第6話 為すべきこと
時は少し遡る。
公都から五キロほど離れた場所にある山脈の最高峰、その七合目にあたる地点に《
例によって
山頂を中心に巨大な六芒星を描くようにして配置された魔法士たちの足元には、
六人の魔法士は懐中時計を確認しながら〝その時〟を待ち、やがて刻限を迎えると、六人同時に、粛々と、公都に災厄をもたらす呪文を唱える。
「人が生みし業の極致よ、深淵よりも深い奈落より、災厄の化身を目覚めさせよ――〝ディザスターオーダー〟」
◇ ◇ ◇
そこは、公都ヌアークに点在する集合住宅の一室だった。
生活に必要な最低限度の物しか置いていない殺風景な部屋で、一人の男が窓から身を乗り出し、はるか向こうに見える山を凝視する。
やがて、山頂に炎の巨人が現れるのを確認すると、すぐに窓から身を引っ込め、部屋の床に敷いていた絨毯を引き剥がした。
絨毯がなくなった床には、魔法陣が描かれていた。
男は満足げに微笑を浮かべると、すぐさま魔法陣に向かって起動の呪文を唱える。
「
刹那、魔法陣に紫電が迸り、男と陣が不可視の
数秒ほど魔法陣に魔力を注入した後、男は一つ息をつき、
「ここまでやる必要があるのかどうかは疑問だが……確かに、どれほど魔力感知に優れていようが、どれほど街の中に兵を配しようが、
邪悪に口の端を吊り上げながら、公都に絶望をもたらす呪文を唱えた。
「人が生みし業よ、深淵より来たれ――〝イヴィルオーダー〟」
◇ ◇ ◇
ヨハンたちは、もはや地下水路の入口を見張る意味はないと判断し、様子を確かめるために大急ぎで市街地に向かうも、
「ちぃ……ッ! そうきたかッ!」
公都のそこかしこで魔力の昂ぶりを感知したヨハンは、走りながら舌打ちする。
「どうしました、ヨハン?」
「ディザスター級召喚に合わせて、公都内で魔法の発動を思わせる魔力の昂ぶりを感知した。数は無数。位置はバラバラ。おそらく〝奴〟が使っていた〝イヴィルオーダー〟で
その言葉に皆が驚き、ますます急いでヨハンたちはひた走る。
ヨハンが魔力の昂ぶりを感知してから五分、ようやく市街地にたどり着いた五人はその有り様に瞠目し、カルセルが悲鳴じみた声をあげた。
「な、なんだよこれ!?」
雷の肉体を持った犬が、鳥が、人型が――無数の雷の
雷の
幾何学模様の石畳に
ヨハンとクオンが剣の、カルセルが斧の、マイクが大剣の、オリビアが槍の
召喚用の魔法陣に込めた魔力が少なかったのか、この辺りにいる
だが、ヨハンたちが駆けつけるまでに
燃える家屋に取り残されていた男性を救助し終えたヨハンは、ディザスター級
山から下りたことで今はもう外壁の下に隠れてしまっているが、炎の巨人は少しずつ、着実に、公都に迫っていた。
炎の巨人が公都に向かっているのも、魔力を持つ人間がそこに密集しているからに他ならない。
ゆえに、炎の巨人の歩みが牛のように遅いことも、公都にたどり着くまでまだしばらく時間がかかることも把握していた。
(今はまだディザスター級のところには向かわず、公都にいる
懊悩するヨハンを見かねたのか、怪我人の手当てをしていたはずのクオンが、こちらに歩み寄ってくる。
そして、両手で包み込むようにヨハンの手を握り、
「ヨハン。ここはわたしたちに任せて、いってください」
「し、しかし、こんな状況の公都を放っておくわけには……」
逡巡の迷路に迷い込んだヨハンを落ち着かせるためか、クオンはクスリと笑い、欠片ほどの緊張も感じさせない穏やかな声音で言う。
「ヨハンは本当に、この
「……生まれ故郷だからな」
クオンは嬉しそうにクスクスと笑った後、覚悟を固めるように一呼吸つき、真剣に、懇願するようにヨハンに言う。
「もう一度言います。ここはわたしたちに任せていってください。公都内に無数の
「オイラも、クオンちゃんに賛成だな」
確認できる範囲の、住民の避難誘導を終えたカルセルが、こちらにやってきてヨハンの背中を叩く。
「いってきなよ。あんなデカブツを
「たいして困らないとは随分だな」
とは言いつつも、カルセルのおかげで肩の力が抜けたヨハンの頬には、微笑が刻まれていた。
少し離れた位置で小休止していたマイクを見やると、さっさと行ってこいと言わんばかりに「しっしっ」と手を振り、その隣にいたオリビアが、こっちの心配はいらないわと言わんばかりにウィンクしてくる。
「……わかった。いってくる」
いよいよ覚悟が固まったヨハンが、ディザスター級のもとへ向かうために踵を返そうとしたその時だった。
ヨハンを送り出そうとしていたはずのクオンが、手を離すどころか、ますます両手に力を込めて握ってきたことに気づき、足を止める。
言っていることとやっていることが矛盾している自覚があるのか、クオンは弱々しく笑いながらヨハンに謝った。
「あはは……すみません……。なんだか、もう二度と会えなくなるような気がして……。情けないですよね……わたしたちに任せていってくださいって言っておきながら……」
信頼と心配が
そんなクオンのことがたまらないほど愛おしくなったヨハンは、手を掴まれているのをいいことに、彼女を胸元に引き寄せて力いっぱい抱き締めた。
「ヨ、ヨハン!?」
予想外の出来事に頬をみるみる朱に染めながら、クオンが素っ頓狂な声をあげる。
いつもは頼もしさすら覚えるほど強いくせに、時折、弱さと脆さが顔を出す。
そんな彼女のことが、愛おしくて愛おしくてたまらない。
ずっと、ともに在りたいと思えるほどに。
ずっと、護ってあげたいと思えるほどに。
「大丈夫。魔法さえ使えれば、僕は誰にも負けない。誰にもだ。だから心配いらない。二度と会えなくなるなんてことはありえない」
「……そうです、よね」
まだ少し不安を残した目をしながらも、クオンは微笑を浮かべる。
「ヨハンが魔法を使うところ、見られないのが残念です」
「僕も見せてやれないのが残念だよ」
ヨハンはクオンから体を離し、
「いってくる」
と言って、今度こそ踵を返し、炎の巨人がいる方角へ走り去っていった。
ヨハンが走り去った方角を、しばしの間見つめていたクオンに、カルセルはおずおずと声をかける。
「クオンちゃん……その、大丈夫?」
言葉の端々から心配が滲み出ているカルセルに、クオンは苦笑で応じた。
「大丈夫です。ヨハンは、誰にも負けないって言ってくれましたから」
「……そっか……」
これ以上の心配は野暮だと思ったカルセルが、口をつぐんだ直後のことだった。
「きたぞ!」
マイクの叫び声を聞き、クオンとカルセルは弾かれたようにそちらを見やる。
翠色に可視化された風の肉体を持つ
「
「近くに魔法士がいる可能性があります!」
カルセルとクオンの話を聞いたオリビアが視線を巡らせ、
「あそこよ!」
建物の屋根を指し示した。
オリビアの指の先には、
「クオンちゃん。もしかしてアイツ、地下水路にいた〝奴〟か?」
クオンはカルセルに向かってかぶりを振り、
「地下水路で遭遇した魔法士は、属性の得手不得手が偏っているのか、使っていた魔法も召喚した
言葉を切り、疾風さながらの速さで手近の建物に肉薄したクオンは、窓の枠と桟を足場に三足で屋根の上に駆け上がる。
続けて、懐から
離れた位置にいる仮面の魔法士に切っ先を突きつけながら、宣言するように言葉をつぐ。
「全て斬り捨てないことには公都を護ることはできません。魔法士はわたしが片づけますので、カルセルさんたちは
「待ってクオンちゃん! 君にもしものことがあったら、ヨハンに顔向けできな――!?」
思わず、カルセルは言葉を切る。
仮面の魔法士がクオンに背中を向け、屋根から屋根に飛び移って撤退し始めたのだ。
風の魔法によるものなのか、本人の身体能力によるものなのか、屋根の上を駆けていると思えないほどの速さで仮面の魔法士が遠ざかっていく。
クオンはすぐさま屋根を蹴り、後を追いながらカルセルを一瞥し、
「論じている暇はありません! いかせてもらいます!」
それだけ言い残し、仮面の魔法士を追って屋根の彼方へと消えていった。
クオンが消えていった方角を心配そうに見つめるカルセルのもとに、マイクとオリビアが駆け寄ってくる。
「そう心配することもないだろう。ああ見えて、クオンは公国軍ナンバー2の剣士。ディザスター級討伐に向かったヨハンよりかは、よっぽど安心して送り出せるってもんだ」
「マイクの言うとおりよ。それにあの子が言ったとおり、
カルセルは、こちらを取り囲むようににじり寄ってくる風の
「確かに二人の言うとおりだ。オイラたちはオイラたちの務めを果たそう!」
三人は顔を見合わせて頷き合うと、光刃を具象した
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