024:ワタシにできることを。


 《寝てしまいましたね、ユウナ》


 家に着き、クローゼットに魔剣レーヴァテインを投げ捨てるようにしまい、優奈はすぐに寝てしまった。

 あれほどの死闘をしたのだ。

 スキルで肉体的には回復していても、精神的な疲労までは取り除けない。

 

 《壁を登るときはヒヤヒヤしました》

 

 魔剣を咥え、アパートの壁をぺたぺたと登り自室のベランダへと向かう。

 言葉にすればこれだけなのだが、それは体長60cmほどの生物からしたらもはや偉業と言えた。

 幾多もの人間と魔物を狩り、ステータスが向上していなければ絶対に不可能であったことだろう。


 《……ユウナと共にいるのは……たの、楽し……い? 嬉しい? それとも……愉快? どれが相応しい言葉なのでしょうか。ですが、一つだけわかります。コレはやはり───『感情』なのですね》


 実のところ、つぐみにとっての優奈の第一印象はさほどいいものではなかった。


 『非常に劣った生物』


 それが、つぐみが優奈に下した最初の判断だ。

 物事を合理的に判断できず、一つの事柄に対し無駄な思考を延々と繰り返す。

 なんの意味もない行為だ。


 だが、この原因は明らかだった。

 優奈という生物には思考に乱れを生じさせる致命的な欠陥があるのだ。

 

 それが後に判る───感情である。


 《愚かなのは、ワタシの方だったのですね》


 確かに感情は不安定で厄介なものだ。

 その考えは今でも変わらない。

 だが、それを差し引いても感情には無限の可能性がある。

 優奈を見ていればよくわかる。

 感情があるからこそ悩み、考え、そして進化するのだ。


 優奈は日々進化している。

 スキルなどの外的要因を除いても、どんどん強く、さらなる高みへと自己改変を繰り返している。

 少なくともつぐみはそう考えている。

 これは紛れもなく、感情という不確定要素をもっているからこそ成し得ること。


 それに比べ───


 《ワタシは……》

 

 あの大蛇の魔物に襲われたとき何もできなかった。

 生物的に圧倒的上位存在。

 死ぬしかないと思った。

 しかし、優奈はそれを退けた。


 影から傍観するしかなかったつぐみが感じたのは、途方もない無力感だった。

 自分への失望、落胆、そして挫折。

 今まで感情を持たなかったがゆえに、その全てが初めて感じるもの。


 そして、つぐみが抱く感情はそれだけではなかった。


 《ワタシも……ユウナの役に立ちたい》


 これが最も強烈で抗いようのない感情。

 優奈の役に立ちたい。

 今のままでは不十分だ。

 

 もっと。

 もっともっと。

 もっともっともっと。


 優奈の役に立ちたい。

 だからつぐみは考える。

 自分に何ができるか。

 優奈にできず、自分にできることは何か。

 

 考えて、考えて、考えて───。

 

 疲労することのないつぐみはひたすらに考えた。

 睡眠状態にある優奈のスキルのレベル上げをしながら、考え続けた。


 《……ワタシは……精神寄生生命体。それがユウナとの違い。肉体を持たない。疲労しない。でも、肉体を操作する能力でワタシはユウナに劣る。この方面で役には立てない。ならば……やはり『精神』に関する能力の獲得。これが最も可能性がある。ワタシはユウナの精神に干渉できる。……だったら、ユウナ以外の生物の精神にも干渉できるのではないか?》


 そして、一つの答えにたどり着く。

 

 《寄主と同等に干渉することは恐らく難しい。しかし、何か一つ、何か一つだけ思考を植え付けることはできないか? いや、できる。きっとできる。この方面なら、さらにユウナの役に立てるかもしれない》


 感情を持たないが故に進化も退化もしなかった、停滞しているだけの生物が今動き出した。

 これがどれほど大きな意味を持つのか。

 そして、どれほど恐ろしいことなのか。

 計り知ることはできない。


 《ユウナの能力には偏りがある。肉体の構造的にも。ユウナのみで全て補うのは不可能。ならば───他の生物で補えばいい。他生物の支配。それがいずれ絶対に必要になる。やはりワタシの方針は間違っていない》


 方針は決まった。

 それからつぐみは実験を始める。

 自身の、精神寄生生命体の今まで知りえなかった特性を知るための実験。

 自身の可能性を探る実験と考察である。

 1秒足りとも休むことなくそれらを繰り返す。

 絶え間なく、ひたすら繰り返す。

 

 全ては、優奈の役に立つために。


 その努力が実るのは、今から9時間42分19秒後のことである。

 ユウナが目覚め、トカゲの身体で器用に歯磨きをしているときだった。

 つぐみは一つのスキルを獲得する。



 ───〈眷属化〉



 文字通り、他生物に絶対の上位者であるという認識を植え付け、自らの眷属へとかえるスキルだ。

 これはヴァンパイアの上位種などの一部の魔物しか持ちえない特性スキルであり、本来手に入れられるはずがないのだが、それを意図せず優奈は手に入れてしまったのである。

 つぐみの純然たる努力によって。

 

 ただし、このスキルは万能ではなった。

 他生物を眷属にするためには、満たさなくてはならない数多くの制限が存在したのだ。


 それでもつぐみは嬉しかった。

 このスキルを獲得したとき、優奈がとても驚いてくれたことが嬉しかった。

 ヤバいよつぐみさん、と優奈が言ってくれることが嬉しかった。

 そして何より、これでより一層優奈の役に立てることが嬉しかった。

 

 つぐみは、もっともっと精神干渉スキルを獲得したいと思った。


 優奈が喜んでくれるから。



 ++++++++++



 この〈眷属化〉というスキルこそが、後に人類と魔物の両方から恐れられることとなる『優奈の勢力』の根幹を担った能力である。

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