◆7-4
壁に思い切り叩きつけられ、ヤズローは僅かな苦鳴を噛み締めて耐える。
「ッぐぅ……!」
余裕が無く、口から呻きしか漏れない。どれだけ殴っても怯まず硬い体の持ち主が、細い腕では有り得ない程の力で殴り、掴みかかってくる。一番拙いのは、捕まえられることだ。恐らく掴まれたが最後、あの哀れな犠牲者達と同じく、この四肢は引き千切られかねない。
何より、自分の矮躯では相手の懐に飛び込まなければ有効打を放てない。普段は不愉快で間違いないのに、ミロワールにもう少し腕を長くさせるべきだったと本気で思ってしまった。
「――退出してください。必要なのは、あの女性の魂です。形や年数が近い方が、プリュネ様の為になりますので」
「ふざけろ、糞がッ……!」
リュクレールのことも心配だが、今はここを切り抜けなければならない。歯を食いしばり、構え直したその時――どごん、と上から鈍い音がした。
三発、四発。そして上から光が差し込んだことに気付き、慌てて身を翻した。
次の瞬間、凄まじい音と共に、光が溢れ――でかい得物を携えた男がずだん、と音を立てて着地した。
「――謝罪を。勝手に使用した」
そう言いながら、南方服を纏った大柄な男は、視線をフランボワーズに向けたまま、手に持っていた得物を軽々とヤズローに向けて放ってくる。
「……構わねぇ、緊急事態だ」
受け止めて、手早く布を剥がす。中から出て来たのは、愛用の槍斧だ。幸い天井は高くぶつけることはなさそうで、大きく振りかぶって構える。小目も全く表情を動かさないまま、彼の隣に立つ。
「瑞香様の命により、助太刀する」
「心底癪だが、受け取ってやらぁ!」
敵が増えても表情の全く変わらない人形へ、2人同時に駆け出した。
「――排除します」
無造作に上半身を回転させ、振り抜かれた拳を、小目は往なすように払い、絡め取る。ぎしり、と動きを止められたフランボワーズを逃さずに、ヤズローは槍斧を大上段に構えて振り下ろした。
「ッ――おらァ!!」
どん、と鈍い音がして、防御を取らなかったフランボワーズの、ドレスの下の足が切り飛ばされた。がくんと彼女の動きが鈍るも、止まらない。逆の足で床を蹴り、小目を押し倒して拘束を解こうとする。
「ふっ!」
僅かな気合を唇から吐き、小目は腕を組み替える。押さえこんでいたフランボワーズの片腕を、関節とは逆方向にごりんと回す。まるで玩具のように簡単に、腕が外れた。
小目は自分が凄まじい動きをしたことに全く感慨を見せず、人形の体を壁に蹴り飛ばす。疲労も無く速度も衰えない筈の人形をあしらうように、軽々と。
「……くたばれッ!」
僅かな嫉妬を振り払い、ヤズローも武器を構え直し、片足だけで尚も立ち上がろうと蠢く人形へ止めを刺そうと腕を振り上げた時。
「――ヤズロー! 無事ですか!」
ごとん、と音を立てて壁が開き、リュクレールの声が聞こえてヤズローは腕を止めた。見た目は土壁に擬態されていたが、どうやら地上へ通じる出入り口があったらしい。小目は構わず止めの踏み付けを入れようとしたが、
『小目、止めろ』
静かな南方語の言葉にぴたりと動きを止めた。光の溢れる部屋の入り口には、瑞香も立っており、普段の笑みを見せずに自分の部下を睥睨している。小目は表情一つ変えず、足を引いて臣下の礼を取った。ヤズローも構わず、駆け寄ってくる少女を人形から庇える位置に立つ。
「奥方様、ご無事で!」
「ええ、わたくしは大丈夫です。魔操師様は、男爵様が抑えています。わたくしは――どうしても、フランボワーズ様にお伝えしたいことがあって……お許しを頂きました」
「そんであたしはお目付け役ってとこね。もう無力化はしてるでしょ、その子」
「……はい。奥方様、くれぐれもお気を付けください」
ショールを腰に巻き、男爵の上着を羽織ったリュクレールの、裾から覗く白い脚に僅かに戸惑いつつも、ヤズローは彼女の手を取ってそっと導く。
フランボワーズは、片足片手を失ったにも関わらず、リュクレールの姿を見て這い蹲り、体を軋ませながら向かおうとするが、瑞香の視線一つで動いた小目によって、手早く床へ押さえつけられた。
「……フランボワーズ様」
「はい、リュクレール様。なんでございましょう」
彼女の体を引き裂こうと動くにも関わらず、質問にははっきりと是を答える。そんなフランボワーズの姿に、リュクレールは悲しそうな顔を隠さず、ほそりと告げた。
「失礼を承知の上で、申し上げます。フランボワーズ様、あなたはプリュネ様の魂を、食べたのですね」
「はい。死んでしまったプリュネ様の魂を留める為です。それが、プリュネ様の願いを叶える、唯一の方法でした」
「願い……ですか」
「はい。プリュネ様は最期に仰いました。『死にたくない』と私に命じられました。故に私は、プリュネ様の願いを叶える為、稼働しています」
無理な動きを続けたせいか、フランボワーズの綺麗な顔には細かな皹が入っている。しかし彼女は全くそれを気に掛ける風もなく、ただ訥々と言葉を紡いだ。
「ええ、ええ、あなたには、そうするしかなかったのでしょう。それは、解ります。ですが――ですが」
リュクレールは耐え切れないように、俯いてしまった。まるで彼女を見続けるのが忍びないと言いたげに。支えるようにヤズローがそっと寄り添うと、唇を噛み締めてまた顔を上げ、続けた。
「物質であろうと、霊質であろうと、体を持たない魂はとても儚いもの。だからあなたは、沢山の方の魂も、食べたのですね」
「はい。プリュネ様を死なせない為に、必要な行為でした」
「駄目なのです……駄目なのです、フランボワーズ様」
リュクレールは泣き出した。金と青の瞳から、透明な滴を何個も零しながら必死に告げる。どうしても、伝えなければならないと、言うように。
「貴女の中の、魂は。色々な方のものが混じり合って。……もう、プリュネ様のものではないのです」
地下室に、沈黙が落ちる。フランボワーズの体が、ほんの僅か軋む音がした。
「……いいえ。プリュネ様の魂を、私は確かに保存しました。そして私は、プリュネ様のお声、お言葉、仕草、感情、思考を全て認識し、記録しております。魔操師様の作成された肉体を私が操作し、環境に応じて必要な分だけ出力することが可能です。故に、プリュネ様は生きておられます」
「ええ、それは、貴女が覚えている、尊い記憶です。紛れもなく、プリュネ様が生きていた証です。ですが、貴女の身の内にある魂は、もうプリュネ様のものではないのです……! あるのは、数多の命の、嘆きだけです……!」
何の寄る辺も無い魂は、容易く変質する。霊質しか持たない幽霊すら、簡単に狂い、壊れてしまうのだ。リュクレールはそのことを知っている。もう、プリュネ・アルブルという少女は、もうこの世界のどこにも、存在しない。
「……それでは、私は」
感情の籠らない、人形の声。それでもその奥に、ほんの僅かな悲しみを感じ取ったような気がしたのは、ヤズローの勘違いなのかもしれない。
「プリュネ様の願いを、かなえられない。永遠に」
その結論に達した瞬間。フランボワーズの首元に輝く紅玉が、びしりと音を立てて割れる。陶器と金属が擦れあう、ぎりぎりと軋む酷い音が辺りに響き、発条に繋がった何かが、出来の悪いびっくり箱のように飛び出してきた。
それは、小さな行燈のような硝子の箱。
その中はヤズローには透明に見えたけれど、リュクレールの瞳には、酷く濁った色をした霊質がぐるぐるととぐろを巻いているだけで――
フランボワーズは、表情を全く変えぬまま、口元に伸びてきたそれに、歌うために作られた赤い唇を開き。
がぶりと、まるで果実のように噛み潰し、動きを完全に停止した。
×××
呆然自失のまま、娘であったものを抱きかかえる子爵から目を逸らし、プリュネの部屋に立つビザールは改めて、拘束されたままの魔操師に向き直る。フランボワーズが如何に優れた人形であろうと、自分の優秀な執事と親友の従者に任せておけばまず間違いはあるまいと、本気で思っている。愛しい妻がやるべきと決めたことを、叶えて差し上げられるだろう。
故に――汚れ仕事は、自分の仕事だ、と。
「さて、セーエルム殿。覚悟は宜しいですかな?」
「フン、祓魔如きに遅れを取るとでも思ったか。そも、私の身柄はこの子爵家に保証されている。魔操師は国の財産とも成り得る存在だ。手を出せば、法の裁きは避けられんぞ」
先刻、雇い主に対して不遜なことを言い放った分際で何を偉そうに、とドリスは不愉快そうに眉を顰めている。しかし言っていることは事実であり、この国に住まう以上法律を破る訳にはいかない。
「いやはや全く、仰る通り。しかし残念ながら、君の身柄は既に売約済みなのだよ」
しかしビザールは、胡散臭い笑みのままあっさりとそう言い放つ。そのまま、ずっと小目が運んでいて、地下に降りる時に放り出していった荷物から、よいせと屈んで何かを取り出す。それを視界に入れて、セーエルムの顔が恐怖に歪んだ。
「それ、は――ひっ、やめ、やめろ! 嫌だ、それは――」
「おや、ご存じだったかね? ミロワール殿謹製の『魂の鳥籠』だよ。君もあの歌姫を作成した際、使ったのだろう?」
形は、先刻フランボワーズが己の身体から引き摺り出したものと似ていたが、もっと洗練された美しい調度品のような、小さな行燈だった。その傘の先端には、まるで針のような刃が付いている。
「これを突き刺せば、肉体や霊体を引き裂く必要などなく、最小限の傷だけで魂のみを取り出すことができるそうだ。つまり、君程度のやることは、とうの昔に彼女が通った古い道だった、ということだね」
容赦の無いビザールの言葉に、男の顔が絶望に染まる。命乞いか、悪罵か、それらが彼の口から出る前に――容赦なく、その刃は魔操師の胸元にさくりと突き刺された。
「っ! が! ひ……!!」
断末魔は僅か。同時に、行燈の中にゆらりと、陽炎のような小さな青い光が灯る。これが、魂と言うべきものらしい。
「我輩は君を殺せない。故に出来ることは、君を分けて運ぶだけだ。地上の法が届かぬ場所へ、ね」
ビザールは動かなくなった男の体とその光を見比べつつ、どこか疲れたような声でずっと控えていたドリスに告げた。
「魂はミロワール殿に、肉体はレイユァ殿に。それで双方に納得して頂いたからね、申し訳ないがドリス、運搬をよろしく頼むよ」
「仰せの通りに」
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