操が守られた喜びも、乱れた着物を直すことも忘れ、ただ息を飲んでいる。


 近頃、この辺りで度々目撃されている謎の復員兵。米兵と日本兵の装備を混ぜたような格好と――白いマフラーが特徴である彼らは。

 占領地である沖縄で横暴を繰り返す、兵士達の間で噂になっている、いわば「都市伝説」のような存在であった。


 無力な民間人に乱暴を働く者を見れば、どこからともなく現れて。嵐のように戦っては、悪さをする米兵達を1人残らず蹴散らして、風のように去っていく。

 ――そんな御伽噺のような噂の正体は、確かに少女の前に現れていたのだ。


一竜院いちりゅういん、今日で何件目になる」

「10から先は数えてねぇな。それに、数が減ってりゃいいって問題でもねぇだろ? 本城ほんじょう

「……そうだな」


 二輪バイクに跨る本城という、寡黙な男と。側車サイドカーに乗り込む一竜院という、飄々とした男。

 互いの名を呼び合う彼らは、やがて少女の方へと振り返り――ゴーグルをずらすと、僅かに覗く切れ目の眼差しで彼女を見遣る。


「……大丈夫だ。こんな時代、いつかは終わる。未来あしたは、来る」

「俺達に終わらせる力はねぇが……終わる日が来るまで、堪えることは出来る。だから嬢ちゃんも、もうちょいとだけ待っててくれや」


 すると。どこか遠くで、また悲鳴が聞こえる。その叫びを耳にした彼らは、それだけを少女に言い残して。

 九七式のエンジンを再び噴かせると、次の「標的」に向かい走り出していく。去りゆく彼らの背を見送り、ようやく自分の格好に気づいた少女は、顔を赤らめながら着物を直していた。


「……ローグ、メン」


 そして、米兵達が口にしていた彼らの名を、呟きながら。彼女は徐々に、その瞳に生気を取り戻していく。


 それは1946年、ある日の昼下がりに起きた出来事であった。


 ◇


「――それで。沖縄に駐留していた当時の連合軍将兵から、ROGUEローグ-MENメンと呼ばれていた復員兵達は、どうなったのでしょうか」

「分かりませんねぇ。故郷ふるさとが還って来る日まで、彼らの噂は絶えませんでしたが……そこから先は、ぱたりと話を聞かなくなりまして」

「そうですか……本城さんと一竜院さん、でしたね。出来れば、一度彼らにもお会いしたいところだったのですが、残念です」

「もしかすると……今も彼らは、御健在かも知れませんよ。私はその時、14歳でしたが……ゴーグルから見えた彼らの目付きも、とても若々しくて。18か19、くらいに見えました」

「……!」

「彼らがまだ、生きていらっしゃるのであれば。あの日と同じ、眼差しでいらっしゃるのなら。きっと、今は――」


 ◇


 2011年、東日本大震災。その惨劇の爪痕は、地震や津波が過ぎ去った後により深く浮き彫りとなり、人々の不安も絶えず広がり続けていた。

 そのさなか、国民を守るべく立ち上がった自衛隊だけでなく、かつて敵対していた米国までもが動き出し、復興という一つの目標に集い始まった「トモダチ作戦」。その巨大な支援の輪に始まる、国境も歴史も越えた救いの手が、次々と差し伸べられていた。


 それらの一つである、有志のボランティアとして。とある2人の老人が、被災者達が集まる場で炊き出しを行っていた。


 とうに齢80を過ぎた身とは思えぬほどの、逞しい肉体の持ち主である彼らは。

 学徒動員された元特攻隊員でありながら、終戦まで一度も飛べず、生き恥を晒し、今日まで生き永らえてきた彼らは。


 マスクも装備もない、ただの老人として。かつて銃を握っていた、傷だらけの手に――暖かい椀を乗せていた。

 鋭くも優しげな、あの日と変わらない眼差しのままで。


「おじーちゃん、ありがと! いただきまーすっ!」

「おうっ、たーんと食いなっ! まだまだあるからよっ!」

「すみません、こんな大変な時に……本当に、何とお礼を言えば……」

「……気にするな。こんな時代、いつかは――」


 ◇


「――大丈夫ですよ。今は辛い時代ですが、いつかは終わります。未来あしたは、来ます」

「……」

「私達に終わらせる力はないかも知れません。しかし、終わるまで堪えることは出来ます。彼らは最後に、それを教えてくれました」

「……はい。この度は貴重なお話、ありがとうございました」

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