叶わぬ願い
◆7-1
子爵家の屋敷は大きかったが、庭も家も、どこかうら寂れていた。使用人たちの顔も暗く、愛想をふる余裕も無いように見える。困窮した貴族程見苦しいものはない、と密かにヤズローは思う。勿論顔には出さず、緊張で僅かに強張るリュクレールの背に続き、アルブル家の門を潜った。
「おお、お待ちしておりました、シャッス男爵夫人」
そんな中で、アルブル子爵だけが輝くような笑顔で、客人であるリュクレールとヤズローを出迎えた。リュクレールは硬いがちゃんと笑顔で、淑女の礼を返す。
「お招きいただき、ありがとうございます。先日は大変失礼を致しました」
「どうぞ、お気になさらず。我が娘の我儘を聞いて下さって、有難い事です」
密かに子爵の様をヤズローは観察するが、見目通り非常に穏やかな、爵位持ちの貴族としては人当たりの良い気質にしか見えない。やはり魔操師が主犯で彼は関係ないのか、とつい思ってしまうが、男爵の「目に見える姿が真実とは限らないよ」という忠告を思い出して己を戒める。自分が油断すれば、奥方に危険が及ぶかもしれないからだ。
僅かに軋む廊下は薄暗い。外壁近くの為、日当たりが悪いせいもあるだろうが、明かりを絞っているせいもあるだろう。この家が照明にすら金をかけられていないのが窺い知れる。
「娘に先日のことをお話したところ、いたく喜びまして。フランボワーズはあの子にとって、無二の友人なのです。そんな彼女を人と思ってくれる方がいるのならば、ぜひお会いしたいと聞かず……。先日のお詫びも兼ねて、ご招待させて頂いた次第です」
「光栄ですわ、ありがとうございます」
「こちらこそ、感謝しかありませんとも。さあ、こちらへ。生憎娘は今日もベッドから起き上がれない為、無作法ではありますがお許しください」
屋敷の一階、奥まった隅にある扉が開く。その中は思ったよりも明るく、ヤズローはほんの僅か目を細めた。
どうやら、この屋敷で一番日当たりの良い部屋なのだろう。窓から金曜の光が穏やかに入り込み、柔らかく明るい色の絨毯を照らしている。調度品も綺麗に整頓、掃除されており、この部屋の持ち主が大切にされていることがすぐに解った。
部屋の中心に据えられた天蓋つきの大きなベッドの傍に、立派な椅子に腰かけた薄紅色の髪の女がいる。美しいドレス姿のままの、フランボワーズだ。
気づかれない程度に身構えるヤズローに対し、リュクレールは――ほんの少し、戸惑ったように歩みを止めた。
「奥方様?」
「どうなさいました?」
「い――いえ、大丈夫です。失礼致します」
ヤズローと子爵の声に、僅かに我に返ったように首を横に振るリュクレール。……彼女の瞳に、一体何が見えたのだろうか。無言のまま警戒を密にした時、天蓋から声が聞こえた。
「フランボワーズ? お客様が来てくれたの?」
「はい、プリュネ様」
じっとこちらを見詰めていたフランボワーズが、くるりとベッドに振り向いて答える。アルブル子爵は微笑み、立ち上がろうとするフランボワーズを制して自ら天蓋のカーテンを開く。
「プリュネ、リュクレール様が来て下さったよ。今日の気分はどうだい?」
「ええ、とても良いですわお父様。今日はおやつも食べられそう」
「それは良かった! すぐに用意しよう、リュクレール様にもお持ちしますので、少々お待ちください」
「いえ、お構いなく――」
心底嬉しそうに笑い、子爵は部屋を出ていく。本来その手の事は使用人に任せるべきだろうに、そこに思い至らない程喜んでいるらしい。善良な貴族もいたものだ、とヤズローが思っている内に、フランボワーズが立ち上がり、椅子へリュクレールを促した。
ゆっくりとリュクレールは歩み――椅子には座らず、天蓋に近づき、ヤズローも後に続いてその中を見た。
カーテンの中、大きなベッドに不似合いな程小さな体の少女がひとり、横たわっている。病を得ていると聞いてはいたが、痩せていても顔色は悪くない。リュクレール達の顔を見て、無邪気な笑みを見せてきた。
「こんにちは、お客様。ごめんなさいね、こんな格好で。フランボワーズ、わたしを起こして?」
「はい、プリュネ様」
フランボワーズがそっと侍り、少女の体を支えて起こす。少女はやはり、微笑んでいて――リュクレールが、どこか途方に暮れたように眉を顰めたことに、ヤズローは気付いた。
「……奥方様、いかがしましたか」
「……ええ、はい。……大変申し訳ありませんが、プリュネ様」
「はい、なんでしょう?」
少女の楽しそうな声音に、リュクレールはますます眉を下げて、おずおずと呟く。
「……貴女は、どこにいらっしゃるのですか?」
彼女の発した言葉の意味が解らず、ヤズローは戸惑う。それはプリュネも一緒だったらしく、表情の動かないフランボワーズとは違い、不思議そうにこくりと小首を傾げた。
「え? ……お客様は、おかしなことをおっしゃいますね。わたしはここに居ますよ?」
「いいえ……いいえ。プリュネ様」
戸惑う少女、無言の人形、そのふたりを見据えてリュクレールは決意したように告げる。
「貴女の、お体の中には、魂が、ございません」
その言葉の意味をヤズローが理解する前に、乱暴な音と共に扉が開いた。
「落ちろ!」
「貴様ッ……」
駆けこんできたのは、青い顔をした魔操師セーエルム。咄嗟に攻撃をしかけようとヤズローが振り向き、一歩踏み出したところで――床が消えた。
「っきゃああ!?」
「奥方様!!」
絨毯も床板も消え、円型にくり抜かれた床の下に、リュクレールとヤズローの体が落ちる。最後に、ヤズローの視界に見えたものは、魔操師が自分のペンを振い、その穴を綺麗に塞ぐ姿で――視界が闇に閉ざされた。
×××
場所は変わり、アルブル家にほど近い空家の一室にて。
「――旦那様!」
リュクレールの懐に忍ばせていた使い魔の視界が不意に暗転したことに気付き、ドリスが声を上げる。声を受けた彼女の主は、表情をいつもと全く変えることなく。
「瑞香」
ひたりと、重いがはっきりとした声で友人の名を呼んだ。
「小目を貸してくれたまえ」
続けた言葉にほんの僅か、ドリスが息を飲み、瑞香はすっと目を細める。
「いいわよ、貸し一つね」
「感謝する」
「要らないわ」
相手の顔も見ずに言い合いながら、2人は家を出ていく。しっかりと格子状の門が閉められたアルブル家の前に立ち、瑞香が母国語で、付き従ってきた従者に命じる。
『小目、門を開けろ』
表情を動かさない、荷物を背負った大柄な男は、僅かな礼をして命令に従う。
『御意』
と、と小さく地面を踏む音がした、瞬間。小目の体は高く飛び上がり、門の上の棘を掴み、体を翻して中へ着地した。手早く鍵を開け、男爵達を中に迎え入れてから更に先行する。
「リュリュー殿とヤズローを探してくれたまえ。恐らくは一階か、地下。全力で構わないとも、責任は全て吾輩が取ろう」
『聞いたな? 邪魔する奴は蹴散らせ』
『御意』
声と同時、小目が無表情のまま一歩踏み出し、重い木製の玄関に躊躇い無く拳を叩きつける。凄まじい音と共に蝶番が拉げ、次の蹴りで開け放たれた。
「何者か! ここがアルブル子爵の屋敷と知っての――」
飛び出して来た顔色の悪い執事の腕を小目が取り、捻り上げ、掌底を胸に叩きつける。並の人間なら絶命する程の威力を食らってその体は、ぎしんというやけに硬い音を響かせた。
「人形!?」
驚愕の声を上げたのは瑞香だった。従者は気にした風もなく、狙う場所を内臓から関節部へと変える。踏み抜く勢いで膝を蹴りつけ、ぼきりと折った。
「ここがアルブル子爵の、屋敷と、知っての」
どさりと倒れた執事は、折れた足の中から真鍮の欠片をぼろぼろと零しながらも、尚も同じ言葉を繰り返す。その異様さに、流石のドリスも眉を顰めた。瑞香も僅かに顔色は悪いがいつもの調子を取戻し、眉間に皺を寄せて言う。
「随分出来が悪いみたいねぇ。その分フランボワーズにつぎ込んでたのかしら」
「いやいや、お恥ずかしい。お見苦しいところをお見せしました」
場違いに穏やかな台詞が階段の上から降ってきて、全員顔を上げる。
アルブル子爵は、先日の夜会と同じような、穏やかな笑みを浮かべて狼藉者達を招き入れた。
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