三章 こんにちは花邑家 その1
気がつけば俺はトイレの便座にいた。どうやら相当慌てていたのだろう。リュディ達から逃げ出した後の記憶が綺麗さっぱり抜けている。
「なんか俺最後やばいことしたな」
なんで俺はエロゲ主人公みたいな事をしているんだ。転んで女の子の胸と尻をもんでしまうなんてエロゲの主人公がやるべき事だろう。瀧音幸助のような三枚目がすべきことは、ヒロインにセクハラ発言をしてぶん殴られたり蹴られたりする役だ。でも蹴られたときにめくれたスカートの中をしっかり確認するような男。それが瀧音幸助だったはずだ。
いや、何を考えているんだ俺は。思考を切り替えよう。
助けられたのでよかったのだ、そう思おう。今後色々大変そうではあるが、助けたことに後悔は全くない。あそこで行動しなかったら、この先ずっと、それも死ぬ程後悔していたことだろう。ただし。
「シナリオ、大きく変わるだろうか……」
現時点をゲームで当てはめれば、まだ物語が始まってすらいないのだ。物語が始まるのは入学一日前からだから、あと一週間以上はある。しかし今回俺がした改変は、かなり大きな違いになる可能性がある。
そもそもリュディが登場するのは学園が始まってから少し経過した後だ。彼女が登校してすぐにとあるイベントを発生させ、主人公達と共闘するのだが……はたして彼女は遅れて入学するだろうか。
彼女の入学が遅れた理由は実家の都合となっていたが、十中八九さっきの事件関連だろう。一応事件自体は発生したことだし、遅れて入学はあり得る。
「俺が助けたことが変に影響……する可能性はあるなぁ」
ゲーム内でリュディは、花邑毬乃を崇拝しているところがある。それはゲームでは花邑毬乃が彼女を助けたことに関係があるのは間違いない。もしかしたら直接的な理由ではないかも知れないが、一因になってはいるはずだ。
今回俺が彼女を助けてしまったから、それがどうなるか。最悪学園に入学せずに国へ帰る可能性すらある。リュディはメインヒロインで制作会社のお気に入りの一人であったため、とても強キャラだ。パーティにいればかなり頼りになるのだが。
「まあそれはどうしようもないか……むしろそっちについて考えるより、今後どうするか考えた方が建設的だよな……」
今回の戦いでは色々なことを学んだ。まず対策すべきは俺の弱点だろう。守りにはいった時に、辺りの状況がまったくうかがえなかったことだ。まるで布傘を全方位にかざしたような状態だ。壁を作りながら、視界を確保できるようになれないだろうか。
「普通に考えたら無理なんだけど、ここって魔法世界なんだよな……」
スキルが存在するならば、『心眼』『透視』が有用かもしれない。心眼は先輩に案内されるあの場所で入手できるはずだから、少し試してみるとしよう。
……そうか、運が良ければもう会えるのか。あの先輩に。
さて、次に遠距離攻撃だ。俺の能力は遠距離に弱い。非常に弱い。もともと弱点と解っていたものの、実際の戦闘で遠距離の大切さが身にしみた。弓や銃や手裏剣のような武具を持つのが良いかもしれない。
何が向いているかを学園で確認し、それを伸ばすことに重点を置くか。ただ第三の手と第四の手をある程度マスターしてから別の武器に行こう。中途半端では意味がない。あとの懸念はお金か。
「お金か……ホント失敗したな……」
既にほとんどの金を使ってしまったというのに、一番高かったストールをリュディの所に置いてきてしまった。しかし回収しに行きたくない。
「もしかしたら俺の正体がばれてないかもしれないしな……」
顔にマフラーを巻いていたおかげで顔は見られていないはずだ。この事件を知らなかったことにするか? 無理だ。リュディが学園に入学したら、ばれるのは時間の問題といって良いだろう。俺の戦い方は特殊すぎる。
「なるべくばれないよう、リュディの前では戦わない。これしかないな。いずればれたとき用にどう行動するか考えておこう……」
土下座かな? まあそのとき一緒にストールを返して貰おう。今思えば彼女のスカート代わりにストールを置いてきたが、あそこにはテーブルクロスがあったからそれを巻いて貰っても良かったんじゃないだろうか。今さらだな。
まあ予備のストールは新しい家に送ってるから、なんとかなるか。って。
「あっやばい、今何時だ? 毬乃さんとの集合時間がっ!?」
急いでスマホを取り出して画面を確認する。しかし時間を見ることは出来なかった。
「あ、あれれぇ……おっかしいぞぉ」
買って貰ったばかりのスマホの画面には大きなひびが入っており、電源を押しても液晶は何ら反応を示さなかった。
事件発生からかなり時間が経過し、ホテルスタッフのおかげでなんとか合流できた俺たちは、夕食を食べに行くためホテルが手配したリムジンに揺られながら町を進む。どうやらかなり心配をかけていたようで、会ったときにギュっと抱きしめられた。結構大きい。
「ねえ、幸助君」
俺は窓の外から視線を外し、毬乃さんを見つめる。彼女は真剣な表情で魔法発動補助媒体であろう腕輪に触れていた。その様子ではいつでも魔法が放てそうだ。
「なんですか?」
「爆発した場所の近くに居たといっていたわよね?」
「言いました」
とりあえずホテルで起きたことは話さず、そこだけを話した。全部話せば胸と尻を触ったことを話さなければならない可能性があったから。
「昨日ね、爆発があったお店だけじゃなくて、うちのホテルでテロがあったの……知ってるわよね」
それはもちろん知っている。なんせその場にいたのだから。
「その実行犯は複数名居たのだけれど、そのうち一人の行方が分からなくなってるのは知ってる?」
「えっ? 全員倒したはずじゃ……」
嘘だろ!? 全員捕まえてなかったのか? まだ捕まっていない……ということはどこかに潜伏していた? 俺は二人を置いてその場から逃げたんだぞ。
「二人は無事だったんですか?!」
毬乃さんは目を閉じ首を振る。
「……残念なことに、不審者におっぱいとお尻を触られたらしいわ……」
嘘だろう? 逃げてしまったばかりに、そんな変態に襲われてしまっただなんて………………あれ、手に感触が残っているような。
ふふっと笑う毬乃さんは、いつもの笑顔だった。
「転んだとは聞いているけど、一歩間違えればセクハラよ?」
「すいません」
俺が謝るとコロコロ笑う毬乃さんだったが、やがて「でも……」と言うと笑みを消した。
「実行犯の一人が未だ見つかってないの。もちろん幸助君じゃないわ、襲ってきた彼らの方よ」
「それは…………」
「一応、気をつけてね。それにしても……どうして幸助君はホテルでのことを詳しく説明しなかったの?」
「……怪しい人を勝手に追跡したとか、何も連絡入れず戦闘したとか……わざわざ危険に首を突っ込んだこととか……怒られそうだなって」
「よく分かっているじゃない……」
ニコニコしながら俺の体を引っぱると、両手で頭をぐりぐりされる。それはまったく痛くなかった。
「無茶はしないで私に連絡しなさい! ……でも偉いわ」
彼女はそう言うと、今度はやさしく抱き寄せられ、頭をなでられた。正直恥ずかしい。
「本当にファインプレーだったわ。知ってるかしら、貴方の助けた彼女、トレーフル皇国皇帝の次女なのよ」
「へぇ……ってえぇぇぇえ、うそっっっ!」
と、彼女から離れながら驚いたふりをする。そんなのもちろん知っている。何度エンディングを見たことだろうか。彼女が漬け物が好きなことも知ってるし、目玉焼きには塩胡椒派な事も知っているし、なにより性癖すら知っている。
「ふふ、驚いた?」
「そりゃ驚いたよ、でもそんな重要なこと教えても良いの?」
被害者女性の情報開示。確かにその場にいた俺だから教えて貰ってもいい情報なのかもしれない。しかし話さなくてもいい情報でもある。こちらからは聞くつもりもなかったし、言わなかったらそのまま胸にしまっておくつもりだった。いずれ発覚するだろうが。
「実は話そうかどうか迷ったんだけど……今後を考えて話すことにしたの」
今後、ね。
「どういうこと?」
「まだしっかり決まったことではないから、詳しくはもう少し先に説明するわ……どうやら到着したようね」
車が止まり筋肉質の男性がドアを開けてくれる。俺は開けてくれた彼に礼を言うと、毬乃さんと共に車から降りた。
建物の中に入ると、それはもう豪華絢爛な料理を並べられた。それらの舌鼓を打ち、なぜ俺があの場所にいたか、戦闘後どうしたのかなどを伝える。
「ふうん、なるほどね。それであなたはリュディヴィーヌちゃんのあられもない姿を見た上で、さらには胸をもんでしまったと。運が良かったわね」
「ええ、本当に……ってナニ言わせてんですか!?」
「……本当はわざと触ったとかじゃないわよね?」
「違います!」
ただ、触りたいか触りたくないかで言ったらもちろん触りたいし、土下座程度で触らせてくれるのならばもちろん土下座する。でもアレは事故なのだ。そもそも俺は無理矢理するのは好きじゃない。
「…………本当に故意ではないわよね?」
「違いますよ!」
そう言うと、こわばっていた毬乃さんの表情が氷解し、にこやかな毬乃さんに戻る。
「それなら良かったわ。それで彼女、リュディヴィーヌちゃん達がね、貴方にお礼を言いたいらしいのよ」
「達?」
「貴方が臀部を触ったエルフよ」
確かにその通りだが、その言い方は止めていただきたい。
「……顔を合わせづらいので、間接的に言葉を受け取ったという事で」
「そうも行かないわよ? なにせリュディヴィーヌちゃんはうちの学園に入学する予定なんですからね!」
「えぇー嘘ぉっ?!」
知っている。彼女の美しい美貌、そして得意魔法が風であることで風姫なんて呼ばれたり、LLLというファンクラブが出来ちゃうんだよなぁ。そもそもリュディじゃ無ければ飛び出さなかったかもしれない。……いや、飛び出してたな。
「そうなのよ、どう? 驚いた?」
どうやら演技は上手くいったらしい。毬乃さんは大変満足そうに頷いていた。
「驚いた……同じ学校だったなんて。どうしよう、色々触っちゃったんだけど。顔を合わせづらい……」
「大丈夫よ、あっちもそれを気にしてはいるだろうけれど、怒ってはいないようだったわ。そもそも私はお礼が言いたいと言われたのよ」
まあそうでなきゃ困る。相手側が本気で怒ってて、もし『責任取ってくれ』なんて言われたら切腹レベルの相手だ……なんだろう、急に怖くなってきた。次彼女に会ったら殿下とお呼びした方がよろしかろうか。
まあ、どうせ会うのは早くても学園が始まってからだろう。まだ日にちはある。それまでにいくつか対応を考えておけば良いだけの話だ。こういうのは先送りに限る。
うんうん、と頷きながらお吸い物に口をつける。
「という事で近々リュディヴィーヌちゃん達が家に来ると思うから、そのつもりでいてね」
はっ?
「ゲホッゴホッゴホッ………………」
大きくむせながら毬乃さんの言葉を頭の中で反芻させる。
ええと、嘘だろ?
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