ちくわ たくわん 千利休
大久保
第1話 社森ましろという男
持ち込んだウイスキーをカップに注ぎ、そこへお店のコーヒーマシンから抽出したカプチーノを飲みながらレジの裏手で海外ドラマを視ていると、ドアの上部に設置された鈴の音がイヤホン越しに聞こえた。
社森ましろは舌打ちをした。 ドアの開閉時に鳴る鈴の音で、その人物像が分かるからだ。
視聴中のビッグバン・セオリーを途中停止してレジ前に立つと、案の定まともじゃないシャツイン明太唇口クサ身障男が現れたので、厭な顔をしたまま挨拶もせず突っ立っていると、客の男は席番号とコース時間を指定してきたので、声の強弱をつけているようで全くつけていない端的な接客をして伝票と席番号を無言で渡した。 人目も憚らず平気で席で床オナしてる男なので素手で渡したくなかったましろは手渡しではなくレジ台に置き、男が背を向けた途端に消臭スプレーを撒いて、仕上げにケツに指突っ込んでそうな客の小銭を触ってしまったので入念に手をアルコール殺菌した。
まともな客ならそんなことをすればさすがにむかっ腹を立てるし、そもそもまともな客相手にそんなことしない。 だがそもそもましろが働くマンガ喫茶を訪れる人間の9割はまともな人間でないので、彼がおよそ接客といえない態度をとっても、相手は気付かない。 飲みかけのまま席を外した客のコップに小便をしても、さらには持ち込んだファストフードのハンバーグをパクっても相手はちょっと首を傾げただけでコソコソとネットでデリヘル検索や女優動画閲覧に勤しんでいる。
五杯目の飲酒の余韻に心地よく浸っているタイミングで、交代のスタッフが来たので駅前ティッシュ配りというまた別の仕事のためにカゴにたんまり詰め込まれたティッシュを持って店を出た。
ましろは駅前を通り過ぎ、車道脇を馬鹿みたいに——というか本当に馬鹿であるが——爆走する身だしなみが宜しくない肥満型のウーバーイーツ男性にラリアットをかまし背後で大仰に転倒する配達男性のリュックからピザとコカコーラを取り出し、「#ウーバーデーブ、転倒の巻」と写真付きツイートして家路につく。
玄関先から匂い立つアルコール臭と自分の負け犬臭が渾然一体となってなんだか哀しく泪が零れ落ちそうになる気持ちを抑えてドアを開けると、玄関に小さな異国の女の子が置物のようにちょこんと座っていた。
「おいおい、マジかよ」 ましろは額に手を当てて眉を顰めて女の子を横切り、勢いよくリビングのドアを開けた。
「——ああ、ましろ、おかえりー」 皆藤麟太郎は大画面のテレビで仮面ライダーを視聴していた。 黒のガラステーブルには灰皿に積まれた吸い殻とくしゃくしゃになった空のマイルドセブン、空いたビール瓶とつまみ、白い粉末の粒子が散らばっていた。
「おい、麟太郎。 なに暢気にソファで酒呑みながら過去の栄光に浸ってんだよ。 もう十年も前の出演作のDVD視てなにになるんだ? 伏線でも回収してんのか?」
「おいおいましろ」 麟太郎はましろを見て笑った。 「確かに俺は昔仮面ライダーだった。 確かにそれは過去に過ぎない。 でもね、人間ってのは過去の積み重ねの上に成り立つ生き物なんだ。 それに今見ているのは“DVD”じゃない、“ブルーレイ”だ。 グレードアップしたってことはファンがまだいるっている証拠だろう? だから俺は永遠に仮面ライダーなんだ」
「今のアル中のお前を見たファンはいったいどう思うかね、時々ある仕事は舞台の脇の脇の役。 それ以外の大半を俺んちで自堕落に過ごして主の私物の酒とクスリに手を出して、終いには日本の現代文化、幼女に手を出しちまう。 アル中はいいぜ。 クスリもいいぜ。 でもな、幼女に手を出すのだけは許しちゃおけないぞ」
「違う違う。 聞いてくれ」 麟太郎はリモコンの停止ボタンを押した。 「ちょっと待ってくれ、水水——あ、これウォッカだ……。 聞いてくれよ、ましろ、その子はお前に用が会って来たんだよ」
「アル中クスリ漬けの自称演技俳優の言うことなんて誰が信じるか」
「自称じゃない」 麟太郎は二本指を二度曲げた。 「歴とした俳優だ。 俺は仮面ライダーアル中だけど、子供の前じゃあ決して嘘はつかないって母親の墓石に誓ったんだ」
「一昨日お前の母ちゃんから仙台牛頂いたぞ。 この家で、お前の目の前で」
「そうか、あの人が俺の母親だったのか……」
「話の途中いいかしら?」 澄んだ透明感のある声がむさい空間を清らかにした。 「そのニートの言うことは間違っていないわ」
「キミ日本語上手いね。 警察にはちゃんと言えるよね? 俺は無関係だって」 ましろは麟太郎を指差した。 「警察にはアイツを指差せば一件落着だから。 ツイッターは
「おっぱいないわ」
「……ええっと」 ましろは女の子の平らな胸を見た。 「それはまだ子供だから悲観することないよ。 仮に胸がなくても俺以外の日本人男性には需要があるし……」
「いや、ましろ、多分この子は“心配ないわ”って言いたかったんじゃないかな」
「だからそう言ってるわ」 彼女は毅然と答えた。
「いいや、お前が言ったのは財布落としたみたいにある日突然貧乳になったイカレた女の科白であって、心配ないわとは決して言っていない」
「そんなことはどうでもいいの」 彼女は腕を組んだ。 「アナタがヤモリマシロね?」
「そうだけど立ち話もなんだし、座って話でもしないか? ちょうどピザもあるし適度にぬるいコカコーラもある。 四十分後に店に戻らなくちゃ行けないからそれまでに済ませてくれる?」
「俺のコーラはー?」
「お前のはねえよ」
「ワタシ、炭酸は飲まないから差し上げるわ」
「良かったな。 子供に愛された成果がコーラ一本だ」
「ヤッター」 麟太郎は喝采をあげた。
ましろはカゴに入ったティッシュを全部ゴミ箱に捨ててからテーブルに散らかったゴミを端に寄せ、少し遅い昼ご飯にした。
「マルゲリータと照り焼きチキン? なんでこんな甘ったるいの頼んでるんだよ。 ガキか注文したヤツ」
「これアナタが頼んだものじゃないの?」
「え、ああ、そうそう。 童心に返ろうと思って頼んだんだった——って麟太郎お前なにやってるんだよ!」
「え、なにってチーズ下ろしでマジックマッシュルームをピザに振りかけているんだけど……。 だってこの子の歓迎会だろう? ピザにはこれって相場が決まってるだろう?」
「子供クスリ漬けにするなんてヤク
「全部聞こえてるわよ」
「それで、俺になんの用だ? 警察には行かないぞ。 税務署にだって、裁判所だって行かない。 俺は無実だ。 模範的人間だ」
「アナタたち病気? どおりで広い家と思ったけどもしかしてここは診療所なのかしら?」
「ここは事故物件だよ」 麟太郎がウォッカを呷った。 喉元が蠕動したと共に顔が前にこくんと傾いた。 「一家惨殺——だっけ? ほら、あの壁の赤い染みが証拠だよ」
「前衛的ね」
「拭いても拭いても消えないからそのままにしてあるんだ。 合元寺みたいでしょ」
「こんな子供が勘兵衛ネタ知るわけないだろ。 俺だってゴリパラ見聞録で知ったんだぞ?」
「ねえ、話進めてていいかしら?」
「どうぞ」 ましろはマルゲリータを齧った。 「残り三十分」
「アナタ、アタシに見覚えない?」
「さあね。 ここは学生街で家賃が学生向けにとにかく安いんだ。 だから俺らみたいな生きる価値のない底辺クズどもに見合う収入でも住んでいける。 結果、まともな学生とイカレた学生、イカレた大人が住むイカレた街の完成だ。 おかげで俺が働いている店には不審者しか来ない。 ありがたいことだよ。 俺はそんなこととは露知らず、安い! ヤッタ! て馬鹿みたいに——本当に馬鹿だけど——引っ越して後悔に浸ってもう二年を迎えた。 ところでキミは不審者?」
「さあどうかしら」
「いいや、キミは正常さ。 だからキミみたいな女の子なんて見たことない」 ましろはコーラを一口飲んだ。 「粉末にしたマジックマッシュルームを鼻に詰まらせて咽せているアイツはまあ正常寄りのグレーだけど……」
「いやあ」 麟太郎は咽せながら照れくさそうに頭を掻いた。 「仮面ライダーってのは人柄も重要な審査対象だからね」
「家電ライダーハラスメントは?」
「あれは汚点だね。 奇を衒った結果の不始末としかいえない」
「ねえ、話進めていいかしら」
「どうぞ」 ましろはマルゲリータを齧った。 「残り二十五分」
「ワタシが夜の散歩をしていたら、アナタを見かけたの。 どうしてか分からなかったけど、とにかくアナタが気になって後をついていったの」
「おおっと、そっから先は別の部屋で聞こうか」 ましろは立ち上がった。 「隣の部屋で話そう」
「おいおい、なんだよましろ。 夜中コソコソなにしてんだー?」
「あー、お前の、その、サプライズパーティしようとプレゼント探してたんだよ」
「おーいマジかよ」 麟太郎はハイになって喜んだ。 馬鹿みたいに笑いだし、そして咽せた。 「悪い! あーあ、聞くなんて野暮なことしちまったなあー。 すまんすまん。 俺みたいな部外者は気にせず、話つけてきてくれ」
「ああ、そうするよ」 ましろは女の子を先に部屋に移動させてからある事に気付いて振り返った。 「——ところでお前の誕生日いつなの?」
「えーっと、えーっと……」 麟太郎は頭をくらくらさせながらウォッカを呷った。 「ウィキペディアで調べてもらって」
ましろが隣の部屋に入ると、女の子は部屋の内装に戸惑っている様子だった。 先ほどの部屋とは打って変わってジャズBGMが流れ、黒と緑、木目調のデザインが主体の珈琲の豊かな香りが室内を包み込んでいた。 さらにレジがあり、ガラスケースにはデニッシュ、マフィンケーキ、クッキーにスコーン、カウンター裏には車一台分のエスプレッソマシンまであり、忠実までに室内で流れている音楽のCDまで定価価格で販売していた。
「……なにここ」
「見て分からないかい? ここはコーヒーショップだよ、お嬢さん」 レジにいるレイモンドが微笑んだ。
「そこの食べ物は食べれないぞ。 食品サンプルだから。 偽物作るの上手いんだよ。 俺たちアジア人は」
「どうして——」 目を広げた彼女はましろを無視して両手を広げた。 「どうして家の中にコーヒーショップがあるの!?」
「俺も当時同じリアクションしたよ。 隣の部屋のアル中いるだろう? アイツが俺の誕生日プレゼントにってこの部屋を改装させてコーヒーショップにしちまったんだ。 そんでアイツが店員、俺が客。 トレードマークが自分が演じていた仮面ライダーが自分の頭抱えているのに気付いた? のちのアル中のあいつ自身だ」
「でもホントのオチは改装代全額ましろ持ちってとこ」
「しかもまだ完済してないって事実」
「本当のプレゼントね」
「負債って言うね」 ましろは首を振った。
「まあとにかく、とっても良い人なのね。 アナタには勿体ない人だわ」
「勿体ないって、それどういう意味?」
「分かるでしょう? アナタがここへ移させた理由がその答えよ。 あの人にバレたくないからここにこうしているのよ?」
「あれ、つまり……、キミは……見ちゃった?」
「そうね、アナタが人を殺したのを知ってるわ」
「ああ、やっぱり……」 ましろはカウンターに凭れ掛かって溜め息をついた。 天井のシーリングファンをしばらく眺めていた。 「ちなみにいつかな?」
「昨日と、一週間くらい前よ」
「あ、はいはい思い出したよ」
「くだらない質問だけど、どうして人殺しなんてしたのかしら?」
「質問にくだらないもなにもないよ。 そうだね……。 さっきも言ったけどイカレた住人がいる街にはイカレた客しか来ない。 相手側に対してされて嫌な事や悪い事、失礼な行動、細かく言えば言葉遣い、歩き方、それが出来ない人間が当たり前のように横行したこの街は腐っている、腐敗している。 腐敗は伝染する。 動くカビであり、自覚のない癌そのものだ。 健康な人間に害する腫瘍は切除しなければ命を縮める事になる。 そんなの馬鹿げている。 そうだ本当に馬鹿げている。 だから殺した。 それだけだよ」
「決して否定はしないけど、たとえばどういった理由で相手を殺したの、その、自覚のない癌たちは」
「体臭が臭かったり、人前でゲップしたり、席を汚したり、マンガを返却しないまま帰ったり、お金を置かないで投げたり、敬語じゃなかったり、言い方が悪かったり、ああそうそう飲む時チューチュー言ったり、テレビある席は? 喫煙席は? 広い? 狭い? って同じ事毎回言うヤツとか、人目につく顔と格好じゃないヤツとか、トレイにお金入れて掌でどうぞ、ってサイン出すキモオタ眼鏡とコース時間を口頭じゃなく指で示す同じくキモオタ眼鏡と、さっさと金出せばいいのに、ちょっと待ってくださいねえ、今出しますからねえって科白を繰り返し言う身障とか。 あ、身障はまずかった?」
「そうかもね」
「まあ敬意を払わない相手には同じく払わないようにしているかな」
「それだけの理由で殺すの?」
「一ヶ月働いてみればいい。 この街にいる限り、善意なんて授業参観並みに不要なものさ。 それで? 馬鹿丁寧に人殺しを糾弾しにきた善意の女神であるキミは、俺にどうしてほしいんだ? さっきも言ったけど、警察には行かないよ。 警察だってきっと御の字のはずだ。 首を切られて出血多量で死んだヤツを見て、よし、これは自殺だなって言ったんだぜ? 完全犯罪ってのは警察のおかげで成り立っているもんなんだぜ?」
「誤解しないでほしいの、責めているわけでも非難しているわけでもない。 ワタシが捜していたのはアナタのような人間なの。 目の前で人が死んでいく光景に動揺を覚えず、また殺す事に躊躇いや恐怖もなく、無宗教であり個人的な正義を持った一線をとっくに越えた人間を。 独善的秩序を抱いた歪んだ思想と多少の対人関係をもつアナタが丁度いいの」
「残り十五分。 回りくどくて難しい言い回しは巻き戻しで聞いたところですぐ忘れちゃうんだな」 レイモンドが“やれやれ”のポーズをした。
「だとよ、さっさと本題を言ってくれ」
「そうね……」 彼女は思案顔で数秒黙っていた。 「アナタ、ファンタジー小説って知ってる」
「知ってるもなにも、今カクヨムって投稿サイトで作品を書いているところだ。 『世界から室井佑月とフィフィと小倉ハゲが消えたら』 で検索してくれ」
「いやよ」
「残念。 三十万文字書いて閲覧数百も満たないキングオブ駄作更新されず」
「どうせ才能ありませんよ」 ましろはレイモンドを睨んだ。
「あのね、単刀直入に言わないと一生先へ進まない気がするからきちんと聞いて。 口にするのも恥ずかしいのだけれども、ワタシはね、魔法の力を持っているの」
「ああそうなの、俺は実は綺麗な太股と張りの良い胸をした褐色の女性が好きなんだ」
「え、なに言っているの?」
「だってこれって恥ずかしいこと言うカミングアウトだろ?」
「違うわよ。 なんでそうなるの?」
「そりゃ魔法使えるのなんてイタいこと
【——黙りなさい】
「——!?」 言下に言い終えぬうち、先ほどの澄んだ声とは真逆の、重圧的で逆らう事さえ不可能な鈍い震え声にましろは有無を言わさず口を閉じた。 否、視えない強制的な“ナニカ”に閉じられた。
ましろとレイモンドは瞠目と困惑が混ざり込んだ目を小さな女の子に向ける。
【キャンセル】
「はっ——」 ましろは咽喉、口許と手を当てながら一歩後退した。 「——なにをした……?」
「その科白、今後百万回聞く事になるでしょうから覚悟しておきなさい」 彼女はこの家で見たときからずっと同じ冷たい目でましろを見つめていた。 「これが魔法の力よ。 ごめんなさいね、肌が褐色じゃなくて」
「別に謝る必要なんてない。 なに言ってるんだ。 白い肌も充分綺麗だよ。 あれ、今俺女の子に向って問題発言しちゃった?」
「そうね。 人前では控えた方が良いかしら」
「良かったね、誰も録音してなくて」 レイモンドは光のない目をましろに向けた。 「それより、さっきの力について聞きたいな」
「そうだ。 なんなんだそのギアスみたいな能力は?」
「ギアス? なにそれ、四番目の胃?」
「それはギアラ」
「Never more?」
「それはカラス」
「無秩序な状態?」
「それはカオス」
「お二人さん、残り五分だよー」
レイモンドの声でましろはハッとした。
「待ってくれ」 ましろは女の子の前に手を出し制した。 「その力と俺とどう関係があるって言うんだ?」
「この力を、アナタにあげるのよ」
「ちょっと待ってて」 ましろはスマホを取り出した。 「——おっ、#ウーバーデーブ3万リツイートだ」
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