鉄研でいず!女子高生鉄道研究風雲録・アンコール
米田淳一
第1話 春は別れと出会いの季節
1 始まりと終わりのホーム
平成27年3月12日、まだ春には肌寒いJR大阪駅10番ホーム。
「危ないから! 危ないから押さないでください!」
駅員の叫び。
列車の電源車カニ24の発電ディーゼルの轟音。
出発を待つ機関車EF81のブロアの響き。
これは……入線する新快速の鳴らす警笛?
ホームが騒がしいのはそれだけではない。
定期運転最終の豪華寝台列車『トワイライトエクスプレス』の出発を見送ろうという鉄道ファンでホームはごった返している。
この日本で最も長い距離を走り、日本で最も豪華な設備を誇る人気列車の定期運転終了を最後に一目見たい、写真に収めたいというファンが殺到しているのだ。
そのすさまじい雑踏、人波の中に、
だが、彼女の周りの混雑は、あまりにもひどすぎた。
「お前そのiPad邪魔だよ! でけえiPadで列車撮ってんじゃねーよ!」
「おいっ、オレのレンズケース蹴りやがったのは誰だ!」
「素人はどけよ! 値打ちわかんねーのに前出てんじゃねーよ!」
そんな罵声の応酬があちこちで繰り広げられていた。駅員たちがそれに注意の声を浴びせ、それに対抗してさらに叫ぶものも出て、まさに大混乱である。
列車の横付けされたホームだけでなく、その反対側のホームも雑踏で一般のお客さんの通行も困難になっていて、それを駅員だけでなく警備員が必死に整理している。
列車の車掌室の前では最後の発車合図を撮ろうとまたごった返している。これにはトワイライトエクスプレスの名物車掌と呼ばれるベテランの彼も困惑の色を隠せない。
『寝台特急・トワイライトエクスプレス・札幌行きが発車します。黄色い線の内側にお下がりください』
自動音声の放送に駅員の放送の声が重なるが、雑踏は一向に改善せず、黄色い線より列車側に入り込んだ人の多さが危険でなかなか発車できないでいる。
そこで苛ついたように、先頭の機関車EF81 43の機関士が汽笛を思いっきり鳴らした。すでに発車時刻は過ぎているのだ。しかしそれを別れの惜別の汽笛と勘違いして『ありがとう!』などと声で応じるものもいた。
とうとうその一向に意味をわからない者を駅員が手で押し出して排除し、ようやく、深緑色の客車を10両連ねた豪華寝台列車は動き出した。
列車は独特の軽いジョイント音で銀色の離合する線路をゆき、最後尾のスイート寝台車スロネフ25 502のテールランプの赤色をにじませ、新大阪方面の分岐で揺れながら見えなくなった。
所定の発車時刻11時50分を数分遅延して出発した、大阪から札幌までの1500キロをゆくこの列車の、25年の歴史が終わろうとしている。
*
「あなた、大丈夫?」
雑踏の過ぎ去った後の10番ホーム。
うつむいて涙をこらえていた御波が見上げると、そこには大阪駅のトラス構造の大屋根を背にして、音がしそうなほどキリリとした目鼻立ちの女の子がいた。
「どうしたの?」
彼女は怪訝な顔で御波を見下ろしている。
「……辛くて。私、こんな罵声大会のために、神奈川から新幹線で大阪まできたのかな、って思ったら、もう……」
彼女は、そう言葉を絞り出す御波に、自分のハンカチをすっと渡した。
E6系『こまち』の模様のハンカチだった。
「そうよね。最近の鉄道ファンは暴走してるわよね。迷惑鉄なんて言葉もある。今日はそれでもまだましだったけど、そのうち、鉄道趣味をおおっぴらに楽しめなくなってしまうかも、と思うわ」
しゃくりあげる御波が声を絞り出す。
「それでも、私は、鉄道が好き」
「ええ」
彼女も言った。
「私も鉄道が好き。鉄子だの女子鉄だのじゃなくても。
鉄道が好きなのに男も女もない。
そして、その私たちの鉄道は、ちゃんとここにある!」
彼女は、そう言ってぶら下げた新しいコンパクトデジカメの上の自分の胸をさした。
「『あけぼの』も、『富士』も『はやぶさ』も『瀬戸』も『銀河』も、あの『トワイライトエクスプレス』も、みんな今も、元気にこれからも『ここ』で走ってる!」
御波はその強さを、眩しく、羨ましく思った。
「泣いてばっかりじゃ、せっかくの大阪駅がもったいないわよ。あなたのそのアイドルみたいな顔も!」
「え?」
彼女は心底からのため息を吐いた。
「もう、どうしてこうなのかな! 『自覚症状なく可愛い子』って、すごくお得よね!」
「自覚症状って、私、そんな」
御波は困惑していたが、その髪飾りのチャームが揺れて彼女をより一層可憐に見せる。
「せっかくそんなに可愛いんだから泣き顔はもうなし!」
「そ、そうかなあ」
御波はなおも困惑している。
「でも、トワイライトエクスプレスの最後、見られてよかった」
「見られました? 私、人並みに流されちゃてて、ぜんぜん」
御波はそういいながら涙を拭った。
「ええーっ、それは見なきゃ! そこは見るところでしょ! 『万難を排して』見るところでしょ!」
「でも、そのために人を押しのけちゃったら、私も迷惑鉄になっちゃう」
「……そうよね」
彼女は頷いた。
「みんな、多分こうやって視野が狭くなるから、迷惑鉄が生まれるのね。
あーあ、私もいつのまにか、その一人になっていたのかなあ。ほんと、自己嫌悪」
「ううん、そんなことないわ。一生懸命に見たいものを見る熱意って、素敵」
「え、それ、小学校の先生みたいに力技で褒めてない?」
「いや、それは」
「正直に言っていいのよ。ドン引きした、って」
「え、あ、その。うん」
御波は、まだ涙のひかない目で笑った。
「ドン引きしまくってた!」
「ほら、ようやく言えた! あなた、きっと普段からいらない我慢しすぎなのよ」
そういう彼女の腕のスマートウォッチ、Moto360がアラームを鳴った。
「しまった! すぐに大阪環状線に行かないと次の撮り鉄ネタ撮り逃がしちゃう! せっかく私も新幹線で大阪まで撮り鉄に来たのに! ごめんね!」
彼女は走り出そうとする。
「あ、あの」
「私は今九州も走ってる『ツバメ』。
「葛城御波」
「『かつらぎ・みなみ』ね! どっかで聞いた名前だけど、あとでフェイスブックで検索するわ。じゃあね!」
彼女はそのまま、持ったコンデジの反対の片手をひらひらさせて、大阪駅の大屋根の下のコンコースへ去っていった。
そして、それから春休みを過ぎ、新学期が始まる。
「あ!」「あ!」
御波たちは、あの大阪から遠く離れた、神奈川県・海老名高校の入学式で、再会したのだった。
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