僕の鼻血を見て失神した人に説得されています
「で、彼女は彼の鼻血を見て失神したと」
僕が横たわるベッドの向こう側に、もうひとつのベッドがあった。そこで恵里香さんが寝ていたのだ。僕たちを隔てるカーテンが鉄柱にバンドでしっかり縛られているため、彼女の顔がはっきり僕からも見える。
「まあとりあえず、二人ととも入院するほどの症状じゃないから、二時間休んだら帰っていいよ」
「わかりました」
香帆ちゃんの返事に医者は軽く微笑みかけ、簡易病室を後にした。
「ああ、私って……」
恵里香さんはここからの数時間が煩わしいみたいに、苦しい声を上げた。
「どうにも人の体の中から流れる赤い液体って苦手なのよね」
「弱っ」
美里愛ちゃんがさりげなく非情な言葉を吐く。
「美里愛さん、それはちょっと」
「だって事実でしょ。男子の鼻血ごときで昇天するなんて。そして原因の彼は、私のスカートから覗いたパンツを見て鼻血を出すほど弱い人。どうして私の周りにはこんなにしょぼい人ばっか集まるのかしらね」
「アンタ、そろそろいい加減にしなさいよ」
杏ちゃんが重めのトーンで美里愛ちゃんに声をかけた。
「恵里香さんはアンタたちみたいな人を正常に戻すために懸命に努力した結果、傷ついちゃったんだから」
「風紀委員会だろうが何だろうが、組織のリーダーにしては傷に対する免疫力が低すぎるんじゃない?」
容赦ない悪口を放つ美里愛ちゃんの背後で、恵里香さんが杏ちゃんに親指を下に向けるサインを示した。
杏ちゃんがポケットからハンカチを取り出し、美里愛ちゃんの口を塞ぎ、外に連れ出した。
「あの、ちょっと」
香帆ちゃんがドン引いた様子で二人に呼びかけたが、彼女たちは病室を後にしてしまった。
「どうしよう」
彼女はおそるおそる二人を追って外に出ようとした。
「大丈夫よ」
恵里香さんの一声が、香帆ちゃんの足を止めた。
「私たちは風紀委員会。人に言えないような仕打ちなんて到底やらないから」
「でも、ハンカチで美里愛さんの口を塞いでましたよね?」
「エーテルとかを染み込ませていたらそのまま彼女を眠らせちゃうんだけど、おそらくそれもないでしょ。初めての風紀委員会の自己紹介で『数々の刑事ドラマを渡り歩いて12年』とか言ってたわ」
「誘拐事件の真似事か」
僕はつい呟いた。
「そう思っておけばいいんじゃない」
恵里香さんが僕に微笑みかけた。
「それにしても不思議よね、敵の組織のメンバーと一緒に横になってるなんて」
「確かに、これはこれで違和感ありますけどね」
僕はちょっと恥ずかしくなって彼女から目を逸らしてしまった。
「でも実際のあなたも被害者なのわかってるわよ」
恵里香さんの寄り添うような言葉を聞いて向き直った。
「コスプレしているときのあなた、心から楽しめてないのバレバレだから。どうせ女装も美里愛ちゃんに強制されちゃったんだよね」
「はい」
僕はどストレートに答えた。
「だって契約書で約束させられて、もし勝手にJ.K.C.K.を抜けたら、美里愛ちゃんから凄まじい罰が待っているから」
「私たちはJ.K.C.K.をただ潰したいだけじゃないの、覚えていてくれる?」
「どういうことですか?」
「美里愛ちゃんも、香帆ちゃんも、そしてあなたも、本当にそんな生き方でいいのかなって、ちょっとネガティブな意味で気になっちゃってね」
ベッド上の恵里香さんの位置が、2センチぐらい進んだ気がした。
「もしかして、何かしようとしてます?」
恵里香さんが即うなずいたので、僕はドキッとした。
「別に恐れる必要ないのよ。私たちは風紀委員会、美里愛ちゃんがやっているような下品な仕打ちをしたいわけじゃないから。むしろ上品なおもてなしをしたい主義よ」
恵里香さんの意味深な言葉に、僕はリアクションに困った。
「何しようとしてます?」
「あなたたちJ.K.C.K.って、コスプレの会よね?」
「はい」
「コスプレの一般的なイメージって、あなたたちJ.K.C.K.が普段やってるような感じでいいのね」
「確かに。僕はあんな露出度の高いものばかりがコスプレじゃないと思ってるんですが、言っても美里愛ちゃんは聞いてはくれませんね」
「あの、あんまり美里愛さんに不利なことを恵里香さんに言ってしまうと、後々バレたときに……」
「いいのよ。私たちが守ってあげるから」
不安げな香帆ちゃんに、恵里香さんが微笑みながら語りかけた。
「私は、ただJ.K.C.K.を壊したいわけじゃないこと、わかってくれる?」
ベッドに横たわったまま優しく語りかける恵里香さんの姿が、なぜかちょっと怖く感じた。
「あなたを解放したいだけ。香帆ちゃんもね」
それを聞いた香帆ちゃんがリアクションに困ったような素振りをした。
「僕たちを救済するとは……?」
「あなたたちを美里愛ちゃんから引き離すこと」
恵里香ちゃんが真顔になって語った。その目に冗談めかした柔らかさはなかった。間違いない。この人は風紀委員長としてJ.K.C.K.をマジで潰そうとしている。
「手始めに数点質問をするわ。ああいった品性に欠けたコスプレ衣装って何点あるの?」
「あの……大量に」
僕は正直に答えてしまった。恵里香さんのシリアスな目が、ごまかしを許してくれない。
「それがあの部室に置いてあるって事ね?」
「はい」
僕は美里愛ちゃんたちの過激なコスプレと違う意味で緊張しながらうなずいた。
「ところで、それを聞いた風紀委員会は一体何を……?」
「全部処分しようかな」
さらっと大胆なことをいう恵里香さんに、僕はドン引いた。安静にしなきゃという医者の言いつけを破ってでも、今すぐ美里愛ちゃんに危機を伝えにいった方がいいかと思った。
「全部処分しちゃうんですか?」
香帆ちゃんもさすがに戦慄を覚えた様子だった。
「それってどうやって……?」
「ちょっと季節外れだけど、焚き火でもしようかな?」
香帆ちゃんに向かって恵里香さんがためらいなく答えた。
即座に僕の脳裏に、美里愛ちゃんが用意したコスプレが焼き払われるシーンが映し出される。その傍らで、美里愛ちゃんはくずおれて、涙を流していた。漫画のように面白おかしく嘆いている様子はない。自身のアイデンティティが死に絶える瞬間を受け止めきれず、冷たい涙を流しているようだった。
「恵里香さん、一旦落ち着きましょうか」
「どうしたの?」
恵里香さんは不思議そうに微笑んだ。
「美里愛ちゃんともう少しよく話し合った方が」
「話にならないわよ。そこらの犯罪者と一緒。自分の言い分ばかりで、相手のことなんて聞かないんだから」
恵里香さんはここにいない美里愛ちゃんを容赦なく突き放した。今美里愛ちゃんは、おそらく病室の外で杏ちゃんとバトルを続行している。彼女に真実を告げなければと思った。J.K.C.K.と知らず知らずにアシスタントとして契約してしまった自分が嫌になっていたけど、このときだけはなぜかアシスタントとしての務めを果たさなければ、と思った。
美里愛ちゃんに真実を伝えなきゃ。君のコスプレ衣装は、全部燃やされちゃうかもしれない。
僕はベッドから上体を起こす。しかし、察知した恵里香さんの手下二人が、両サイドからベッドははさみ込んだ。彼女たちは特に戦闘の構えをしているわけではない。しかし、そこにいるだけで僕は身動きが取れなかった。貧血の応急処置を受けてからそんなに時間が経ってないから、まだちょっと体がだるい。それ以上に、ベッドから降りようとしたところを彼女たちにキャッチされたら、触られたショックでまた鼻血を流してしまう。病室でそれをやっちゃったら洒落にならない。
恵里香さんは隣のベッドから僕に向かって控えめなスマイルを見せる。しかしそれはもはや天使の微笑に見えない。悪魔が天使に変装しているみたいだった。
「清太くん、あまり無理はしない方が」
香帆ちゃんが心配するなか、僕は自分の胸に拳を立てた。
大丈夫だ、僕は男だ。正直女子に触られるのには慣れていない。でも、散々美里愛ちゃんや香帆ちゃんのやばいコスプレを見て、ちょっとだけだけど免疫はついたはずだ。ベッドから抜け出す瞬間に女子の体が触れるだろうけど、たかが一瞬だ、わけないだろう。大丈夫だ。大丈夫だよな?うん、大丈夫だ。
僕は意を決して、自身の体を覆っていた布団をはがし、降りるタイミングをうかがった。両側に立つ女子たちをうかがいながら、意を決して左側からすべるように降りた。
「うあああああっ!」
すぐさまベッドの右側にた女子に両腕で胴体をロックされた。動けない間にもう一人が近づいてきた。
「戻ります!」
僕は慌ててベッドへと舞い戻った。左側から出れば、病室内の動線に合流し、ストレートに出口へ飛び出せるはずだった。
しかし、僕の愚かな判断により、左側のポジションを二人の名も知らぬ風紀委員によりジャックされた。右側顔をいれば遠回りして、女子たちの動きを交わさなければいけない。二人同時に取り押さえられたら、そこでまた赤いナイアガラの滝が活動を始めかねない。
こうして僕は、脱出のタイミングを完全に失った。諦めの境地で天井を見上げた。
「かわいい」
からかうような恵里香さんの声が、僕の耳に流れ込んだ。
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